学習通信041101
◎「去るも地獄、残るも地獄」……。

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1960年11月1日
三池炭鉱の争議が終った。

 報道陣のフラッシュが光るなかで、この日、三池炭鉱の労働組合委員長と三池鉱業所の所長とが握手し、二八二日におよぶ争議は終った。この争議は不況を理由に、会社が千二百名の名指しの首切りを発表したのがきっかけだった。石炭業界の不況は、石炭を石油に代える政策の強行で石炭が売れなくなったためだった。

 炭鉱を守ろう! 生活を守ろう! と全国の労働者が支援し、労働者一万八千人が警察官一万二千人と衝突する大争議となった。しかし、解雇を取り消させることはできず、この争議の敗北を最後に日本のエネルギーのもとは石炭から石油に転換された。
(永原慶二編著「カレンダー日本史」岩波ジュニア新書 p174)

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三池争議

 安保闘争と並行し、相互に影響しあいながら、一九六〇年一〜一〇月、三池炭鉱の人員整理反対闘争が展開された。

 「高度経済成長」のエネルギー的基礎を、石油に求めた独占資本は、「石炭から石油へのエネルギー革命」=石炭産業斜陽化を唱えて、アメリカの石油独占資本に追随する日本の石炭産業とりつぶし政策を強行した。それにともなって炭鉱労働者七万五〇〇〇人の首切り「合理化」の方針が立てられ、その中心の攻撃目標に、日本最大の炭鉱で、強固な労働組合運動が展開されている福岡県の三井三池炭鉱をえらんだ。一二七八人の指名解雇のなかに、社会党員、共産党員をふくむ職場活動家約四〇〇人が、「生産阻害者」という名目で加えられていたことが、この攻撃の政治的性格を物語っていた。

 会社は、全労会議=民社党の協力を得て組合を分裂させ、第二組合をつくって闘争の切りくずしをはかった。警察と裁判所も会社の味方について第一組合に圧迫を加えた。延べ四三万人の武装警官隊が動員された。会社が利用した暴力団によって、ストライキ労働者が刺殺されるという事件もおこった。

 これにたいして三池炭鉱の労働者は、全国の職場からかけつけた延べ三七万人の他産業労働者の協力をうけ、海外の労働者からをもふくめて二三億円にものぼる闘争資金カンパに支えられて、頑強にストライキで抵抗した。

 しかし、資本の陣営が周到に準備して、総力を結集して襲いかかってきたときに、一企業内の局地的な抵抗でこれをはねかえすことはできなかった。同じ三井資本の炭鉱である三鉱連の三池以外の五山の労働組合は、共同闘争に立たず三池を孤立させた。その結果、組合側は突破口をひらくことができず、警官隊と労働者部隊との衝突による流血の惨事を避けるために、きわめて不利な中労委の斡旋案を受諾して、一二〇〇人の指名解雇をみとめ、ニ八二日におよぶストライキを解くことを余儀なくされた。

 三池闘争は戦後最大の労働争議であり、現代の「合理化」反対闘争の代表例であった。

 「去るも地獄、残るも地獄」ということばはウソでなかった。首切り反対闘争に敗北した以後の三池炭鉱では、組合の分裂と弱体化にともなって職場が暗くなり、賃金切下げと労働強化と災害の増加が目立ってきた。ついに一九六三年一一月九日、一瞬にして四五八名の生命を奪った大炭塵爆発事故に見舞われた。この事故は、同じ日に横浜市鶴見でおこって一六一名の生命を奪った国電事故とともに、「合理化」の強行がひきおこした人災であった。そして、いまもなお三池炭鉱の地もとでは、爆発事故による一酸化炭素中毒の後遺症で苦しんでいる患者が少なくない。
(塩田庄兵衛著「日本社会運動史」岩波全書 p261-263)

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 こうした事情は、もし労働組合が経済闘争を徹底的にたたかおうとするならば、必然的に米日独占資本という二つの敵と立ち向かわなければならないということを示している。それだけに、さきに述べた国家独占資本主義のもとでの戦術的諸前提は、いっそう複雑で鋭いものとして労働祖合の前に提起されているのである。

 たとえば戦後最大の資本主義的「合理化」反対闘争といわれた三池闘争(一丸六〇年)は対米従属下の国家独占資本主義のもとで経済闘争勝利の方向はどうあるべきかという教訓を日本の労働者階級にもたらした。周知のように日本の石炭産業の破壊と炭鉱労働者にたいする首切りは、たんに個々の炭鉱独占によっておこなわれているのではない。

それはアメリカの日本にたいするエネルギー支配と、炭鉱独占をふくむ日本独占資本全体の、民族的エネルギー資源を破壊する従属的エネルギー政策にもとづいて、国家の政策として押しすすめられたのである。アメリカ石油独占体は、日本のエネルギーを支配するために日本の石油産業を直接掌握し(興亜、日石、極東、ゼネラル、昭和、三菱、東燃などの株を五〇%以上にぎっている)巨大な利潤をすい上げるとともに、一次エネルギー源の消費比率を石油に急速に転換させてきた。

日本独占資本もまた、民族的エネルギー源と労働者を犠牲にすることによって、アメリカのエネルギー支配に積極的に協力し、従属下における重化学工業の発展の道を求めたのである。このように、当時の炭鉱「合理化」は個々の炭鉱独占の攻撃としてだけでなく、米日独占資本の利益のために対米従属下の国家独占資本主義の全機構を利用して押しすすめられていたのである。また、それだけに、炭鉱「合理化」、に正面から対決する闘争は、独占資本と国家権力による分裂と暴力的弾圧に直面せざるをえなかった。

 三池労組は、こうした反労働者的、反民族的「合理化」攻撃にたいして、総評などの全国的支援をうけながら、職場闘争と職場組織をもって果敢にたたかったのであるが、「合理化」反対闘争としてはかならずしも成功したとはいえなかった。

たたかいは対米従属的な国家独占資本主義の強大な機構とぶつかり、一二〇〇名の指名解雇をついに撤回できなかったし、なによりも、国家の手による炭鉱「合理化」の全面的な展開過程にたいして、労働者の利益、安全、生活を守るためのクサビを打ちこむことができなかったからである。

この闘争過程から引きだされた教訓は、現在の段階では経済的な日常の利益を守る労働者の闘争にあっても、職場を基礎に、産業別統一闘争を軸に、地域と全国との共同闘争を発展させ、米日独占資本に反対する統一戦線を強める方向でたたかうほかはないということである。

 この貴重な結論は、労働組合の経済闘争が今日、直面している課題の解決方向を鋭く示している。
(荒堀広「経済闘争の戦術」労働組合運動の理論第6巻 大月書店 p23-24)

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◎「経済的な日常の利益を守る労働者の闘争にあっても、職場を基礎に、産業別統一闘争を軸に、地域と全国との共同闘争を発展させ、米日独占資本に反対する統一戦線を強める方向でたたかうほかはないということ」と…………。