学習通信041102
◎「これらの不足の程度に比例して非健康的となろう」と。

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第1章 住まい

 住まい−建築の原点
 建築の原点は住まいにあると私は考えています。人間の最も根源的な欲求から生まれる住まいとは、そこに住む人々の生活や気候風土の違いがそのままに表れる上着のものでした。世界各地にある上着の住まいを眺めてみると、ときに驚くような表現のものもあり、改めて人間の生活の多様な在り方に気づかされます。それらは現代的価値観からすると確かに前近代的で非合理なものに見えるかもしれません。しかし、私はそこに人々の生きること、住まうことへの欲求の切実さ故の力強さと、現代の私達の住環境にはない素朴な豊かさを感じるのです。

 ひるがえって現代の住まいはと言えば、そのほとんどは合理性、機能性を第一とする近代的思考のもとにつくられたものです。技術の進歩、社会制度の発達によって、それらは近代以前の住居とは比較にならぬほどに便利で快適なものとなっています。また誰もが同じような快適さを求めたがために、地域による差異のない、画一的な住環境が世界中に形成されています。

 しかし便利であることが、すなわち豊かなことなのでしょうか。そしてまた、近代に生まれたいわゆる近代建築が描いた理想とは、現代あるような無個性で、ただ経済効率のみから生産される商品のような住まいの在り方だったのでしょうか。私には、そうは思えません。人間の魂の拠り所となるべき住まいが、商品であって良いわけはなく、また今世紀につくられた近代住宅建築の名作の数々は、決して無批判に教科書通りつくられたものではない、未来への夢が託されたつくり手の精神の葛藤の末に生み出されたものでした。

 建築を始めて以来、これまで〈住まい〉という主題は、私にとって常に思考の根幹となるものであり、またこれからもそうあり続けるものです。住まいこそが、私の建築の原点なのです。
(安藤忠雄著「建設に夢をみた」NHKライブラリー p9-10)

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家屋の健康

 家屋の健康を確保するにあたって,次の五つが重要である。

 1.清浄な空気
 2.清浄な水
 3.よく流れる排水
 4.清潔
 5.光

 家はこれらが揃っていなければ健康的ではあり得ない。そして家はこれらの不足の程度に比例して非健康的となろう。

 1.清浄な空気を得るためには,あなたの家は外の空気がその隅々までやすやすと入るように建てられていなければならない。ところが住宅の建築家はこのことをほとんど考慮しない。家を建てるときの彼らの目的は儲けを最大にすることであって,住人が受け取る医者からの請求書の額を少なくすることではない。

しかしもし住人たち自身が,非健康的に建てられた家屋に居住することを拒否するほど賢明になれば,そして保険会社が,彼らの顧客が住む家屋を検査する衛生調査員の費用を払ってもよいと考えるほど自分たちの利益を十分に理解するようになったならば,聡明な建築家たちはたちどころに迷いからさめるだろう。しかし実情はそうではなく,彼らは利益の一番多い建築をする。

そして彼らが建てた家に住むような愚かな人々はいつも大勢いる。そして実際によくあることだが,時が経つうちに家族がつぎつぎに死ぬようなことがあっても,そのような結果に対しては誰もがそれは神の摂理であると考え,その責任について人をとがめることなどしない。状況がよくわかっていない医者は,それを“いま流行っている伝染病”のせいだとすることによって,この間違った考えの立証に加担する。構造の悪い病院が病人に悪い影響を与えるのと同じように,構造の悪い家屋は健康な人に悪い影響を与える。家のなかの空気がよどんで動かないようにするだけで,病気は必ず発生する。

 2.衛生の改善に努力した人々のおかげで,清浄な水が以前よりずっと広範囲に住宅に引かれている。つい2,3年前までは,ロンドンの大部分の地域で,下水と水洗便所の排水によって汚染された水が毎日使われていた。これが改善されたのは大変よかった。しかしわが国の多くの地域では,今でも非常に汚れた井戸水が家事に使われている。そしてひとたび伝染病が発生すると,このような水を使っている人たちは必ずといっていいほど罹患する。

 3.ロンドンで,排水が本当によくできている家の数を調査してみたいものである。多くの人は,もちろん全部あるいはほとんどの家の排水はよいと言うだろう。しかし多くの人は,よい排水がどのように成り立つかを少しもわかっていない。道路に下水本管が通っていて,家からそこにつながるパイプがあればよい排水だと彼らは思っている。ところがその下水本管たるもの,じつは伝染病や不健康を蒸留して家のなかに絶えず送り込んでいる実験室以外の何ものでもないかもしれない。

水洗便所や流し,格子蓋のついた下水溝からの排水管が臭気止めなしに下水本管に直接通じているような家は決して衛生的ではあり得ない。臭気止めのない流しが,立派な邸宅の住人の間に熱病や膿血症を広めることはいつでも起こり得る。

 よくある長方形の流しは醜悪なものである。いつも濡れたままになっているあの大きな石の表面は絶えず空中に臭気を発散させている。家全体,病院全体に流しの臭いがしているところを私は知っている。ロンドンのある大邸宅に入ったとき,スクタリで私が経験したのと同じ強烈な下水の臭いの流れが,流しから発して裏階段を上がってくるのに出くわしたことがある。

その邸宅の部屋のドアはすべて開けられて換気されていたが,通路は窓がすべて閉められて換気されていなかった。それは,下水の臭気をそっくりそのまま寝室に導き入れてそこにとどめておくためにそうしているようなものである。全く驚くべきことである。

 住宅建築におけるもう一つの大きな悪弊は,家の下に排水管を通すことである。このような排水管は決して安全ではない。家の排水管はすべて,建物の外壁の外にあるべきである。これらの事柄の重要性は,理論としては多くの人々が容易に認めるだろう。しかし,自分たちの家族のなかに病気が発生したとき,それがこれらの原因によるものであることを聡明にも突きとめることのできる人がなんと少ないことか。

猩紅熱,麻疹,あるいは天然痘が子どもたちの間に発生したときまず考えるのは,子どもたちがその病気をいったい“どごで“うつされてきたのがであるというのが実情ではなかろうか。そして親たちはすぐさま,その子どもたちが行ってきたであろうすべての家を思い浮かべてみる。彼らは決してその病気の源が家庭だとは考えない。もし隣家の子どもが天然痘にかかったとすると,まず頭に浮かぶのは,その子は種痘を受けていたのだろうかという疑問である。誰も種痘を軽視するわけではない。

しかし害悪の根源がじつは家庭にあるのに,種痘があるために人々が病気の源を外に探すように仕向けられていくとなると,種痘が社会にもたらす利益も疑わしくなってくる。

 4.あなたの家の内と外が清潔でなければ,換気はあまり役に立たない。ロンドンのごみごみした地域では,貧しい人たちは窓や戸を開けるといやな臭いが入ってくるといって開けることに反対であった。金持ちたちは厩舎と馬糞の山を自分の家のそばに置きたがる。しかし,この種のものが近くにたくさんある場合,家の窓は開けておくよりは閉めておいたほうが安全だということに彼らは気がつかないのだろうか。窓の下にこやしの山があっては家のなかの空気を清浄に保つことはできはしない。

こういうことがロンドンにはいくらもある。それでも人々は,“外気を入れた”大きな育児室や寝室で育てられている彼らの子どもたちが子どもの流行病に罹ると言って驚いている。もし彼らが子どもの健康という問題について造物主の法則を勉強したならば,それほど驚くことはないだろう。

 ごみを積み上げておくこと以外にも,家のなかに不潔なものをもっている場合はいくらでもある。何年も経った古い壁紙の壁,汚れたカーペット,手入れをしていない家具などは,まるで地下室にこやしの山を置いているのと同じように,いつも空気を汚すものの発生源なのである。人々は教育においても生活習慣においても,家屋をいかにして健康的にするかを考えるような習慣があまりない。

だからそのことについてまったく考えもせずに,どの病気も当たり前のことであり,病気が“神の御手により”もたらされるときは“諦める”べきものとして受け止めるか,あるいは,家族の健康を維持することを義務として考えることがたとえあっても,その義務を果たすにあたっては,ありとあらゆる“不注意と無知”に陥りがちである。

 5.暗い家は必ず不健康な家であり,必ず外気が入らない家であり,必ず不潔な家である。光の不足は子どもたちの成長を止め,るいれきやくる病その他を助長する。

 暗い家では人々は健康を損ない,病気になったときも,その家のなかでは再び健康になることはできない。このことについてはあとでまた述べよう。
(ナイティンゲール著「看護の覚え書き」日本看護協会出版会 p29-34)

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 こういう記述から、われわれはすでに、これらの住居そのものの内部が一般にどうなっているかを知っている。余計なことではあるが、ときどきここにもはいっていくイギリスの役人のあとについて、いくつかのプロレタリアの住居にはいってみよう。

 サリーの検死官カーター氏が一八四三年一一月一六日にアン・ゴールウェイという四五歳の女性の死体を検死したときに、新聞はこの死者の住居について以下のように伝えている。彼女はロンドンのバーモンジー・ストリートのホワイト・ライオン・コート三番地に、夫と一九歳の息子とともに小さな一部屋で暮らしていた。そこにはベッドも寝具もなく、それ以外の家具もなかった。

彼女は、ひとかたまりの羽毛のうえで息子のかたわらで死んでいた。羽毛はほとんど裸の彼女の身体のうえにまきちらされていた。掛けぶとんもシーツもなかったからである。羽毛は彼女の全身にぴったりとくっついていたので、身体を洗い清めるまでは、医者は死体を調べることができなかった。調べてみると彼女はすっかりやせ衰えていて、身体一面、害虫に剌されていることが分かった。部屋の床の一部がはがされ、その穴を家族はトイレとして使っていた。

 一八四四年一月一五日の月曜日に二人の少年がロンドンのワーシップ・ストリートの警察裁判所へ訴えられた。それは彼らが空腹のためにある店から生焼けの牛の足を盗み、すぐそれを食べてしまったためであった。裁判官はもっと調べてみようと思い、警官からやがて次のような説明をうけた。

この少年たちの母親はもと兵士でのちに警官となった人の未亡人で、夫の死後、九人の子どもをかかえてたいへん苦しい生活をしていた。彼女はスピトルフィールズのクェーカー・ストリート、プールズ・プレース二番地に極貧状態で住んでいた。警官が彼女のところへいったときには、彼女は六人の子どもといっしょに小さな裏部屋に文字どおりつめこまれ、家具といっても、底の抜けた古いござつき椅子二脚と、脚が二本こわれている小さなテーブルが一つと、こわれたコップが一つと、小さなどんぶり以外には、なにもなかった。

炉にはほとんど火の気もなく、部屋の隅には、一人の女性のエプロンにいれられるぐらいのわずかなぼろ布があったが、これが家族全員のベッドになっていたのである。身体にかけるものは粗末な衣服以外になにもなかった。あわれな女性は警官に、ベッドは昨年、食物を手にいれるために売らなければならなかったし、シーツはわずかばかりの食料の抵当として食料品店にあずけてしまい、そしてただパンを手にいれるためだけに、なにもかも売らなければならなかったと語った──裁判官は彼女に慈善箱からかなりの金を貸してやった。

 一八四四年の二月にテリーザ・ビショップという六〇歳の未亡人が、その二六歳の病気の娘とともに、モールバラ・ストリートの警察裁判所の裁判官に慈善をほどこしてほしいと申しでた。彼女はグロヴナー・スクェアのブラウン・ストリート五番地の、洋服ダンスぐらいしかない小さな裏部屋に住んでいて、そこには家具はなにもなかった。部屋の隅にはわずかなぼろ布があり、そこが二人の寝場所だった。

一つの木箱がテーブル兼椅子だった。母親は掃除婦をしていくらか稼いでいた。家主の話では、彼女は一八四三年五月からこういう状態で暮らしていて、持っていたものはすべて売り払うか、質にいれてしまい、しかも家賃は一度も払ったことはなかった──。裁判官は彼女たちに慈善箱から一ポンドを与えた──。

 私はロンドンのすべての労働者が、いまのべた三家族のような貧しい生活をしているというつもりはない。私は、一人が社会によって徹底的にふみつけられているときには、一〇人はもっとよい暮らしをしているということを、よく知っている──しかし私は、勤勉かつ有能で、ロンドンのすべての金持よりもはるかに有能で、はるかに尊敬に値する何千という家族が、こういう非人間的な状態におかれており、プロレタリアは誰でも、例外なしに、自分が悪いわけでもなく、一生懸命努力しているにもかかわらず、同じような運命におちいるかもしれないということを主張しているのである。
(エンゲルス著「イギリスのおける労働者階級の状態-上-」新日本出版社 p59-61)

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◎「近代に生まれたいわゆる近代建築が描いた理想とは、現代あるような無個性で、ただ経済効率のみから生産される商品のような住まいの在り方だったのでしょうか。」