学習通信041108
◎「それらは、存在している階級闘争の、われわれの目の前で」……。
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食事を済まして階上に落着くと、かねて連絡していた共産党員の杉ノ原君が大塚に案内されて訪ねて来た。その時同君は私に向って、日本共産党は中央委員会の決議を以て今回貴下を党員に推薦したということ、担任の仕事は『赤旗』の編集技術に関する意見の提出、その他党の必要に応じてパンフレット等の執筆ということに決定したこと、今後の連絡には政治的経験に富んだ『赤旗』関係の有力者がこれに当ることになったから、自分は今日限り連絡を絶つということ、居所は間もなく党の方で決定するから、ここ数日の間を何とか自力で凌いでいて欲しいということ、これだけを言い置いて辞去した。
「とうとうおれも党員になることが出来たのか!」
私は誰を相手にその喜びを語ることも出来ず、ひとり無量の感慨に耽りながら、遂に一首の歌を口ずさんだ。
たどりつきふりかへりみればやまかはをこえてはこえてきつるものかな
この歌は私が検挙された時に詠んだもののように伝えられているが、実際は入党の歌である。後に私は検挙されて、豊多摩刑務所に移される前、暫く中野警察署にいたが、そこにいた巡査が何人も何人も立派な金銀の色紙など買って来て、頻りに物を書かせた。その折私は何枚かこの歌を書いた。また三十余年前、無我苑に身を投じた折の「捨てし身の日々拾ふいのちかな」の句も、何枚か書いた。それらがみな当時の作として新聞紙上に伝えられたのである。
私の隠れ場所に充てられた二階の一室は、東西に窓が開けられていたが、西側の窓は余り近所の家々に近いので、人目を避けねばならぬ私は窓を開け放たずにいた。蒸し暑い午後であった。もしうちにいたならば、祝い心に菓子か冷い物でも取ってもらって、家内を相手に胸中を語っていたでもあろうが、今はただ独り、蒸し暑い部屋の中から、簾越しに、崩れゆく雲の峰を眺めながら、久しい間黙然として尽くることなき感慨と喜びに耽った。
当時党員となっていた者の中には何でもない人も少くなかったのに、そうした人々の仲間に参加しえたことがそれほどまでに嬉しかったのかと、あるいは不思議がる人もあるであろう。
しかし支那の赤軍が首都瑞金を見棄てて遠く西北の奥地延安に根拠を移すに当り、世界史上未曾有と称される無慮六千哩(マイル)の大行軍を敢行した際、若い人たちに交って中華最大の江河と最高の山岳とをいくつもいくつも徒歩で跋渉(ばっしょう)しおえたという豪傑の謝周蔡ですら、かつて中国共産党から入党の勧誘を受けた際には、(その時彼は已に五十歳に達していた、)「私のような老いさらぼうた者でも新世界の建設にまだ何ほどかの役に立つのか、嬉しいことだと思って、私は泣けた。」と語っている。
私はもちろん彼の如き勇者ではないが、しかし彼よりも更に齢とってから初めて入党の機会を得たとき、また実に老謝の如くに泣いたのである。
マルクス学者としての私は今やっとマルクス主義者として自己を完成することが出来たのだが、ここまで辿り着くのは、──私はまだその時、正四位勲三等といったような肩書さえ持っていた、──私にとって実に容易なことではなかったのである。
「たどりつきふりかへりみればやまかはをこえてはこえてきつるものかな。」当時誰かが短歌雑誌で、この歌は少しも古今調を脱していない、プロレタリヤ文学も何もあったものではない、と冷かしたそうだが、私のこの一首の歌には五十四年にわたるいのちが集約されているので、古今調がどうのこうのといった標準で評価されるような歌読みの歌ではないのだ。
(河上肇著「自叙伝(二)」岩波文庫 p193-195)
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ぼくたちだ、党とは
だが、なにものだ、党とは?
電話のある建物に鎮座してるのが党か?
その考えも決断もぼくらの手の届かぬものか?
誰なのだ、党とは?
ぼくたちだ、党とは。
きみだ、ぼくだ、ぼくたちだ──みんなだ。
きみの服を着、きみのあたまで考えてるのが党だ。
ぼくが行けば党は行き、きみが襲われれば党はたたかう。
きみが行くべき道をしめせば
ぼくらもきみとともにその道を行く。しかし
正しい道でも、きみひとりでは行くな、
ひとり離れて行く道は
いちばん正しくない道だ。
ぼくらからわかれてひとりで行くな!
ぼくらのより、きみの見る道が正しいかもしれぬ、だからこそぼくらからわかれてひとりで行くな!
まわり道より近道がいい、とは誰でも言う、
だが誰かが近道を認めても、ぼくらに告げて納得させて
くれぬなら、その認識がなんのやくにたつ?
とどまって、ぼくらとともに思考せよ!
ぼくらからわかれてひとりで行くな!
(「ブレヒト詩集」飯塚書店 p70-71)
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パーベル・コルチャーゲンの手が静かに頭から帽子を取り去ると、悲しみが、大いなる悲しみが胸に満ちあふれた。
人間にあって、もっとも大切なもの──それは生命だ。それは人間に一度だけしかあたえられない。
だからあてもなく過ぎ去った歳月にいたましい思いで胸を痛めることのないように、いやしく、くだらなかった過去に、恥辱で身を焼くことのないように、また死にのぞんで、生涯を一貫して、持てるすべての力が、世の中でもっとも美しいもの──人類解放のたたかいのために捧げられたと言いきれるように、この生命を生き抜かなければならない。そして生きることを急がなくてはならない。
だって、つまらぬ病気や何かの悲劇的な出来事で、生命が絶たれることだってあるのだから。
(エヌ・ア・オストロフスキー「鋼鉄はいかに鍛えられたか -下-」新日本出版社 p75)
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共産主義者はプロレタリア一般にたいしてどのような関係にあるか? 共産主義者は、他の労働者諸党に対立する特殊な党ではない。
彼らは、プロレタリアート全体の利害から切りはなされた利害をもたない。
彼らは、プロレタリア的運動をその型にはめようとする特殊な諸原則をもたない。
共産主義者が他のプロレタリア的諸党から区別されるのは、ただ、彼らが一方では、プロレタリアの種々の国民的闘争において、プロレタリアート総体の共通で国民性から独立した利害を強調し、かつ主張するということによって、他方では彼らが、プロレタリアートとブルジョアジーとのあいだの闘争が通過する種々の発展段階において、つねに運動総体の利益を代表するということによってだけである。
それゆえ、共産主義者は、実践的には、すべての国々の労働者諸党のもっとも断固とした、絶えず推進してゆく部分であり、理論的には、共産主義者は、プロレタリア的運動の諸条件、経過および一般的諸結果にたいする見通しを、プロレタリアートの他の大衆よりもすぐれてもっている。
共産主義者の当面の目的は、すべての他のプロレタリア的諸党の目的と同一である。すなわち、プロレタリアートの階級への形成、ブルジョアジー支配の転覆、プロレタリアートによる政治的権力の獲得である。
共産主義者の理論的諸命題は、あれこれの社会改良家が発明または発見した諸理念、諸原則にもとづくものでは決してない。
それらは、存在している階級闘争の、われわれの目の前で行なわれている歴史的運動の、事実的諸関係の、一般的な諸表現にすぎない。これまでの所有諸関係の廃止は、共産主義に固有の特色ではない。
すべての所有諸関係は、絶え間のない歴史的交替、絶え間のない歴史的変化をこうむってきた。
(マルクス著「共産党宣言」新日本出版社 p71-72)
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「入党……マルクス学者としての私は今やっとマルクス主義者として自己を完成することが出来たのだ」と。
「きみの服を着、きみのあたまで考えてるのが党だ。」
「過去に、恥辱で身を焼くことのないように、また死にのぞんで、生涯を一貫して、持てるすべての力が、世の中でもっとも美しいもの──人類解放のたたかいのために捧げられたと言いきれるように、この生命を生き抜かなければならない。」と。