学習通信041111
◎「ナマコは、なぜあんな形をしているの?」……。

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 私は、しばしば、小学校・中学校・高等学校・大学の先生方や、学童をもつお父さん、お母さんたちの集まりに出かけ、子どもや青年たちの心をとらえている超能力・心霊現象・占い・予言などの「オカルト的なもの」を、現代の科学がどう考えているかについて、時には「超能力」マジックの実演つきで講演します。

 このような講演が求められる背景には、子どもたちが、そのような「オカルト的なもの」に心を傾けている状況の中で、時として、命にかかわるような事故が起こったりしていることへの不安もあると思います。しかし、同時に、大人たち自身が、「超自然的」と見える不思議な現象に心惑わされ、そうした現象を現代科学がどう説明するのかについて並々ならぬ関心を抱いているという事実もあるようです。二時間ほどにも及ぶ講演の間、顔をばっちりと私の方に向け、時には熱心にメモを取りながら目を輝かして聴く大人たちの姿は、まさに真剣そのものです。学校教育以来の科学との半ば変わった、しかし、とても新鮮な出会いに、好奇心を満たす喜びをかみしめているように思います。実際、ライオンズ・クラブ、ロータリー・クラブ、時事通信社の内外情勢調査会など、自治体関係者や企業経営者を対象とする講演も少なくないのです。

 私は、先生方やお父さん、お母さん、あるいは企業経営者たちのこうした学習の機会は、それなりに大切な社会教育の機会だと考えていますので、ウルトラ忙しい毎日ですが、できるだけ対応するように心がけています。

 不思議なことに心ひかれるのは、人間の好奇心の現れです。大昔から、人間は出会った不思議な現象について「なぜだろう」「どうしてだろう」と疑問をもって調べ、少しずつ少しずつ自然認識を発展させてきました。いろいろな事実についての人間の認識は、やがて一つの大きな体系的な姿をとり、それは「科学」と呼ばれるようになりました。

 でも、人間が自然について理解したことは、まだまだほんの一部分です。分からないことが山ほどあります。科学の立場からすれば「分からないことは、ひきつづき調べればいい」というだけのことですから、何もあわてることはないのです。

 でも、人間は少しあわて者のように思われます。不思議なことを体験したとき、それを分からないままにしておくのは心理的に何となく釈然としないので、すぐに何らかの結論を手にしたがる傾向があるようです。多くの人々が、自分が体験した現象は「超能力」に違いないとか「心霊現象」だとか主張し、あまり厳密な科学的検証も経ないままに社会に広められていきます。批判力が十分育っていない子どもたちは、そのような大人たちの非科学的な解釈にふりまわされ、「世の中には科学で説明できないこともあるんだ」という神秘主義の世界にいざなわれていくでしょう。
(安斎育郎著「科学と非科学の間」ちくま文庫 p9-10)

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「なぜ」という問いかけ

 観察・観測・実験によって、定性的であれ定量的であれ、自然現象に規則性が発見されると、「なぜ」そんな規則性が成り立つのだろう、と考えたくなりますね。私の子供が三歳のころ、まわりのすべてのことが不思議に思え、「なぜ」「なぜ」を連発して私を困らせたことがありました(私の方も、意外に、「なぜ」そうなのかを知らないことが多いのを発見してびっくりしたのですが)。いろいろなことが不思議に思え、「なぜ」と問う心こそが、人間を特徴づける「好奇心」なのです(むろん、何でも匂いを嗅ぐ我が家の犬にも好奇心はあるようですが、順序立てて考えることができるのは人間だけでしょう)。

 世界中、ほとんどの民族が「神話」をもっています。神話には、この世界(宇宙)がどうして生まれたの? 人間は誰が作ったの? この祭りはいつ始まったの? という三つの主題があるといわれています。宇宙・人間・文化の起源が語られているのです。例えば、日本の神話である「古事記」には、「ナマコは、なぜあんな形をしているの?」というゆかいな問いかけがあります。神話は、「なぜ」と問いかけてくる子供たちに対しての、親の参考書だったのかもしれません。このように、「なぜ」という問いかけは、人間が客観世界を認識したときから(二本足で立ち上がったときから?)始まったのです。

 現在においても、科学する心の本質が「好奇心」であることは変わりません。そして、科学者たちはいつも謎や難問に「なぜ」と問いかけ、それを解き明かしたいと願って研究を続けているのです。このとき、「なぜ」に対して、「そういうものだから」(「本性論」、アリストテレスはそう答えました)とか、「そのように神が決めたのだから」(「神学」、トマス・アクイナスの答えです)と答えるのでは、本当の答えになっていませんね(親は、このように答えることが多いのですが)。
(池内了著「科学の考え方・学び方」岩波ジュニア新書 p38-39)

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好奇心について

人間の先祖は

 人間の先祖は、たいへん好奇心の強いサルだったのだと思う。
 もっとも、サルといってもいろいろある。ニホンザルなんかもサルだし、ゴリラやチンパンジーなどのいわゆる類人猿も、日本語ではサルのうちだ。

 が、英語では前者(=尻尾のながいやつ)はモンキー、後者(=尻尾のないやつ)はエイプというふうに呼んで、区別する。してみるとあのモンキー・ダンスというやつ、あれはゴリラやチンパンのおどりよりも、もひとつ原始的なものであって、だから、おどるときはぜひそれらしく、自覚的にやるべきなんだろうと思う。

 というわけで、私たちの先祖は、たいへん好奇心の強いエイプだったのだと思う。

  進取の気象に富んだ、といってもいい。なにしろ、住みなれた樹上での生活をやめて地上に降りたち、平原に進出していったのだから、たいへんなものだ。

 食糧事情もふくめた自然条件の変化に余儀なくされたのだという意見もあり、それはそういうこともあったにちがいないと思うが、それだけで新しい生活への冒険にふみきることはできなかったろうとも思う。新しいものを積極的に求める、そんな資質がもともとあったからこそ、自然条件の変化という危機的な状況に直面したとき、これを前むきに突破していくことができたのだと思う。

 現存のエイプのなかでもっとも好奇心に富んでいるのは、チンパンジーだ。ゴリラやオランウータンは、そうではない。ゴリラやオランウータンは、気質的にはむしろメランコリック(憂鬱症的)な特徴をもつという。

 そして、現存のエイプのなかで人間ともっとも近しい親戚関係にあるのは、ゴリラやオランウータンではなく、やはりチンパンジーなのだという。

 たいへん好奇心の強いエイプであった先祖の血が、自分の血管のなかを流れていることを、私はひそかに自覚している……。

未知との遭遇

 私の忘れられない童話のなかに、古田足日『大きい一年生と小さな二年生』(偕成社)がある。

 大きい一年生のまさやにとっては、がけの道がこわい。道の両がわに赤土のがけがきりたっていて、そのがけの上には木がいっぱいしげっている。そしてときどき、カラスがギャオ、ギャオ、とないている。近づいていくと、暗い林のまんなかにぽっかりと口があいて、赤土の坂道がつづいているところ、まさやにはおそろしい巨人の口のようにみえる……。

 そのまさやが、ある日決心して、遠い一本杉の森へでかける。森はひろい。ふと小鳥の声がとだえて、森がしいんとする。まさやは、まわりを見まわす。まさやにむかって手をふりあげているような木、目をかっとひらいておこっているような木。そして、木と木のあいだのくらいしげみには、銀色の宇宙人が立っていて、まさやをじっとみつめているように思える……。

 わかる。よくわかる。身におぼえがある。たしかに遠い少年の日、こんな感覚を味わったことがある。その記憶がよみがえってくる。

 ──そしてふと思う。この記憶、これはたんに自分の少年の日の記憶にとどまらない、新しい環境へと冒険的な進出を試みた私たちの遠い遠い先祖の感覚の記憶でもあるのではないか、と。

 好奇心と恐怖とは紙一重のところがあるのだ。未知との遭遇において、その遭遇した未知のものが、これまでの経験のわくをはみだす、そのはみだしの度合が適度なものであるときは、「はて、なんだろう」という好奇心、探索欲求がひきおこされるが、はみだしの度合があまりにも大きすぎると、恐怖や不安の感情がひきおこされる。「こわいもの見たさ」というのは、そのボーダー・ラインのところに生じる感情だろう。

 好奇心旺盛な私たちの先祖は、新しい環境に進出するなかで、さまざまな「未知との遭遇」の体験をもったにちがいない。そしてそれは、まさに「恐怖とのたたかい」でもあったにちがいない。原始人のあいだにひろくいきわたっていた魔物についての信仰も、こうした体験をくぐっているのにちがいないと思う。

猿と人との境界線

 まさやは一本杉の森のなかで「恐怖とのたたかい」にうちかった。それによってまさやは大きく成長した。がけの道も、もう少しもこわくなくなった。

 まさにそのようにして、私たちの先祖は人間に成長していったのだと思う。

 チンパンジーもときとして、新しい環境へ冒険的な進出を試みる。すなわちかれらの生活は、樹上4にたいして地上6くらいの割合であり、草原地帯へもちょくちょく顔をだす。

 遠くの木の実がみのると、その草原の長い距離を四足で歩いて食べにいくこともあるという。しかし、森林をすっかりはなれることは、ついにチンパンにはできなかった。そのためにかれらは、いまだにチンパンにとどまっている。

 どんな恐怖がチンパンを、草原の住人になることからおしとどめたのか、それは知らない。が、あの好奇心の強いチンパンが、人間から見ればじつにつまらないものにたいへんな恐怖を示すということは、実験によってたしかめられている。

 もっとも、人間にだって、クモとかヘビとか毛虫とかに失神する人もいるらしいから、あんまり大きな口はたたけないかもしれないが、たとえばマネキンの頭やチンパンの頭部の模型なんかは、きわめて強い恐怖反応をチンパンにひきおこすという。

 とくに、そうしたものを人が手でもちあげて運んでいくのを見たときは、恐怖のあまり凍りついたようになり、もしくはブルブルふるえたという。それはチンパンにとって、過去の経験のわくぐみにはまったくおさまらない、あまりにもえたいの知れないものだったのだろう。

 チンパンの好奇心は、一定度以上、ついに恐怖にうちかたなかったのだと思う。そのためにチンパンは、開かれた世界の入り口のところでとどまった。いまだにそこにとどまっている。

 これにたいして人間の先祖は、チンパンがとどまった一線を、勇気をふるってふみこえたのだと思う。そしてそれによって、エイプと人間とのあいだの一線がふみこえられたのだと思う。

マルクスと競輪

 「まるで見てきたような話だなあ」とA君がいった。「でもそれ、おもしろいね。ほんとだと思うよ」 「好奇心をなくしたら、人間はチンパン以下になるね。シラケというのは、好奇心をなくしてしまった状態といってもいいんじゃないかな」とB君が応じた。

 「そうね、私なんか好奇心でいっぱいだから、シラケてるひまなんてないわ」とC子がいった。

 ふと、A君がいった──「マルクスも好奇心の強い人だったんだろうか」

 それはもう、きっとそうだったと思うな。「好きな格言は」という娘の問にこたえて「人間的なことで私に縁のないものはない」というのをあげているのが、その証拠だ。たしかこれ、もと、ローマの喜劇作家テレンティウスの句だったと思うが。

 「すると、その人間的なこと≠フなかには、パチンコや競輪なんかも入るの?」とB君がいった。

 それはもちろん、入るだろう。まさかパンダ的なことではなかろうじゃないか。ローマ時代にパチンコがあったかどうかは知らないけどね。

 そこで議論になった。テレンティウスの場合はともかく、マルクスの場合、もしパチンコや競輪がその時代にあったとすれば、かれはパチンコや競輪をやっただろうか?

 おおいにやったはずだとB君はがんばり、それは疑問だ、とA君やC子はいった。

 私も、それはやっぱり疑問だと思う。が、それはマルクスが、パチンコや競輪には無関心だったろうということではない。人間的なことの一つとして、関心をもったにちがいないと思う。しかし、パチンコや競輪のほかにも、それ以上に人間的なものがあまりにもたくさんありすぎて、パチンコや競輪への関心にたくさんの時間をさくひまは、たぶん、なかったのではないか、と思うだけだ。
(高田求著「新人生論ノート」新日本出版社 p119-124)

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◎「人間は出会った不思議な現象について「なぜだろう」「どうしてだろう」と疑問をもって調べ、少しずつ少しずつ自然認識を発展させてきました。いろいろな事実についての人間の認識は、やがて一つの大きな体系的な姿をとり、それは「科学」と呼ばれるようになりました。」……。

◎「好奇心旺盛な私たちの先祖は、新しい環境に進出するなかで、さまざまな「未知との遭遇」の体験をもったにちがいない。そしてそれは、まさに「恐怖とのたたかい」でもあったにちがいない。」……。

◎新しい課題が目白押しの日本。変革への好奇心≠わかそうではないか。