学習通信041112
◎「驚きの叫び声をあげる梟の一族」……。

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 男と女はちがう。どちらが優れている、劣っているということではなく、ただちがう。両者に共通しているのは、種が同じということだけ。住んでいる世界もちがえば、価値観もルールもちがう。誰もが知っている事実だが、あえて認める人は、とくに男性ではほとんどいない。しかし真実は動かしがたい。その証拠を見てみよう。

 欧米諸国では、結婚した男女の約半数が離婚する。最初のうちはいくら仲が良かった夫婦でも、長続きしないで終わってしまうのだ。文化や信条、肌の色に関係なく、世界のどこでも、男と女はおたがいの意見や行動、態度、信念をめぐって言いあらそっている。

誰が見ても明らかなこと

 男がトイレに行くとき、目的はおそらくひとつしかない。いっぽう女にとって、トイレは社交ラウンジであり、セラピールームでもある。おたがい見ず知らずで入った者どうしが、出てくるときは親友や生涯の友になっていたりする。でも、もし男が「おい、フランク。俺はいまからトイレに行くけど、いっしょにどうだい?」などと言ったら、たちまち噂になるにちがいない。

 また、男はテレビのリモコンを独占して、コマーシャルになるとすぐチャンネルを変えたがるが、女は平気でそのまま見ている。仕事や人間関係で行きづまったとき、男は酒をあおったり、いきなり海外旅行に出かけたりするが、女はチョコレートを口に放りこんで買い物に出かける。

 女は男のどんなところに不満を覚えるか。鈍感、のんき、人の話を聞かない、やさしくない、話をしてくれない、愛が足りない、二人の関係を大事にしない、触れあいは二の次でセックスばかりしたがる、上げた便座をおろさない。

 では男は女のどんなところにいらいらするか。運転がへた、標識を見落とす、地図を上下さかさまにしないと読めない、方向音痴、むだなおしゃべりが多すぎる、セックスしたくても自分から誘わない、用がすんだあと便座を上げておかない。

──略──

 男は探しものを見つけられないくせに、CDはアルファベット順に並べる。女は車のキーがどこにあっても探しだせるくせに、目的地への最短ルートを見つけられない。男は、男のほうが分別があると思っており、女は、女のほうが分別があると確信している。

トイレットペーパーがなくなったとき、補充する男の割合は?
不明。そんな実例にお目にかかったことがないから。

──略──

 ドライブしていて道に迷ったとき、女ならすぐ車を停めて道をたずねるだろう。だが男にしてみれば、それは白旗を揚げて降参するに等しい。だからそのへんをむなしく何時間でも走りまわって、「ほほう、ここを通ってもあそこに出られるのか」とか、「だいたいこのあたりなんだが」「このガソリンスタンドは見覚えがあるぞ!」などと口走る。

男と女は役割がちがう

 男と女が異なる進化をしてきたのは、その必要があったからだ。男は狩りをして、女は木の実や果実を採った。男は守り、女は育てた。それを続けた結果、両者の身体と脳は、まったく別ものになった。

 男女の身体は、それぞれの役割に合わせて発達していった。たいていの男は女より背が高く、力も強くなった。そして脳のほうも、役割に応じて進化していった。

 こうして何百万年ものあいだに、男と女の脳はちがう方向に進化していき、その結果、情報の処理のしかたまで変わってきた。いまや男と女では、考えかたはもちろん、理解のしかた、優先順位、行動、信念までことごとくちがう。

 その事実に見て見ぬふりをしていると、あなたの人生は悩みと混乱が支配し、幻滅ばかりすることになるだろう。
(アラン・ピーズ+バラ・ピーズ著「話を聞かない男、地図を読めない女」主婦の友社 p21-24)

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 われわれは日ごとに進んでゆく大きな社会的変革の時代に住んでいる。たえず激しさを増してゆく精神の不安・動揺は、社会のあらゆる階級の間に顕著となり、根本的改造を求めて押し進む。ひとはみな自分の立っている地面がぐらつくのを感ずる。幾多の問題が起こってきて、ますます広い範囲の人々の注意をひき、その解決に関して賛否それぞれの立場から論争される。かような問題のうち最も重要なものの一つで、ますます前景に現われつつあるのは、婦人問題である。

 この場合問題となるのは、婦人がその才能と力量とを各方面に展開して、人間社会の完全な、同権の、そしてできるだけ有用な組成員となるには、彼女は現代の社会組織においていかなる地位を占めたらよいか、ということである。

われわれの立場からいえば、この問題は、個人と社会の生理的ならびに社会的健全が圧制や搾取や貧困にとって代わるには、人間社会はいかなる形態と組織とをとらねばならないか、という問題と関連する。そこでわれわれにとって婦人問題は、今日いやしくも思考力を有するすべての頭脳を満たし、すべての精神を動揺せしめるところの、一般的社会問題の一部面たるに過ぎない。

それゆえ、この問題の最後の解決は、諸種の社会的対立を廃止し、それらの対立に起因する害悪をとり除くことによって、はじめて見いだされうる。

 とはいえ、婦人問題を特別に取り扱うことはやはり必要である。第一に、婦人の地位は昔はどうであったか、今はどうであるか、また将来はどうなるであろうか、という問題は、少なくともヨーロッパでは社会成員の過半数──なぜなら、女性が人口の過半数を占めているから──にかかわる問題である。のみならず、数十世紀間に経てきた婦人の社会的地位の発展に関する諸説ははなはだ事実にそぐわぬものであって、これの解明はまた一つの必要事である。

このますます激しくなってゆく運動を観察するに当たって、各方面の人々の間に、しばしば婦人たち自身の間にすら、行なわれるところの偏見の大部分は、じつに婦人の地位に関する無知と無理解とに基づくものである。多くの人たちは、もともと婦人問題なぞは存在しないとさえ主張する。その理由とするところは、婦人が従来とりきたり、今後もまたとるであろうところの地位は、彼女たちを妻と母とに定め、家庭生活に局限するところの「自然的職分」によって与えられたものである。

彼女たちの居間の外にあるもの、またはその家庭的任務となんら密接な関係のないものについては彼女たちは全然これを関知しない、というのである。

 そこで婦人問題においてもまた、一般的社会問題──この場合は労働者階級の社会的地位が主な問題である──におけると同様に、種々の党派が対立することになる。一切を従前どおりに保存しようとする一派の人々は、しごく簡単な答えを手もとに持ち合わせている。すなわち彼らは婦人をその「自然的職分」にさし向けることによって問題は解決したと信じている。

数百万の婦人たちは、後に詳述するであろうような原因のために、この、彼女たちに要求される主婦、分娩者、および子供の教育者としての「自然的職分」をまるで満たし得ないような境遇に陥っていること、また他の数百万の婦人たちにとって結婚は束縛や隷属となり、かつ貧困不遇のうちにみじめな生活を送らねばならぬために、彼女たちはその天職の大部分を取り逃がしていることをば、彼らは見ないのだ。もちろんこの事は、これらの「賢者たち」をいっこう苦しめない。

それはちょうど、数百万の婦人たちがかろうじて露命をつなぐために種々の職業に従事して、しばしば最も不自然な仕方で、またはその力以上に、労役せねばならないという事実が、彼らを苦しめないのと同じである。彼らは、かような好ましからぬ事実に対しては、無産者階級の貧窮に対すると同様に、耳目をおおい、それは今まで「たえず」そうだったのだから今後も「絶えず」そうであろうと言って、自他を慰めている。

婦人もまた現代文化の成果の十分な分け前をうけ、それをば彼女たちの地位の改善と軽減とに利用し、かつ精神と肉体のあらゆる能力を開発して、男子と同じくそれらを自分たちの利益となるように使用する権利かあるということを、彼らは全然認めない。

まただれかが彼らに向かって、婦人か異性の慈善や恩恵にたよらずにすむように身体と精神の独立をのぞむならば、また経済的にも独立しなければならぬ、などと告げようものなら、たちまちにして彼らの堪忍袋の緒はきれ、怒りは燃えあがり、「時代の錯迷」と「気ちがいじみた解放運動」とに対する猛烈な非難のあらしがこれに続くのである。

 かようなのが、偏見の狭い領界を超えない男女の俗物どもである。彼らは、くらやみが支配する場所には至る所に住み、一すじの光線でもその居心地のよい暗の中にさしこむ時はたちまち驚きの叫び声をあげる梟の一族である。
(ベーベル著「婦人論 -上-」岩波文庫 p15-17)

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 婦人論、婦人問題を研究するにあたって何はさておいても読まなければならないし、また読まれている本、「婦人論」(原名「婦人と社会主義」)は、ドイツ社会主義運動の設立者、アウグスト・べ−ベル(一八四〇年―一九一三年)によって、一八七九年に出版されました。

一八七九年という年、それは経済的には資本主義が独占資本主義へ向けて移行しつつある時期であり、資本主義的に急速な成長をせまられていたドイツにとっては七〇年代は中小企業の整理、破滅、そして労働者、特に婦人、青少年労働者の収奪を強め、矛盾を深めつつ独占の形成をおしすすめつつある時、政治的には一方で政治的に次第に目ざめてきた労働者階級が小ブルジョア民主主義と決別し、大衆的社会主義政党の形成・成長を遂げつつあったときでした。そして他方では、それに対する弾圧がなされ、ビスマルクによって一八七八年、すなわち「婦人論」の書かれた前年には、社会主義者取締法が恥しらずにも施行されたときでした。

 ベーベルはこの「婦人論」の研究と準備を、一八七〇年の普仏戦争と軍事公債発行に反対して逮捕され、それから二年間の禁固刑に課されていた拘禁中に行ったのですが、ベーベルが次第に社会主義思想を持ち社会主義政党の設立に全力を尽した背景には、そのような当時の社会的、経済的基盤があったのです。この本の第一版は一八七九年、その前年の社会主義取締法の公布にもとづく社会主義的著作の弾圧で、その発行が非常に危険で、困難であった中でライプツィッヒで発行されました。第二版は「過去・現在・将来の婦人」と題名をかえて発行されました。

一八九〇年に社会主義者取締法が廃止されて、やっとこの本も解禁となり、一八九一年書き直されて第九版が発行され、そしてナチの時代に又しても焚書にされるまで改訂されつつ版を重ね、ナチの時代の発売禁止の後、第五五版も発行されてきています。この本はこのように困難きわめた中に発行され、そしてこのような社会主義思想弾圧の対象となった本であったので、ドイツ女性のみならず全世界の進歩的・前進的女性から大きな喜びをもって迎えられ、婦人運動の指針とされてきました。

ベーベルは第三四版序文で「本書の目的としていること、そしてあえていうなら本書がおおいにやりとげたことすなわち婦人の完全な同権に反対する偏見との闘争、またこれが実現をみなくては婦人の社会的解放が保証されない社会主義思想の宣伝──この本は、そのことを今度のような形においても、さらにおおいにやりとげてほしいものである」と述べていますが、真にこの本は、職場で、家庭で、男女間の差別に大いに悩まされ、憤怒させられている私達女性の地位が、ずっと昔からこうであり、将来もこのまま続くという思想が、如何にまちがったものであるか、それは歴史的に形成されてきたものであり、されるものであるということを、全く実証的に明らかにしています。

したがってこの本は単なる婦人解放のための手引書ではなくて、婦人のその従属的な地位が形成されてきた過程、そして又労働者階級及び被支配者階級が形成され、位置づけられてきた過程を、生産を中心とする人と人との関係、すなわち生産関係において把握し、その過程が生産関係に照応して変化するものであることを明らかにしているのです。この点は非常に重要です。まさに婦人問題、婦人解放の問題は生産関係、階級関係と密接に結びつき、それによって規定されているわけです。

 ベーベルのこの「婦人論」は、原則的なマルクス主義の見地から婦人問題がとりあつかわれており、その点でフリードリヒ・エンゲルスの「家族、私有財産および国家の起源」と並べて婦人論古典で重視されています。
(佐々木・津田・金谷・柴田著「婦人論古典紹介」働く婦人の講座G 汐文社 p3-5)

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──「百万の婦人たちにとって結婚は束縛や隷属となり、かつ貧困不遇のうちにみじめな生活を送らねばならぬために、彼女たちはその天職の大部分を取り逃がしていることをば、彼らは見ないのだ。」

──「しばしば婦人たち自身の間にすら、行なわれるところの偏見の大部分は、じつに婦人の地位に関する無知と無理解とに基づくもの」……。