学習通信041113
◎「永劫不変なのは、ただ転化・変遷そのもの」……。

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 昔々、はるか昔のこと、男と女は仲むつまじく楽しく暮らしていた。男は危険だらけで油断のならない外界に毎日出かけては、自分の生命を賭けて食べ物を手に入れる。それを女と子どもたちに食べさせ、猛獣や敵から家族を守らなくてはならなかった。こうして長い距離を自由に動きまわる感覚が発達し、動く標的を確実にしとめるために弓矢の腕もあがった。男の職務内容をひと言で表すとすれば、メシの調達係に尽きる──それが、男に期待される役回りだった。

 いっぽう女は、男が家族のためにわが身を賭してくれることで、自分の価値を実感していた。男の優劣は、獲物を殺して家に持ってかえれるかどうかで決まり、その奮闘ぶりを女が認めてくれれば、男の自尊心は満たされた。メシ調達係兼保護者という職務を遂行しさえすれば、家族は男を頼りにしてくれたのだ──「三人の関係を見つめなおす」必要もなければ、ゴミを出したり、おむつ交換を手伝うことも求められなかった。

 女の役割もまた明確だった。子育て係に任命されたことで進化の方向も定まり、その任務に見あった能力を発達させていった。周辺に危険はないか監視し、家の周囲の狭い範囲を動きまわる能力を磨いた。目印を頼りに道を見つけたり、わが子にかぎらず相手の行動や外見の微妙な変化に気づくのが得意になった。

 女は子どもの世話をしたり、果物や野菜、木の実を集めたり、同じ群れの女たちといっしょに過ごしたりして一日を送る。食料調達の最終責任を負う必要はないし、敵と戦うこともない。家族生活をきちんと維持できるかどうかで、女の優劣は決まる。家事や子育てがじょうずだと男に認めてもらうことで、女は自尊心を満足させるのである。生命をはぐくむ秘密は女性しか持っていないので、子どもを育てる能力は神秘的なもの、神聖なものとされていた。だから動物を狩ったり、敵と戦ったり、切れた電球を交換する役目は女に期待されなかった。

 こうして、生きるのがせいいっぱいで、人間関係まで手が回らなかった時代が何十万年も続いた。一日が終わると、狩人たちは獲物を持ってかえってくる。獲物は平等に分配され、同じ洞穴に暮らす仲間といっしょに食べる。女たちが集めてきた果物や野菜と交換もする。

 食事を終えると、男たちはたき火のまわりに陣取って、燃えさかる炎を眺めたり、ゲームに興じたり、物語を語ったりする。いまならリモコンでテレビのチャンネルを変えたり、新聞を読みふけるようなものだ。狩猟で疲れきった男たちは、翌日に備えて休養しなければならない。

女たちは子どもを世話しながら、男が空腹を満たし、ゆっくり休めるよう気を配る。ここでは、男も女もおたがいの貢献を認めている──男は寝転んでいるからといって粗大ゴミ扱いされないし、女は「私は家政婦じゃないんだから」と憤ることもない。
(アラン・ピーズ+バラ・ピーズ著「話を聞かない男、地図を読めない女」主婦の友社 p33-35)

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 被圧者たることは、婦人と労働者と同じである。抑圧の形式は時代の経過にともない、国の異なるにしたがって変わってきたが、抑圧そのものは依然としてやまない。

被抑圧の認識は、なるほど長い歴史の発展の間にたびたび被圧者の意識にのぼって彼らの境遇の変化と緩和とをもたらしはしたが、しかし労働者と同様に婦人もまた、この抑圧の本質をその原因のなかに見てとることができたのは、何といっても現代の社会的発展の結果である。

まず社会の本質と社会発展の基礎をなす法則とが知られた後でなければ、この不正と認められるに至った状態の絶滅を目的とする運動は確実な成功の見込みを得ることができない。だが、そのような運動の広さと深さとは、被圧階級の間にひろがる洞見の分量と彼らがもつ運動の自由の分量とによって定まる。

ところが、婦人はそのいずれの点でも、風習や教育のために、また限られた自由のために、労働者におくれている。なお一つの事情がある。すなわち、幾世代となく長く継続してきた状態がついに習慣となり、かつ遺伝と教育とは男子にも女子にもそれをば「自然的」と見えるようにした。

だから今日もなお、特に婦人は、自分の従属的地位をほとんど当然のことに思っている。この地位が不当のものであって、彼女たちもまた男子と同権の、あらゆる点で同等の、社会の一員となるように努力しなければならぬということを理解させるのは容易でない。

 しかしながら、婦人と労働者との地位についてどれだけ多くの類似点があげられようとも、婦人は次の一事において、労働者に先んじている。すなわち、彼女は奴僕の務めに服した最初の人間であった。いわゆる「奴隷」が存在しなかった以前に、婦人はすでに奴隷となったのだ。

 一切の社会的従属および抑圧は、被圧者の抑圧者に対する経済的従属に基づいている。婦人は古い時代からこの状態に陥っていた。これは人間社会の発展の歴史が教えるところである。

 この発展に関する知識は、比較的新しいものである。聖書の教えるような世界創造の神話が、争うべからざる無数の事実に根拠を置く地質学や博物学や史学などの研究に対抗し得なくなったと同じく、人類の創造と進化とに関するその神話もまた、とうてい保持しがたいものであることが明らかになった。

もっともこの進化史の全部分が明らかにされたわけではない。またすでに解明された部分に関しても、その意義や諸現象間の関係やについて学者の間に意見の相違を見るものも少なくないが、大体においては明確と一致とが得られている。

最初の男女の一組について聖書が述べているとおりに人間は文化人として地上にあらわれたのではなく、無限の長期間において純然たる動物状態から次第に解放されつつ進化の段階をたどり、その間に社会関係も男女関係も種々さまざまな変遷を経て来ていることは確実である。

 男女関係や貧富の関係について、無知な人々または不正直な人々の口から毎日聞かされるところの、「それは絶えずそうであった」、そして「それは永久にそのままであろう」という、あのしごく都合のよい言い草は、どの点から見ても虚偽であり、皮相であり、ごまかしである。

 原始時代以来の両性関係の略述は、本書の目的上重要である。なぜというに、すでにこれまでの人類進化の過程において、一方では生産方法が、他方では生産物の分配方法が変化するにしたがい、両性関係もまた変化して来たのを見れば、今後の生産方法と分配方法との変化にともなって当然両性関係もいま一度変化するであろうということは、おのずから明白だからである。自然界においても人生においても、何一つ「永劫不変」なものはない。永劫不変なのは、ただ転化・変遷そのものである。
(ベーベル著「婦人論 -上-」岩波文庫 p23-25)

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◎「女の役割もまた明確だった。子育て係に任命されたことで進化の方向も定まり、その任務に見あった能力を発達させていった」と。

◎「それは絶えずそうであった」、そして「それは永久にそのままであろう」という、あのしごく都合のよい言い草は、どの点から見ても虚偽であり、皮相であり、ごまかしである。

◎「話を聞かない男、地図を読めない女」……○文庫版に寄せて

 日本で出版された『話を聞かない男、地図が読めない女』は、あっというまに二〇〇万部近くも売れるベストセラーになりました。二〇〇〇年七月に、私たちが出版プロモーションのために日本を訪れたときも、この本の反響の大きさにびっくりしたものです。日本での大成功がきっかけとなって、この本は世界的にも注目を集め、三四ヵ国語に訳されて総計六〇〇万部の大ヒットになりました。そのうち四二ヵ国では、ベストセラーリストの第一位に輝いています。

 そして今回の文庫版では、最新の研究結果や脳スキャンの画像から得た情報も新たに加えて、男と女の行動のちがいを説明しています。

 私たちの本を熱心に読んでくれる日本の読者のみなさんに、心から感謝します。
  アラン&バーバラ・ビーズ