学習通信041114
◎「つねに新しいものは古いもののなかからうまれでる」……。
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これまで鎌倉新仏教という用語を何のことわりもなしに使ってきたが、ときおり指摘されるように、この言い方には問題がなくはない。一口に鎌倉新仏教といっても、その内実はといえば、浄土宗、禅宗、日蓮宗、さらに時宗(時衆)など、それらの宗教的性格は、教義のうえでも、教団のあり方でも、さらにとくに平安旧仏教との連関の点でも、じつに多様であり、この面からいえば単純にこれらを一括することは、困難にみえるかもしれない。
しかし、それらの諸側面の多様性にもかかわらず、鎌倉幕府の成立の前、一一七五年における法然の専修念仏への帰入から一〇〇年ほどの期間は、社会の、音をたててすすむ激変を背景に、それを反映して、旧仏教の弊風を打破しようとする宗教的な新しい潮流が力強くひらけていった。
宗教の新しい時代を担う祖師たちは、真摯な修行と探究をとおして、おのが道を選びとり突きすすんだのであり、そのさい、社会の諸様相の複雑な展開にふさわしく、屈折した反映をも伴いながら、かれらの行路が画一的ではなく、反対にきわめて多様なものとなるのは、むしろ当然である。それらの多様性のなかにこそ、新しい時代の表出があり、多様性のなかに表出されるこの新しさの特質こそが、われわれがそれらの諸宗を鎌倉新仏教として統一的にとらえる基礎をなしているといえるだろう。
もとよりつねに新しいものは古いもののなかからうまれでるのであり、鎌倉期の新しい仏教諸宗が旧仏教との連続性の側面をもつのは当然であり、この面からみれば、それらの諸宗は、結局、平安仏教(天台宗・真言宗)の幅広い内容をもつ潜在力が、時代の変貌に照応して、それぞれの契機においてきわだって顕在化し、展開し、場合によっては数行的な進展をとげたともいわれなくもないだろう。
そこから、鎌倉期の宗教にあえて独創をみてとることに躊躇(ためら)いがちな傾向も生まれうるだろう。このようにみれば、つまるところ、潜在的なものの展開等として、すべてふたたび天台・真宗二宗のうちに包みこまれてゆくことになる。
歴史における古いものからの新しいものの進展は、総じて多かれ少なかれ連続と非連続との両側面をもつのであり、宗教を含めて思想においても、程度はさまざまであれ、とくにこの特徴が看取される。
(岩崎允胤著「日本思想史序説」p314-315)
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現代の社会主義は、その内容からいえば、まず、一方ではいまの社会にゆきわたっている、有産者と無産者、資本家と賃労働者の階級対立の直観から、他方では生産のなかにゆきわたっている無政府状態の直観から生まれた産物である。
しかしその理論的形式から言えば、それは、はじめは、一八世紀のフランスの偉大な啓蒙思想家たちがうちたてた諸原則をひきつぎ、さらにおしすすめたものとしてあらわれ、しかもいっそう徹底させたものということになっている。
あらゆる新しい理論がそうであるように、いかに深くその根が物質的な経済的事実のなかにあったにしても、それはまずすでに存在している思想上の素材に結びつかなければならなかった。
(エンゲルス著「空想から科学へ」新日本出版社 p23)
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◎「あらゆる新しい理論がそうであるように、いかに深くその根が物質的な経済的事実のなかにあったにしても、それはまずすでに存在している思想上の素材に結びつかなければならなかった。」と。