学習通信041115
◎「男子は、これらの富の源泉の事実上の主人」……。

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父権の勃興

 人口の増加とともに多数の姉妹氏族が生じ、それはさらに多くの子氏族を産んだ。それらに対して元の氏族は大氏として区別された。多くの大氏が集まって種族を形づくる。この社会組織ははなはだ固く、古い氏族の掟のすたったあともなお、古代国家の軍事的組織を形成したほどである。種族は多くの部族にわかれ、それらはみな同一の掟を持ち、そのおのおののうちに昔の氏族を見つけることができた。

けれども氏族の掟は、兄弟姉妹の結婚はもとより、母方のもっとも遠い親族との結婚をさえ禁じた結果、自己の滅落を招くこととなった。社会的および経済的発展の結果ますます複雑となっていった各氏族間の関係のために、異氏族間の結婚禁止は次第に実行不能となり、おのずから破れ、かつ破られるに至った。

生活資料の生産がいまだ最低の段階に立ち、きわめて単純な要求よりほか満たされなかった間は、男女の活動は本質的には同一であった。だが、分業の増進とともに、仕事の区別のみでなく、利得の区別もまた始まった。漁撈、狩猟、牧畜、農耕などはそれぞれ特別の知識を要求し、なお多くの道具や器具の製造を必要としたが、それらはおもに男子の所有に帰した。この発展のさいに前景に立った男子は、これらの富の源泉の事実上の主人となり、所有者となった。

 人口の増加にともない、広大な牧場や耕地を得ようとする努力にともなって、最良の土地を占めるための軋轢や闘争が始まったばかりでなく、また労働力に対する需要をも生じた。この労働力が多ければ多いほど、生産物や畜群の富は大きかった。これはまず婦人の掠奪を導き、さらにまた、最初は殺していた被征服者の奴隷化を導いた。かくして二つの要素が古来の氏族の掟に導入され、それらは次第にこれと調和しがたくなった。

 その上にもう一つの要素が加わった。分業の増進にともな。て、道具、器具、武器などの需要が増した結果、手工業が起こり、独自の発達をとげて、次第に農業から分離するにいたった。特に手工を業とする人たちを生じ、彼らは財産ならびに財産の相続に関して全然達った関心を持つようになった。

 血統は母系によって定まるのだから、したがって氏族の親族が彼の母方の死んだ仲間から相続した。財産は氏族の中に残った。新しい状態のもとでは、父は財産所有者、すなわち家畜群や奴隷や武器や物品の持ち主となり、手工業者や商人となりながら、彼がなお母の氏族に属するかぎり、彼の財産は死後その子供のものとはならずに、彼の兄弟や姉妹の子供や、または姉妹の後継者に帰属した。

彼自身の子供は無一物のまま出て行かねばならなかった。そこでこの状態を変えようとする要求が非常に強くなり、それはついに変えられた。まず複数婚の代わりに対偶婚家族が生じた。あるきまった男子があるきまった女性と同棲して、その関係から生まれた子供は彼ら自身の子供であった。氏族の掟から出た婚姻禁止か結婚を困難にし、上述の経済的原因がこの家族生活の新形式をますます好ましいものに思わせるようになるにつれて、この対偶婚家族はますます増加した。

共産制に基づいた古来の状態は、私有財産と両立しなくなった。住所を選定するに当たっては、階級と職業とが決定的条件となった。あらたに起こった貨物の生産から近隣の他民族との取引が始まったが、それは貨幣経済を要件とした。この発展を指導し、支配したのは男子であった。それゆえ、彼の個人的利害は古い氏族の組織とはもはや何らの本質的接触を有せず、氏族の利害はしばしば彼の利害と相反することさえあった。

かくして氏族の意義は次第に減じていった。ついに氏族は家族団体の宗数的儀式をつかさどることだけにわずかに名ごりをとどめ、その経済的意義は消滅して、氏族の掟の全き解消はただ時間の問題となった。

 この古い氏族組織の弛みとともに、婦人の地位と勢力とはにわかに衰えた。母権は消滅して、父権がこれに代わった。財産所有者としての男子は、彼か嫡出とみとめて自分の財産の相読者となしうる子供に対して関心を持つようになった。そこで彼は妻に向かって他の男子たちと交わることを厳禁した。
(ベーベル著「婦人論 -上-」岩波文庫 p46-48)

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──実際には、相続制度はすでに私的所有を前提としており、そして、この後者は交換の出現とともにはじめて発生するのである。その基礎には、すでに萌芽しつつある社会的労働の専門化と市場における生産物の譲渡とがある。

たとえば、アメリカ・インディアンの原始共同体の全成員が、彼らに必要なすべての生産物を共同でつくり上げていたあいだは、私的所有もまたありえなかった。ところが、共同体のなかに分業がはいり込み、その成員がそれぞればらばらになんらかの一生産物の生産に従事するようになり、そして、その生産物を市場で売るようになったとき、そのときに商品生産者のこの物質的孤立性の表現となったのが、私的所有の制度だった。

私的所有も相続も、すでに個別化した小さな家族(一夫一婦制家族)が形成されて、交換が発展しはじめたときのような社会諸制度の概念である。ミハイローフスキイ氏があげている例は、彼が証明しようとしたのとちょうど反対のことを証明しているのである。
(レーニン著「「人民の友」とはなにか」新日本出版社 p46-47)

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◎「私的所有も相続も、すでに個別化した小さな家族(一夫一婦制家族)が形成されて、交換が発展しはじめたときのような社会諸制度の概念である」と。