学習通信041118
◎「自由な鳥」……。
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第一章 見えないかごの中で
人間が今のように偉大なものではなく、小びとのように見すぼらしいものだった時代があった。自然を支配するものではなく、自然に仕える柔順などれいだった時代があった。
人間は、森に住むけものや、空を飛ぶ鳥のように、自然に対しては無力だったし、また、何ごとも自由にはできなかった。
というと、けものや鳥も自由ではないということになるが、ほんとうにそうだろうか。木から木へ身軽に飛び移るリスは、森で自由にくらしているのではなく、かごに閉じ込められているのだろうか。カバの木を夢中でつついているキツツキは、カバの木に鎖でつながれているのだろうか。
そんなことは信じられない。鎖につながれたキツツキを森で見た人がいるだろうか。かごに入れられたリスを森で見た人がいるだろうか。
見た人はいない。いや、見られないはずだ。そのかごも鎖も目には見えないのだから。
むかし、人間もこのようなかごに閉じ込められ、見えない鎖でつながれていたのである。
では、人間は、どうやってその鎖を切り離し、そのかごから飛び出すことができたのだろうか。それを知りたかったら森へ行くがいい。そして、自由でない人間の親類たちが、どんなくらしをしているかを観察したらいい。
人間の歴史を物語るこの本は、森をぶらついて、そこにいるけものや鳥と話し合うことから始められる。
「自由な鳥」について
「鳥のように自由だ」ということばがあるが、キツツキはほんとうに自由だろうか。
もし、キツツキが自由な鳥なら、どこでも好きな所へ飛んで行けるし、好きな場所でくらせるはずである。ところが、そうではない。キツツキを草原で放したら、おそらく死んでしまうだろう。キツツキは木のある場所でなければ生きていけないのだから。リスも見えない鎖で木につながれていて、どうしても鎖を断ち切れないでいる。
では、そのほかの鳥……たとえば、モミの実をついばむイスカ類はどうだろうか?
この鳥もキツツキと同じように、森でなければ生きていけないし、キツツキよりもっと不自由である。同じ森でもモミの森でないと生きていけないのである。
この鳥にいちばん近い親類に、松の実をついばむイスカがいるが、この鳥は松の森でなければくらせない。
モミの森でくらすイスカは、見えないかごをかぶせられて、どうしても外へ出してもらえないようなものである。
松の実をついばむイスカは、どうしても松の森から離れられない。それは、見えない壁ですっかり囲まれているのと同じである。
森の中の散歩
諸君は、森を散歩しながら。一足ごとに見えない壁を通り抜けている。木へよじ登るなら、見えない天井を頭で突き破っている。目に見えなくても、森はみな動物園のように、大小のおりやかごに分かれているのである。
諸君は、森を散歩しながら、そのようすがだんだん変わっていくことに気がつくだろう。モミの木が松の木に変わり、松の木にも高い松と低い松とがある。ある場所では足もとで白いコケがカサカサと音をたてる。また、別の場所には高く伸びた草がおい茂っている。その隣にはまたコケがあるが、今度は白いコケではなく、緑色のコケである。
近くの別荘にいる人が見れば、この森は同じ一つの森である。しかし、森林学者に尋ねれば、この森は四つの森から成っていると教えてくれるだろう。つまり、しめっぽい低地にはモミの林があって、そこには柔らかい羽ぶとんのような厚いコケがいちめんにはえている。その先の斜面の砂地には松の林があって、そこにはコケモモがたくさんはえている。また、小高い砂地には針葉樹の林があって、そこには白ゴケが密生している。さらにまた、もっとしめっぽい場所は松林で、そこには雑草がおい茂る。
諸君は、知らず知らず三つの壁を通り技けたわけである。その三つの壁は、森を四つの異質の世界に分けている。つまり、四つの別のかごに仕切って、そのかごの中にそれぞれの囚人を閉じ込めているわけである。
もし、動物園のように、森にも動物の名札がかかっているとしたら、モミの林にはこんな名札がかかるだろう。イスカ、マヒワ、ウソ、シジュウカラ、三ツ指キツツキ、ミソサザイ、リス、テン、野ネズミ。
また、針葉樹の丘には、モミの林とはまるで違う名札がかかるだろう。ヨタカ、ヒワ、まざった毛色の大型のキツツキ、ヒタキ、キクイタダキ、ヤドリキジナイ、というように。
シラカバの林にも、モミや松の林にはいない囚人がいる。たとえば、カバヤマドリである。この鳥は、自分の住所を名まえで知らせている。つまり、名まえどおり、この鳥はカバの林でなければ生きられないのである。
一つ一つの林が一つ一つのかごであるが、このかごがまた大小のかごに分かれている。そして、林は大きな家のように何階建てかになっている。二階建て、三階建て、七階建ての林さえある。
松林は二階建てか三階建てである。一階にはコケか草がはえ、二階には濯木がはえ、三階には松がはえている。
カシの木の林は七階建てである。
七階にはカシ、トネリコ、カエデ、シナノキなどの先端が空に突き出ている。そのうっそうとしたてっぺんは、夏には緑の屋根をつくり、秋には色の混じり合った屋根をつくる。
その下のカシの木の腰には、ナナカマド、野生リンゴ、ナシなどの頭が伸びている。ここが六階である。
もう少し下の五階には、ハシバミ、サンザシ、ニシキギなどの濯木が、枝や葉をからみ合わせている。
濯木の下にはいろいろの草や花があるが、それがまた何階にも分かれている。いちばん上には風鈴草が伸びていて、これが四階である。三階には、シダの間にスズランやママコナの花が咲く。二階には、スミレやオランダイチゴがはえ、一階、つまり地上には広葉のコケ類が広がっている。
さらに一階の下、つまり地面の下にも地階があって、そこには草や木の根がはいり込んでいる。
これらのどの階にも、そこの居住者、つまり、けものや鳥がいる。
七階の茂り合った枝の間にはオオタカがいるし、その少し下の木のほらにはキツツキの巣がある。五階の濯木の間にいる連中はとくにうるさくて、口笛や歌声で森をいっぱいにしている。それは、ウグイス、シジュウカラ、ミソサザイ、ジョウビタキなどである。地上を一階の住人ヤマシギが歩いているし、地階では野ネズミが通路や小さなへやを掘っている。
この大きな家では、へやのようすがそれぞれに違っている。上の方のへやは暖かく、かわいているし、明るい。下の方のへやは暗いし、しめっぽいし、涼しい。家の中には夏しか住めない寒いへやもあるし、年じゅう住める暖かいへやもある。
地面に掘った穴は冬住むためのへやである。冬、地上では零下十八度であったが、深さ一メートル半の穴の中では、摂氏八度もあった。スチーム暖房などないのに、こんなに暖かいのである。
木のほら穴の中はずっと寒い。冬、ほら穴にいると、こごえ死ぬかもしれない。そのかおり、夏はしのぎやすくて気持ちがいい。ことに、フクロウやコウモリにはそうだ。かれらは夜勤≠ノその家から飛び出すが、昼間は日のささない暗いすみっこで眠るのが好きだから。
人間はよく転居する。ある家からある家へ、ある階のへやからある階のへやへと。しかし、この森では、ある階の連中が別の階の連中とへやを交換することはできない。森にいるかれらは、住民ではなく囚人であり、そこはへやではなくてかごなのだから。
いつも一階に住むヤマシギは、そのしめっぽいへやをかわいた日当たりのいい屋根べやと交換することはできない。
また、屋根べやに住むオオタカも、一階へ移住することはできない。そう考えるだけでも、気ちがいじみた幻想というべきだ。
いったい、これはどういうわけだろう。森を幾つかのかごやおりに分けている見えない壁や天井は、何のためにあるのだろうか。自由に生きられるはずの鳥やけものを、何がこんなに不自由にさせているのだろうか。あるイスカをモミの林に、あるイスカを松の林に、ヤマシギを一階に、キツツキやオオタカを屋根のすぐ下に閉じ込めているのは、いったい何ものなのだろうか。
(イリン著「人間の歴史」角川文庫 p15-20)
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不自由の自覚と自由の自覚
自由の問題は、何事かをしようと欲して行動に出る人間にとってのみ生じる問題である。
獄舎の囚人にとって自由が切実な問題となるのは、したいと欲するおおくのこと、が彼にあり、しかも獄舎の壁がその実現をはばむからだ。何事をも欲せぬものにとっては、獄舎の壁は何らの不自由でもない。
しかし、不自由の自覚がないところには、自由の問題もまた生じえない。空を飛べないということが不自由として自覚されるのは、空を飛ぼうと欲する人にとってだけである。そして、空を飛べないことを不自由として自覚する人にとってだけ、空を飛ぶ自由が自覚的に問題となる。不自由の自覚と自由の自覚とは不可分のものである。
人間が一定の目的、一定の意志をもって能動的に外界に立ちむかうということ、これが出発点である。ところで、外界は人間の意志から独立に、それ自身の必然性をもって存在している。それにぶつかって人間の意志の実現がはばまれるとき、そのとき人間は不自由を自覚する。そして、この不自由を打開するにはどうしたらいいかと考える。自由の問題は、そこにはじめて生じるのである。
動物には自由の問題はありえない。なぜなら、彼らの生活が主として本能によっていとなまれているためである。すなわち、特定の生活環境に先天的に適合した行動様式をもって、その特定の環境のなかだけでいとなまれるものであるためである。彼らの行動は、遺伝的に規定された様式を本質的には越ええず、新しい環境を能動的に志向することがない。
そのかぎり、そこには不自由の問題は生じず、したがって自由の問題も生じない。もっとも、彼らでも、何らかの理由で異質の環境に立たされることはある。人間流にいえば、その時は彼らにも不自由の問題が生じることになる。
しかしそれは、人間流に表現しての話で、それを不自由の問題として自覚する(明瞭な意識にのぼせる)ことは彼らにはできず、この不自由を打開するためにはどうしたらいいかと考えることは彼らにはできない。だから、自由の問題は動物には生じえない。それは人間特有の問題であり、人間の本質そのものに根ざすものである。
(高田求著「人間の未来への哲学」青木現代叢書 p179-180)
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「すべての誤った自由論を捨てて、一方における合理的洞察と他方における本能の形をとった諸規定がそのなかでいわば合体して一つの合力になる。そのような関係の経験上知られる性状を、これに代置しなければならない。
この種の動力学のもろもろの基本事実は、観察から取ってこなければならず、そして、まだ起こっていない崇事を予測するためにも、できる限り、その種類と大きさとについてあらかじめ全般的に評価しておかなければならない。
これによって、何千年ものあいだ人びとがかじりつき食べつくしてきた・内的自由についての馬鹿みたいな空想が根本的に一掃されるだけでなく、さらに、生活を実践的に調整するのに使うことのできるなにか積極的なものが、それに取って代わることにもなる」。
──これによると、<自由とは、実質的には、合理的な洞察が人間を右のほうへ引っばり、非合理的な本能が人間を左のほうへ引っぱり、こういう《力の平行四辺形》によって現実の運動が対角線の方向に起こる、ということだ>、ということになる。そうだとすれば、<自由とは、洞察と本能との、分別と無分別との、平均であって、その度合いは、天文学上の一表現を借りれば「個人差」を用いて、各個人ごとに経験的に確定しなければならないものだ>、ということになろう。〔これが、<自由>の第一の規定である。〕
しかし、その数ページあとにはこう言われている、──「われわれは、<道徳的責任は自由にもとづくものだ>と主張するけれども、われわれにとって自由とは、生まれながらのまた習得された知力に応じて意識的動機を感受する能力を意味するものにほかならないのである。〔これが、<自由>の第二の規定である。〕
すべてこうした動機は、行為における対立がありえることが知覚されているにもかかわらず、避けることのできない自然合法則性をもって作用する。しかし、われわれが道徳の挺子(てこ)をあてがう場合には、ほかならぬこの避けられない強制をあてにしているのである」。
<自由>の第一の規定にまったく無遠慮に平手打ちを食わせるこの第二の規定は、これまたヘーゲルの見解を極度に浅薄化したものにほかならない。
ヘーゲルは、自由と必然性との関係をはじめて正しく述べた人である。彼にとっては、自由とは必然性の洞察である。「必然性が盲目であるのは、ただそれが概念把握されていない限りにおいてのことでしかない」〔『エンチエクロペディー』第一四七節、補遺〕。
自由は、もろもろの自然法則に左右されないと夢想している点にあるのではなく、こうした法則を認識するという点に、そして、これによってこの諸法則を特定の目的のために作用させる可能性を手に入れるという点に、ある。
このことは、外的自然の法則についても、人間そのものの肉体的および精神的存在を規制する法則についても、そのどちらにもあてはまるのである。
──この二つの部類の法則は、せいぜいわれわれの観念のなかで切り離せるだけで、現実には切り離すことのできないものである。
<意志の自由>とは、だから、事柄についての知識とともに決定をくだすことができる、そういう能力を言うものにほかならない。したがって、或る特定の問題点についての或る人の判断がますます自由になればなるほど、この判断の内容は、それだけ大きな必然性をもって規定されていることになるわけである。
他方、無知にもとづいた不確かさは、異なった互いに矛盾しあう多数の決定可能性のなかから気ままに選択するように見えても、まさにそのことによって、自分の不自由を、自分が支配するはずの当の対象に自分が支配されていることを、証明しているのである。
自由のなかみは、だから、<自然必然性の認識にもとづいて、われわれ自身と外的自然とを支配する>、ということである。
自由は、したがって、どうしようもなく歴史的発展の一つの産物である。動物界から分離したばかりの最初の人間たちは、本質的に重要なすべての点で、動物そのものと同じように不自由であった。しかし、文化におけるどの進歩も、自由への一歩であった。
人類史のはじめには、力学的運動が熱に転化することの発見すなわち摩擦火の産出があり、これまでの発展の終点には、熱が力学的運動に転化することの発見すなわち蒸気機関がある。
──そして、蒸気機関が社会生活のなかで巨大な解放的変革──それはまだ半分も成就されていない──をなしとげているとはいえ、世界解放の効果という点では、摩擦火のほうが蒸気機関よりもまさっていることは、なんと言っても疑いない。と言うのも、摩擦火が人間にはじめて一つの自然力にたいする支配を与え、それによって、人間を最終的に動物界から切り離したのだからである。
蒸気機関はと言えば、人類の発展のうえでけっして摩擦火ほどの巨大な飛躍をもたらすことはないであろう、──もはや階級の区別がなく、個人の生活の資を手に入れるための心配もなくなって、はじめて真の人間的自由を、認識された自然法則と調和した生活を、話題にすることのできる、そういう社会状態が、蒸気機関に依存する巨大な生産力に助けられてだけ可能となるのであって、蒸気機関は、そうしたすべての生産力の代表者としてわれわれにとってきわめて重要なものではあるけれども。
しかし、<これまでの歴史全体は、力学的運動が熱に転化することの実地の発見から熱が力学的運動に転化することの実地の発見までの期間の歴史であると言いあらわすことができる>、という簡単な事実から見ても、人類史全体がまだどれほど若いか、そして、われわれの現在の見解を或るなにか絶対的な妥当性をもったもののように考えることがどれほどばかげているか、ということがわかる。
(エンゲルス著「反デューリング論」新日本出版社 p162-164)
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◎「自由に生きられるはずの鳥やけものを、何がこんなに不自由にさせているのだろうか。」
「自由の問題は動物には生じえない。それは人間特有の問題であり、人間の本質そのものに根ざすもの」。
学習通信041117 と重ねて深めて下さい。