学習通信041119
◎「支配できる労働の量に正確に等しい」……。

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 あらゆる物の真の価格、すなわち、どんな物でも人がそれを獲得しようとするにあたって本当に費やすものは、それを獲得するための労苦と骨折りである。あらゆる物が、それを獲得した人にとって、またそれを売りさばいたり他のなにかと交換したりしようと思う人にとって、真にどれほどの価値があるかといえば、それによってかれ自身がはぶくことのできる労苦と骨折りであり、換言すれば、それによって他の人々に課することができる労苦と骨折りである。

貨幣または財貨で買われる物は、われわれが自分の肉体の労苦によって獲得するものとまったく同じように、労働によって購買されるのである。その貨幣、またはそれらの財貨は、事実、この労苦をわれわれからはぶいてくれる。それらはある一定量の労働の価値をふくんでおり、その一定量の労働の価値をわれわれは、その場合、それと等しい労働量の価値をふくんでいるとみなされるものと交換するのである。

労働こそは、すべての物にたいして支払われた最初の代価、本来の購買代金であった。世界のすべての富が最初に購買されたのは、金や銀によってではなく、労働によってである。

そしてその富の価値は、この富を所有し、それをある新しい生産物と交換しようと思う人たちにとっては、そうした人たちがそれで購買または支配できる労働の量に正確に等しいのである。
(スミス著「国富論 -上-」中公文庫 p52-53)

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 本書四頁に掲げた『国富論』からの抜粋によって、次のことがわかるだろう。すなわち、アダム・スミスはさまざまな物の獲得に必要な労働量の間の比率が、それらの物を相互に交換することに対して、なんらかの法則を与えうる唯一の事情である、という原理を十分に認めていたけれども、しかし彼は、この原理の適用範囲を「資本の蓄積にも土地の専有にも先立つ社会の初期未開の状態」に限定している。

つまり、あたかも利潤や地代が支払われなければならなくなると、利潤や地代が、諸商品の生産に必要なだけの労働量とは無関係に、それらの相対価値にいくらかの影響を及ぼしでもするかのように〔彼は考えている〕。

 しかし、アダム・スミスが、資本の蓄積や土地の専有が相対価値に及ぼす影響を分析してい
るところは、どこにもない。それゆえ、諸商品の生産に投下された相対的労働量によって、その交換価値に明らかに生み出される効果が、資本の蓄積と地代の支払とによって、どの程度まで修正ないし変更されるのか、を確定することが重要である。

 第一に、資本の蓄積について。アダム・スミスが言及している初期の状態においてさえ、狩猟者がその猟獣を仕止めることができるためには、多分彼自身が製作して蓄積したものではあろうが、多少の資本が必要であろう。なんらかの武器がなくては、ビーヴァーも鹿も仕止めることができないだろう。それゆえ、これらの動物の価値は、ただそれらを仕止めるのに必要な時間と労働とによってだけではなく、狩猟者の資本、つまりそれらを仕止める際に援用される武器をつくるのに必要な時間と労働とによっても規定されるだろう。

 ビーヴァーに近づくことは鹿に近づくよりもいっそう困難であり、したがって標的をねらう照準がより正確である必要があるため、ビーヴァーを仕止めるのに必要な武器は、鹿を仕止めるのに必要な武器よりもはるかに多くの労働でつくられていると仮定すれば、一頭のビーヴァーは当然二頭の鹿よりも大きな価値をもつだろう。そしてそれはまさに、ビーヴァーを仕止めるには全体としてより多くの労働が必要だという理由からである。

 ビーヴァーや鹿を仕止めるのに必要なすべての器具が一階級の人々に所有され、それらを仕止めるのに使用される労働が別の一階級によって提供されることがあるだろう。そうなってもなお、それらの相対価格は、資本の形成と動物の捕殺との双方に投下された実際の労働に比例するだろう。

労働と比較して、資本の豊富ないし稀少という点で異なっている事情のもとでは、また、人間の生活維持に不可欠な食物および必需品の豊富ないし稀少という点で異なっている事情のもとでは、等しい価値の資本をこれらの用途のどちらかに提供した人々が、獲得した生産物の二分の一か、四分の一か、八分の一かを収得して、その残りが賃金として、労働を提供した人々に支払われるだろう。

しかし、この分割〔のちがい〕がこれらの商品の相対価値に影響を及ぼすはずはない。なぜなら、資本の利潤が増大しようと減少しようと、利潤が五〇パーセントであろうと、二〇あるいは一〇パーセントであろうと、また労働の賃金が高かろうと低かろうと、こういう利潤や賃金は双方の用途に同等に作用するだろうからである。

 社会の職業〔の範囲〕がひろがって、ある者が漁獲に必要な丸木舟や漁具を供給し、他の者が種子や、農業で最初に使用された粗末な機械を供給すると仮定しても、同じ原理が依然として妥当するだろう。すなわち、生産された商品の交換価値は、その生産に投下される労働に比例するのであり、つまり、その商品の直接の生産に投下される労働だけではなく、労働を実行するのに必要なすべての器具や機械──これらの器具や機械はその特定の労働にあてがわれるのだが──に投下される労働にも比例するだろう。

 さらに進歩を遂げて、技術と商業とが繁栄している社会状態を観察しても、やはり、諸商品の価値がこの原理にしたがって変動することがわかるだろう。例えば、靴下の交換価値を評価してみると、他の物と比較した靴下の価値が、それを製造して市場にもち出すのに必要な総労働量に依存している、ということがわかるだろう。

第一には、棉作地を耕作するのに必要な労働があり、第二には、棉花を靴下製造国へ運搬する労働があるが、後者の労働には棉花の運搬船の建造に投下された労働の一部分が含まれていて、これは棉花の運賃に掛けられている。第三には、紡績工と織布工との労働があり、第四には、靴下の製造に援用される建物や機械を建造する技師・鍛冶工・大工の労働の一部分があり、第五には、小売商人や、その他これ以上列挙する必要のない多数の人々の労働がある。

これらの多種の労働の総計量が、この靴下と交換される他の物の分量を決定するが、同時に、それらの他の物に投下されたさまざまな労働量についての同じ考慮が、それらの物のうちの靴下との交換に与えられる部分を、同様に支配するだろう。

 これが交換価値の真の基礎だということを確信するために、製造された靴下が他の物と交換されるために市場に現われるまでに、原棉が通過しなければならぬ種々の工程のどれか一つで、労働を短縮する方法になんらかの改良が施されると仮定し、それに伴って生ずる効果を観察してみよう。

かりに棉作に必要な人数が減少するか、航海に従事する水夫や、棉花をわが国まで運搬する船舶の建造に従事する船大工が減少するか、建物や機械の製作に従事する人手が減少するか、あるいは製作された建物や機械の能率が増進するかすれば、靴下の価値は不可避的に下落するだろうし、その結果靴下が支配する他の物は減少するだろう。靴下は、その生産に必要な労働量が減少したのだから、値下りするだろう。

したがって、このような労働の短縮が行われなかった物については、靴下と交換される分量は減少するだろう。

 労働使用上の節約は、その節約が商品の製造それ自体に必要な労働の節約であろうと、その商品の生産に援用される資本の形成に必要な労働の節約であろうと、必ずその商品の相対価値を低減させずにはおかない。

靴下の製造に直接必要な人々である漂白工・紡績工・織布工として使用される人数が減少するのであろうと、あるいはより間接的に関係する人々である水夫・運搬人・技師・鍛冶エとして使用される人数が減少するのであろうと、どちらの場合にも、靴下の価格は下落するだろう。前者の場合には、労働の節約はすべて靴下に帰属するだろう。

なぜなら、労働の節約分はすべて靴下に限られていたからである。後者の場合には、労働の節約の一部分だけしか靴下に帰属しないだろう。なぜなら、節約の残りの部分は、その建物や機械や運搬車を利用して生産されたすべての他の商品に充当されるからである。
(リカードウ著「経済学および課税の原理 -上-」岩波文庫 p32-36)

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 ある商品の交換価値を計算するばあいに、われわれは、最後に用いられた労働量に、それ以前にその商品の原料に投じられた労働量と、こうした労働をたすけるために用いられる器具、道具、機械、建物に費やされた労働とを加算しなければならない。

たとえば、一定量の綿糸の価値は、紡績工程中に綿花にくわえられた労働量、それ以前に綿花そのものに実現された労働量、石炭や油やその他の使用された補助材料に実現された労働量、蒸気機関や紡錘や工場の建物に凝固された労働量、などの結晶である。道具や機械や建物のような本来の意味での生産手段は、生産過程がくりかえされていくあいだ、期間の長短はあっても、くりかえし役に立つ。

もしそれらのものが、原料のように一度に使いはたされてしまうならば、その価値全部が、それらのたすけをかりて生産された商品に一度に移転されるであろう。しかし、たとえば紡錘は徐々にしか消耗しないから、その平均寿命と、一定の期間たとえば一日のあいだのその平均摩損または消耗とにもとづいて、平均計算がおこなわれる。

このようにしてわれわれは、その紡錘の価値のうちどれだけが、一日につむがれる糸に移転され、したがってまた、たとえば一ポンドの糸に実現された総労働量のうちどれだけが、それ以前に紡錘に実現された労働量にもとづくかを計算する。われわれの当面の目的にとっては、この点についてもはやこれ以上くわしくのべる必要はない。
(マルクス著「賃労働と資本/賃金、価格および利潤」新日本出版社 p131-132)

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◎「多種の労働の総計量が、この靴下と交換される他の物の分量を決定する」と。