学習通信041129
◎「その昔において 山は皆火に燃えて動きしものを」……。

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そぞろごと〔抄〕
        与謝野晶子

    ○
山の動く日来る。
かくいへども人われを信ぜじ。
山は姑(しばらく)く眠りしのみ。
その昔において
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる。

    ○
一人称にてのみ物書かばや。
われは女ぞ。
一人称にてのみ物書かばや。われは。われは。

     ○
(中略)

     ○
「鞭を忘るな」と
ツアラツストラはいひけり。
女こそ牛なれ、また羊なれ。
附(つ)け足して我はいはまし。
「野に放てよ。」

     ○
(後略)
[『青鞜』第一号・一九一一年九月]
(「『青鞜』女性解放論集」岩波文庫 p12-13)

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 当時patrimonium(財産、父の財産)の代わりにmatrimonium(婚姻、母の財産)、pater familias(父の家族)の代わりにmater familias(母の家族)と言い、郷国をば愛する母の国と呼んだ。それ以前の家族形態と同じく、氏族もまた財産の共有、すなわち共産的財政を基礎とした。

婦人が家族団体の指揮者であり、先導者であった。したがってまた、彼女は家の内でも、家族の事や種族の事でも、高い尊敬を受けた。彼女は争いの仲裁者であり、裁判官であり、また祭司として礼拝上の役目をもつとめた。古代にしばしば女王や女君の出現したこと、または、たとえばエジプトでのように、王子が統治した場合ですらなお母后がいちじるしい勢力をふるったことなどは、みな母権の結果である。この時代の神話は、アスタルテ、デメーター、セレス、ラトーナ、イシス、フリッガ、フーフイア、ゲルダなど、おもに女神を主題としている。

女性は冒すべからざるものであり、母殺しは極悪の犯罪であって、それはすべての男子に復讐を命ずる。殺人者に対する復讐は、種族の男子たちの共同の仕事である。各人は、他の種族の者が彼の家族団体の一員に向かって加えた不正に対して復讐する義務を負うている。女性の擁護は、男子を鼓舞して最高の勇気をふるわせる。

そのように母権の効果は、バビロニア人、アッシリア人、エジプト人、英雄時代以前のギリシア人、ローマ建国前のイタリア民族、スキチア人、ガリア人、イベリア人、カンタベリア人、ゲルマニア人など、古代民族のあらゆる生活関係のうちにあらわれている。女性は、当時その後たえて占めなか。たような地位を占めた。タキツスはその著書「ゲルマニア」の中でこう言っている、「女性のうちにはなにか神聖な性質、予言者的な性質が宿っていると、ドイツ人は信じている。

それゆえ彼らは女性の忠言を尊重し、彼女の意見に聞き従う。」シーザーの時代の人ディオドルスは、エジプトにおける女性の地位についてひどくおこっている。エジプトでは年老いた両親を養うのは息子ではなく娘であることを、彼は聞き知ったのだ。そこで彼は、より弱い性に属する人たちに、家庭ならびに公共生活において、ギリシア人やローマ人がかつて聞いたこともないような権利を与え自由を許すナイル河畔の腰ぬけ男どもに対して侮蔑的に肩をそびやかしたのである。

 母権制のもとでは一般に比較的平和な状態が保たれた。諸関係は狭くて生活は単純だった。個々の種族は互いに分立しながら、双方からその領界を重んじた。ある種族が攻撃された場合、男子たちは防御の義務を負うた。そして彼らはそのさい婦人たちに最も有力に援助された。ヘロドトスにしたがえば、スキチアの婦人は戦争に参加したという。彼の主張するところによれば、処女は一人の敵を倒したのちに初めて結婚することを許されたそうである。

古代には一般に男女の肉体的ならびに精神的差異は、現代社会におけるよりもずっと少なかった。ほとんどすべての野蛮民族および未開民族において、大脳の重量なり大きさなりの差異は、文明民族におけるよりも少ない。またかような民族においては、体力や敏捷の点で婦人はほとんど男子に劣らない。この事については、母権制を奉じた諸民族に関する古代の著述家が証言しているばかりでなく、勇敢と粗暴とをもって聞こえたアシャンティスの婦人軍や西部アフリカのダホメ王の婦人軍がまた証拠を提供する。古代のドイツ婦人に関するタキツスの判断、イベリアおよびスコットランドの婦人に関するシーザーの報告は、この事を裏書きする。

コロンブスはサンタ・クルスの手前で一隻のインディアン人の小帆船と戦いを開くことになったが、そのとき女子も男子と同様に勇敢に戦った。この見解はさらにまたハヴェロック・エリスによって確証される、「エッチ・エッチ・ジョンストンの言うところによれば、コンゴのアンドンビース族の間では、女子は激しく労働したり、重い荷を運んだりしなければならぬが、それでもまったく幸福に生活している。彼女たちはしばしば男子よりも強く、一層よく発達して、じつに立派な体格を備えていることも少なくない。

同じ地方に住むアルヴィミ人のマニネマ族について、バークはこう言っている、『見事な体躯の人が多い、特に女性は美しくて、男子と一様に重い荷を担うことができる。』北米であるインディアンの酋長がヘルンに告げた、『女は働くように作られているのだ。どの女でも二人の男が担うだけの分量を担ったり持ち上げたりすることができる。』ニューギュアのドイツ保護領のパブア族を人類学的立脚点から精密に研究したシェーロングは女の方が男よりも岩丈な骨格を特っていることを知った。

中部オーストラリアでは男が嫉妬のために女をなぐることがたびたびあるが、そのような場合女も負けずになぐり返し、独力で男を打ちのめすことも珍しくない。キューバ島では女も男と並んで戦い、大きな自主独立を得ている。二三のインド種族や、北米のピュブロス人やパタゴニア人などは女も男と一様に大きい、またロシア人は身長の点で、英仏人のように両性の間に大きな差異がない。」

 がまた、氏族の内部で婦人たちは事情によっては厳重な監督を行なった。ひどく怠惰だったり、無器用だったりして、共同の暮らしのために自分の持ち分を寄与し得ない男子はひどい目にあった。彼は追い出された、そしてなかなか親切には迎えてくれぬ彼自身の氏族へ帰ってゆくか、あるいはもっと寛大な他の氏族に入れてもらうほかはなかった。

 リヴィングストンは、彼の「南アフリカにおける伝道旅行と探険」に述べているように、アフリカ奥地の土人の結婚生活が今日もなおそのような特質を特っていることを知って、大いに驚いた。彼はザンベジで、農耕に従事する立派な強壮な黒人種族パロンダ人に出会ったが、最初は信じがたいものに思われたポルトガル人の報告どおりに、彼らの間では女がすぐれた地位を占めていることを確かめた。彼女たちは評議会を開く。結婚した若者は、自分の部落を出て妻の部落に移らねばならない。同時に彼は、妻の母に終生たき木を供給する義務を負う。が、万一離婚した場合は、子供は母の所有に残る。その代わりに女は男を養わねばならぬ。

小さな夫婦げんかは時々起きるが、男子は決して反抗しないということを、リヴィングストンは見いだした。ところが、女をおこらした男は感覚的方法で、しかも──胃袋で罰せられる。彼は次のように物語る、男が食事に家へ帰って来る、が、女たちは彼を次々に他の女の所へ追いやる、そして、けっきょく彼は何ももらえない。彼は飢え疲れて、村で一番人の集まる場所へ行き、木の上によじ登って哀れな声で訴える、「聞いてくれ! 聞いてくれ! おれは女どもと結婚したつもりだった、ところがあいつはおれのためには魔女だった! おれは独身者だ、おれは一人の妻も特たぬのだ! これがおれのような立派な男に対する正常な仕打ちだろうか!」
(ベーベル著「婦人論-上-」岩波文庫 p42-45)

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◎「「鞭を忘るな」と
ツアラツストラはいひけり。
女こそ牛なれ、また羊なれ。
附(つ)け足して我はいはまし。
「野に放てよ。」

深く学びましょう。