学習通信041214
◎「希望は育てうる」……。

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 教室で勉強しながら、また運動場で野球をしながら──それが戦争が終わってから盛んになったスポーツでした──、私はいつのまにかボンヤリして、ひとり考えていることがありました。いまここにいる自分は、あの熱を出して苦しんでいた子供が死んだ後、お母さんにもう一度産んでもらった、新しい子供じゃないだろうか? あの死んだ子供が見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと、それを全部話してもらって、以前からの記憶のように感じているのじゃないだろうか?

そして僕は、その死んだ子供が使っていた言葉を受けついで、このように考えたり、話したりしているのじゃないだろうか? この教室や運動場にいる子供たちは、みんな、大人になることができないで死んだ子供たちの、見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと、それを全部話してもらって、その子供たちのかわりに生きているのじゃないだろうか? その証拠に、僕たちは、みんな同じ言葉を受けついで話している。

 そして僕らはみんな、その言葉をしっかり自分のものにするために、学校へ来ているのじゃないか? 国語だけじゃなく、理科も算数も、体操ですらも、死んだ子供らの言葉を受けつぐために必要なのだと思う! ひとりで森のなかに入り、植物図鑑と目の前の樹木を照らしあわせているだけでは、死んだ子供のかわりに、その子供と同じ、新しい子供になることはできない。だから、僕らは、このように学校に来て、みんなで一緒に勉強したり遊んだりしているのだ……

 私がこれまで話してきたことを、皆さんは、不思議な話だ、と思われたかもしれません。私もいま、自分の経験したことをずいぶん久しぶりに思い出していながら、大人になった自分には、あの冬の初め、とうとう病気がなおって、静かな喜びとともにまた学校へ行くようになった時、はっきりと理解できていたことが、じつは、よくわからなくなっている、という気がしますから。

 その一方で、いま現在、子供である、新しい子供である皆さんには、すっきりと理解していただけるかもしれないと希望を持って、これまで書いたことのない思い出を話したのです。

 さて、もうひとつ思い出にあるのは、私が大人になってからの出来事です。私の家庭の最初の子供は、光という男の子ですが、生まれて来るとき、頭部に異常がありました。頭が大小、ふたつあるように見えるほどの、大きいコブが後頭部についていました。それを切りとって、できるだけ脳の本体に影響がないように、お医者さんが傷口をふさいでくださったのです。

 光はすくすく育ちましたが、四、五歳になっても言葉を話すことはできませんでした。音の高さや、その音色にとても敏感で、まず人間の言葉より野鳥の歌を沢山おぼえたのです。そして、ある鳥の歌を聞くと、LPで知った鳥の名をいうことができるようにもなりました。それが、光の言葉のはじまりでした。

 光が七歳になった時、健常な子供より一年遅れて、「特殊学級」に入ることになりました。そこには、それぞれに障害を持った子供たちが集まっています。いつも大きい声で叫んでいる子供がいます。じっとしていることができず、動きまわって、机にぶつかったり、椅子をたおしてしまったりする子もいます。窓から覗いてみると、光はいつも耳を両手でふさいで、身体を固くしているのでした。

 そして私は、もう大人になっていながら、子供だった時と同じ問いかけを、自分にすることになったのです。光はどうして学校に行かなければならないのだろう? 野鳥の歌だけはよくわかって、その鳥の名を両親に教えるのが好きなのだから、三人で村に帰って、森のなかの高いところの草原に建てた家で暮らすことにしてはどうだろうか? 私は植物図鑑で樹木の名前と性質を確かめ、光は鳥の歌を聞いては、その名をいう。家内はそのふたりをスケッチしたり、料理を作ったりしている。それでどうしていけないだろう?

 しかし、大人の私には難しいその問題を解いたのは、光自身だったのです。光は「特殊学級」に入ってしばらくたつと、自分と同じように、大きい音、騒音がきらいな友達を見つけました。そしてふたりは、いつも教室の隅で手を握りあってじっと耐えている、ということになりました。

 さらに、光は、自分より運動能力が弱い友達のために、トイレに行く手助けをするようになりました。自分が友達のために役にたつ、ということは、家にいるかぎりなにもかも母親に頼っている光にとって、新鮮な喜びなのでした。そのうちふたりは、他の子供たちから離れたところに椅子を並べて、FMの音楽放送を聞くようになりました。

 そして一年もたつと、光は、鳥の歌よりも、人間の作った音楽が、自分にはさらによくわかる言葉だ、と気がついていったのです。放送された曲目から、友達が気にいったものの名前を紙に書いて持ち帰り、家でそのCDを探してゆく、ということさえするようになりました。ほとんどいつも黙っているふたりが、おたがいの間ではバッハとかモーツアルトとかいう言葉を使っていることに、先生方が気がつかれることにもなりました。


 「特殊学級」、養護学校と、その友達と一緒に光は進んでゆきました。日本では、高校三年生をおえると、もう知的障害児のための学校はおしまいです。卒業してゆく光たちに、先生方が、明日からもう学校はありません、と説明されるのを、私も親として聞く日が来ました。

 その卒業式のパーティーで、明日からもう学校はない、と幾度も説明を受けた光が、
 ──不思議だなあ、といいました。
 するとその友達も、
 ──不思議だねえ、と心をこめていい返したのでした。ふたりとも驚いたような、それでいて静かな微笑を浮かべて。

 母親から音楽を学んだのがはじまりで、もう作曲するようになっていた光のために、私がこの会話をもとに詩を書いて、光は曲をつけました。その曲が発展した『卒業・ヴァリエーションつき』は、いろんな演奏会で多くの人に聴かれています。

 いま、光にとって、音楽が、自分の心のなかにある深く豊かなものを確かめ、他の人につたえ、そして自分が社会につながってゆくための、いちばん役にたつ言葉です。それは家庭の生活で芽生えたものでしたが、学校に行って確実なものとなりました。国語だけじゃなく、理科も算数も、体操も音楽も、自分をしっかり理解し、他の人たちとつながってゆくための言葉です。外国語も同じです。

 そのことを習うために、いつの世の中でも、子供は学校へ行くのだ、と私は思います。
(大江健三郎著「「自分の木」の下で」朝日新聞 p13-19)

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希望について

たねは木になるか

 「魯迅のことは、すこし暗すぎるんではないでしょうか」とA子がいった。「私としては、その暗すぎるところにひかれもするんだけど」とも彼女はいった。

 「思うに、希望というものは本来あるともいえないし、ないともいえない。それは地上の道のようなもの。実際、地上にはもともと道はなかった。歩む人がおおくなれば、おのずと道ができていくのだ」──

 この魯迅のことばは、たしかに一見、暗い。だが、暗さだけがそこにあるのでは、もちろんない。『学習の友』の開巻第一ページに毎号かかげられる「私の好きなことば」のなかで、前進座の中村翫右衛門さんが、その後半をつぎのようなかたちで引いていた──

道のない道、いったりきたり、
皆で歩けば道になる。

 「私が暗いと思いながらもひかれるのは、その前のところなんですけど」とA子がいった。「希望というものは本来あるともいえないし、ないともいえない、ということについて、もう少し考えてみたいんです」
 そうだ、考えてみよう、その問題について。

 たとえば、ここに一個の柿のたねがある。この柿のたねは、柿の大木に成長するのぞみがあるだろうか。
 「あるともいえないし、ないともいえない」という魯迅のことばの意味がここでわかってくるように思える。
 なぜ、単純にのぞみがあるとはいえないか。それは、その柿のたねが柿の大木にまで成長できるには、無数の条件が必要だからだ。それらの条件にめぐまれて大木にまで育つたねは、毎年つくりだされる膨大な数のうちのごく一部にすぎまい。

 しかし、他方、どんな条件があたえられたとしても、石ころは柿の木になることはない。柿のたねだけが柿の木になりうる。その意味では、どんな柿のたねも、それが柿のたねであるかぎり、柿の木になるのぞみがある。

 このように考えてくると、魯迅のことばはきわめて的確にことがらの実態をえぐったものであることがわかるように思う。その「暗さ」と感じられるものは、じつはその彫りの深さであり、そのもたらす陰影ではあるまいか。

希望は育てうるか

 ところで、柿のたねは、柿の大木になるための条件を、自分自身でととのえることはできない。そこのところはまったくの受け身のかたちで偶然にゆだねるほかない。つまり、自分の可能性をみずから育てることはできない。希望を育てるということは、ここでは問題にならない。

 では、人間の場合はどうか。人間は、みずから自分の希望を育てうる。そこに、人間のすばらしさがある、と私は思う。
 ニュートンは、エジソンは、マルクスは、特別製の「柿のたね」だったのだろうか。そんなことはあるまい。では、かれらが天才となりえたのは、特別な偶然の条件にめぐまれたためだろうか。そんなふうにいってみたところで、これはなにごとをもいわないにひとしい。

 というのは、柿のたねの場合とちがって、天才を育てるための「めぐまれた条件」とはなにかをいうことは、けっしてだれにもできないだろうからだ。

 はっきりしていることが一つある。それは、どんな「めぐまれた条件」も、それをいかすための主体的な活動なしにはなんのプラスをももたらすことはできず、かえってマイナスにさえなりうるということ。天才を育てる条件としてはしばしば「逆境」がプラスに作用しているが、だからといって「逆境」こそが天才を育てるための「めぐまれた条件」だといってみても、たいして意味はない。いっさいは「逆境」をもプラスの条件に転化するところの主体的な活動にかかっている。

 人間は誰しも天才になりうるのだ──すべての柿のたねが柿の大木になりうるというのとはもひとつちがった意味で。
 希望は育てうる。なによりもまず私たちは、「希望は育てうる」という希望を努力して育てなければならないだろう。魯迅のことばの後半は、その育てかたについていっているのだと思う。

人類の危機と希望

 「そうだ、諸君、あたらしい時代はもう来たのだ。この野原のなかにまもなく千人の天才がいっしょに、おたがいに尊敬しあいながら、めいめいの仕事をやっていくだろう」

 これは、まえにも引いた宮沢賢治の作品『ポラーノの広場』のなかのことば。これこそ共産主義社会のイメージにほかならない、ということもすでにふれた。

 「そうなったら、もちろんすばらしいと思うけど、でも夢みたいな話だなあ」とB君がいった。
 「夢じゃない。必ずそうなるんだ。それが歴史の必然的な発展の方向なんだ」とC君が応じた。

 それが歴史の必然的な発展方向だ、ということについては、私はC君の意見をまったくただしいと思う。だが、「必ずそうなるんだ」ということについては必ずしも同意できない。「必ずそうさせねばならない」というのなら、まったく一〇〇パーセント賛成であるのだが。

 毛虫はチョウになる。あの毛虫、毒々しい色をして、おぞましい毛を全身にはやして、人を刺し、果樹などの茎や葉を害する毛虫、あれが美しいチョウになるとは。しかし、なるのだ。そのように、今日の社会という毛虫には、やがて目のさめるようなチョウに変身しうるだけの根拠がある。そのことを科学的社会主義の理論は私たちに教えてくれる。

 しかし、すべての毛虫がチョウになるとはかぎらない。毛虫のままで病死するのもあるだろう。今日の社会という毛虫の場合はどうか。いまや世界は一つだ。人類社会というただ一匹の毛虫、この毛虫が美しいチョウヘの可能性をもちながら、毛虫のままで病死してしまう可能性はないか。

 一九七七年の原水爆禁止統一世界大会に出席した歴史学者の梅田欽治さんがつぎのように書いていた。
 「私たちは人類の絶滅≠ニいうことをどれだけ現実的な問題としてうけとめているだろうか。つきつめて考えることなく、そのようなことはおこりえないことだと楽観しているのではないだろうか」(『歴史評論』一九七七年十月号)

 国際シンポジウムは「人類の絶滅、つまり人類史の終焉は、現実の、さし迫った問題だ、という認識」を前提としていた、と梅田さんはつづけて書いていた。

月と月ロケット

 「わかった。訂正するよ」とC君がいった。「正直にいうとね、魯迅のあのことば、ぼくも暗いと感じ、その暗さに反発したんだ。科学的社会主義の学習をもっとしたら、あんないいかたはでてこないんじゃないかってね。でも、それは浅薄な理解だったような気がする」

 「暗いことばだとは、やっぱり思うわ」とA子がいった。「全人類的な危機の表現としてね。でも、それを暗いことばでおわらせてはならないということね。ほんとの明るさは、その暗さとたたかうなかからだけでてくるんでしょうね」

 ほんとにそうだ、と思う。そのたたかいをぬきにした希望は、シンキロウのようなものでしかないだろう。砂漠にうかぶシンキロウのオアシス。「娼婦としての希望」とは、そういうシンキロウみたいなもののことだ。それは渇きをみたすどころか、かえってひどくすることにしかならない。イタリアのことわざに「希望により生きるものは、餓えて死ぬ」といい、「希望では胃袋はいっぱいにならない」というのは、そういう「希望」のことをいっているのだろう。

 そうだ、「名月をとってくれろと泣く子かな」という一茶の旬があった。真の希望とは、そういう天上の月みたいなものじゃなくって……
 「月ロケットの開発。そうでしょう」

 そうだ、そしてその月ロケットの開発、製作は、おおくの人びとの共同事業だよね。歩む人がおおくなれば、おのずと道ができていく──月への道でさえも!

 「ああ」とB君がいった。「いまは、一人でもおおくの人といっしょに歩むことの天才が必要なんだな。それだったら、ぼく、なれると思うよ」
 「天才的な発言だと思うわ」とA子がいった。
(高田求著「新人生論ノート」新日本出版社 p163-169)

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「光にとって、音楽が、自分の心のなかにある深く豊かなものを確かめ、他の人につたえ、そして自分が社会につながってゆくための、いちばん役にたつ言葉」と。

「思うに、希望というものは本来あるともいえないし、ないともいえない。それは地上の道のようなもの。実際、地上にはもともと道はなかった。歩む人がおおくなれば、おのずと道ができていくのだ」