学習通信041221
◎「仕込みをしないで売ってばかりいたら……」

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疑いについて

自分の考えとはなにか

 「私はたえず動揺しているのです。あるときはひとつの考えがもっともに思え、べつのときにはちがった考えがもっともに思え、自分の考えというものが定まりません……」

 こんなふうにいう人がいる。私は、その人は正直な人だと思う。同時に、私はその人にたいしていいたいと思う──「思いちがいをしてはいけないよ!」と。

 そもそも生きた血のかよった人間の思想で、どんな動揺もないなどというものがありうるだろうか。船でさえ、水にうかんでいるかぎりは、たえず動揺している。それこそが、水にうかんでいるということのあかしなのだ。

 まして、生きた人間の思想においてをや。問題は動揺の有無ではない。動揺の内容と振幅にあるはずだ。

 ディドロという人はやはりえらかった。ちゃんとかれは書いている──
 「ねえ君、なにごとにつけても、われわれのほんとうの意見というものは、われわれが一度も動揺したことのない考えなんかをいうのではなく、しょっちゅうそこへ立ちかえっていくような、そんな意見のことをいうのだよ」(『ダランベールとディドロとの対話』)

 私は、このディドロのことばが好きだ。好きなのは、それを真理だと思うから。ときにはあえて異議申し立てをしてみることもあるが、やっぱりまたそこへ立ちかえっていく。その意味でこれは、もうれっきとした「自分の意見」である。

疑いへの賛歌

 一度も疑ったことのない意見、疑うことを知らなかった意見、そんなものはまだ「自分の意見」というに値するものではない。

 たとえば1+1=2と教えられるまま、そういうものと思いこんでいるだけでは、これはまだ「その人の意見」というには値しない。

 疑いを経過することによってはじめて、それは「その人の意見」となる。たとえば、米一合に水一合入れても、けっして二合とはならない。そこで疑いをもち、にもかかわらずけっきょくのところ、一たす一はやはり二だというところに立ちかえっていくとき、そのときそれはまちがいもなく「その人の意見」というに値するものとなっているだろう。

 貝原益軒に『大疑録』という書物がある。徳川幕府公認の学問であった朱子学に、はじめて本格的な疑問をつきつけた書物。その序文がすばらしい。つぎのように書きだされている。

 「昔の学者のことばに、学問の敵は疑問をもたぬこと。疑ってこそ進歩がある≠ニいわれている。また、朱子のことばにも大に疑えば大いに進歩し、少しく疑えば少しく進歩する。疑わなければ進歩がない≠ニある」うんぬん。

 朱子のことばを逆手にとっているところなど、あざやかなものだ。
 益軒よりは一世紀ほど後の生まれだが、三浦梅園の「多賀墨郷君に答うる書」もすばらしい。疑いをもつことこそ学問の出発点だと力説しながら、「世界のいっさいを徹底的に疑いつくしたい」とまでいっている。そしてつぎのようにもいう──

 「弓をひくときも、矢が左手のほうに遠くとんでいくのは、右手のほうに深くひくため。疑いの多い人は理解もはやい。疑いをもたない人の理解がにぶいのは、弓をよくひきしぼらずに矢をはなつのに似ている」

疑わしい話

 私がマルクスをすばらしいと思うのも、かれの精神が益軒や梅園の精神の延長線上にあると思うからこそだ。「すべてを疑う」──これが自分の標語だと、かれは娘たちの質問にたいして答えていた。あのディドロの意見についてもマルクスは、きっと「賛成!」ということだろう。

 とこんなふうに考えていたら、まっこうからこれを否定するようにも読めるマルクス自身の文章にぶつかった。『経済学批判』序言のむすびの部分だ。

 「科学の入口には、地獄の入口とおなじく、つぎの要求がかかげられねばならない」としながら、ダンテの『神曲』地獄篇第三歌からそこに引用されていた句、それを私がそのとき手にしていた訳本にしたがってかかげれば──

 ここにいっさいの疑いを捨てよ
 いっさいの怯懦(きょうだ)はここに死ね

 これはいったいどういうことか。地獄の入口ならばともかく、いっさいの疑いを捨てることが科学の入口にかかげられるべき要求だとは。まるで話が逆ではないか。私は疑わざるをえなかった。

 ふと『歎異抄』の一節が思いうかんだ。「念仏すれば極楽にいけるのか、反対に地獄いきのもとになるのか、そんなことは私はとんと知らない。ただ私は、法然上人が、念仏をすれば必ず極楽往生ができるとおっしゃったのを信じこんでいるというだけのこと。たとえ法然上人にだまされて、念仏した結果、地獄におちたとしても、少しも後悔することはない」と親鸞はそこで語っていた。

 こういうことだろうか、マルクスが私たちに要求しているのは? まさか。

疑いこそは真理への門

 「たとい法然上人にすかされまいらせて念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」──これは宗教的信仰の一つの極致を示すことばとして、かぎりなく美しい。しかし私は、マルクスにだまされて地獄におちるわけにはいかない。

 そこで、しらべてみた。そして、疑ったことこそただしかったのだと知った。マルクスがかかげていた要求は、これまで考えてきたような意味で疑いを捨てることなんかではなかった。

 ダンテの旬をマルクスは原語で引いている。ここで「疑い」と訳されているのはsospettoだが、野上素一氏の新伊和辞典(白水社)でこれをひくと「@疑い、嫌疑、疑惑。A不信。Bあやふやな意見、推量。C恐怖、不安、恐れ。小心、臆病」とある。そして、『神曲』の野上氏の訳本(筑摩書房、世界文学大系)や寿岳文章氏の訳本(集英社、世界文学全集)では、問題の箇所はともに「恐怖」と訳されている。これでこそよく意味がとおるのではないか。『神曲』のなかでも、またマルクスの引用においても。

 すなわち『神曲』の場合には、「われをくぐるもの、いっさいののぞみをすてよ」という地獄の門の銘を読んでダンテがおもわずたじろぎの色をみせる、そのけはいを察して案内者のヴェルギリウスがいうのが、問題のあのことば。「たじろぎは無用だぞ」というのである。

 マルクスの引用においてもおなじこと。研究のすえに到達した結論が「支配階級の利己的な偏見」とどんなに一致しなかろうとも、という趣旨の文章がその直前にある。それをうけて問題の引用をふくむ問題の文章が記されているのだ。

 けっきょく、「疑い」といってもいろいろあるわけだ。断固として捨てさるべき疑い、断固として堅持すべき疑い、等々。

 「狐疑(こぎ)」ということばがある。「狐疑逡巡(こぎしゅんじゅん)」というふうにつかう。狐は疑いぶかい動物とされる。その狐のように疑いためらって態度を決しかねるありさまをいうわけだ。ダンテが、またマルクスが「捨てよ」といったのはこの種の疑いであろう。

 「猜疑」というやつもある。「猜」とは本来、黒犬のことで、古代中国人によってやはり疑いぶかい動物とされていたのだという。黒犬にとっては濡れぎぬにちがいないと思うのだが、いずれにしてもそれは、生産的に作用する人間的な疑いのことをいうのではないらしい……。
(高田求著「新人生論ノート」新日本出版社 p178-183)

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試すことのこわさ

 テレビ局の喫茶室で、プロデューサーから可愛い女の子を紹介された。十六歳の高校生。家族の反対を押し切って女優になる気らしい、なにか話してやってほしい、と言われた。

 スラリと長い脚、生き生きと表情に富んだ大きい眼。ピンと張った若い肌が、ふくらみかけたバラのつぼみのように美しい。芝居の経験はない、というが、本人がその気になって勉強すれば……この花は咲くかもしれない。「……役者という仕事は、見かけは華やかだけど、なかなか辛いものよ。でも、好きで選んだ以上は……」

 じっと私を見ていた少女は、首をふった,「別に……好きじゃありません」

 その言葉に、私はとまどった。
 「じゃあ、どうして女優に……」
 豊かな胸をちょっとそらして、
 「自分の可能性をためしてみたいのです」
 その顔は自信にあふれていた。プロデューサーは、
 「なかなかハッキリしているでしょう」

 と上機嫌だったけれど、私はあいまいに笑うより仕方がなかった。
 化粧部屋へ帰って支度をしながら、私は少少ゆううつだった。(可能性をためす)その言葉か胸に残っていた。

 若い人たちは、このごろしきりにためしたがる。人間、誰しもそういう思いこみの時期はある。私にもなかったとは言えない。ただ、その言葉の意味は、すこし、違っている。

 あれは私が小学校三年生だったかしら。お彼岸で、母が得意のおはぎ(牡丹餅)をつくろうと、ちょうど小豆(あずき)を煮上げたとき、急用が出来た。困っている母のそばへ行って、

 「この小豆、私があんこにしておくわ。やりかた知ってるもの。ためしにやらせて……」とせがんだ。とんでもない、手をつけちゃいけないよ、と母が出かけたあと、私はそっと台所へ行った。

 やがて帰ってきた母は、お鍋をみて青くなった、中は、小豆の皮だけだった……。見よう見まねで、ざるの中の小豆をつぶした私は、その上にザアザア水をかけ、あんこをみんな流してしまったのである。ざるの下に桶をおいて、水にとけたあんこを受けるのを知らなかった。

 「……ためすというのは、よーく習ったあげくにすることだよ。知りもしないことを、どうしてためすんだよ……」

 情けなさそうな母の言葉が身にしみた。それ以来、私はどんなことも、よく勉強したうえでなければ、ためさなくなった。

 さっきの女優のたまごさんは、役者として、まだ何ひとつ学んでいないし、生活経験もすくない。なにしろまだ十六年しか生きていないのだから──それなのに、自分の可能性をためそうというのは、あぶない。うかうかすると、あの、小豆の皮になってしまう。

 もし、あの可愛い容姿と現代っ子らしい持ち味で、ある程度成功したとしても、努力なしの試しでは、ながく保つまい。もし、失敗したら──たちまち自信を失って、容易に立ち上がれなくなってしまうだろう。

 試行錯誤という言葉もある。若い人が体あたりでいろんなことに立ち向かってゆくことに不賛成というわけではない。

 ただ、仕込みをしないで売ってばかりいたら、たちまち売り切れになるのは眼に見えている。そのあとの、若い人の心のすさびが、私はこわい。
(沢村貞子著「わたしの茶の間」光文社 p187-189)

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◎「しかし私は、マルクスにだまされて地獄におちるわけにはいかない」……と。