学習通信041223
◎「ユーモアには日付がないが、諷刺にはある」……。

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悩みが消え、熱い頭も冷える本

 しかし、何事も目的に応じてやり方を工夫しなければなりません。もう少し文学についていえば、悟りをひらき、安心立命の境地に達するためにいちばんよいのは、喜劇を読むことでしょう。たとえばアリストファネス(古代ギリシヤの喜劇詩人、前四四五頃──前三八五頃)や狂言や、江戸時代の川柳・雑俳(ざっぱい)の類は、保守対革新、資本主義対社会主義、平和運動と自衛隊強化などに熱中し、思いつめ、怒り心頭に発し、世をはかなむ者にとっては、このうえもない解毒剤になるでしょう。

たとえば、アリストファネスの『女の議会』のむかしから、平和運動があったということばかりではなく、それを性生活の機微にからませて、冗談めかし、しかも立派に筋を通す人間の知恵のあったということがよくわかる。

またイデオロギー闘争に熱中しているうちに、なにが目的で争っているのかわけがわからなくなり、大混乱におちいることは、いまにはじまったことではなく、たとえば、狂言『宗論』の時代にもそれがあったらしいということがわかります。

 政府が人民大衆を監督し、教え諭し、ついでに「親心」を示して子ども扱いにしょうとする例は、徳川幕府の寛政の改革を皮肉った、あの有名な「世のなかにかほどうるさきものはなし文武といいて夜も寝られず」の時代からの古い習慣だということもわかるでしょう。そういうことがわかって、どうなるわけのものでもありませんが、悩んでいるのが自分だけではないということがわかれば、それだけでも悩みは軽くなり、無くなった頭も冷えてくるでしょう。

そこまでゆけば、悟りとまではいかなくても、少なくとも安心立命の境地にいくらか近づいたということになる。なにも闘争だけではなく、たとえばベン・ジョンソン(イギリスの劇作家、一五七二ー一六三七)の芝居『ヴオルポーネ』を読めば、うまくやったと思うやつがとんだところで仇をとられる世の中の仕組み、また、たとえばモリエールの『人間嫌い』を読めば、正義人道の信念にこりかたまり、想像力のない人間が、どれほど厄介なものであるかという顛末が、手にとるごとくわかるでしょう。

そういう世の中の仕組み、人の性格の生み出す喜劇は、たぶん、いまもむかしも同じことなので、私たちの人生に悟りをひらくためにも、ベン・ジョンソンやモリエールが助けになるはずです。またジロドゥー(フランスの劇作家、一八八二ー一九四四)やネストゥロイ(オーストリアの劇作家、一八〇ーー六二)の喜劇を読めば、ある時代のある社会でのしきたり、ものの価値の判断の基準などはまったく相対的なものにすぎず、所変われば品変わる程度のものにすぎないということが、おのずから感じられるでしょう。

そうすれば、私たちの住んでいる社会のいまの風俗、習慣、正義、人道、すべての表看板も絶対にたしかなものであるわけがなかろうということ、また、その不確かな表看板にさえ実行のともなわないのが、この世の習いであろうということ、およそ安心立命などというものも、その辺のことを合点する以外の工夫ではなさそうだ、ということなども、おのずからわかってくるでしょう。
(加藤周一著「読書術」岩波現代文庫 p101-103)

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諷刺劇の危険について

 今は諷刺の時代である。この間までは諷刺なんていっても人は余り気にしなかった。まして諷刺劇なんてものについても、むしろ無関心といってよかった。なぜかというと有り余る言論の自由の中に、どっぷりとつかっていたからである。言論自由の国には諷刺は発達しない。直言の方が経済的だからだ。

 諷刺は曲がりくねっていて、決して直接的表現はしない。多くは二重構造になっていて、いわゆるダブル・ミーニングを含んでいる。いつでも逃げ道が作ってあるのだ。そういう意味では卑怯な表現という人もいるかも知れぬが「命あってのもの種」で命を失ったら、今後の発言は消えてしまう。物をいう人間には出来るだけ永くいう義務がある。また一方、そういう人間にはこの世がどうなるか、その成り行きを最後まで見届けたいという願望が強いのである。だから延命策として、逃げ道を作って置く必要があるのだ。

 現在、昭和五十年代の日本が諷刺の時代といわれ、新聞、雑誌などに投書家が「ミニ文芸」ともいうべき川柳、小話、替歌の如きものの山を築いているのは他でもないロッキード事件の政府高官名なるものが、出そうで出て来ないからである。

これは国民共通のもどかしさである。このもどかしさが深く強いと、よい諷刺が生まれるのである。政府高官名を『赤旗』は昭和五十一年四月十一日号で彼らなりに発表してセンセイションを起こしたが、書かれた方は名誉毀損で訴えるかどうか。

文明国では、例えば英国などでは王女誘拐の現行犯で捕まった男の報道にもミスターをつけて書いて居り、その住所も妻の名も子の名も家族については一切報じなかった。これは、たまたま同地に滞在していた私が体験して驚いたことである。しかし文明国の基本的人格の尊重とは、こういうものであろう。

 政府高官もそこが狙いで政府も起訴されるまでは、ひた隠しに隠すことであろう。これは国民にとって、大きなもどかしさである。そこで諷刺によって罰積した憤懣(ふんまん)を爆発させるのである。

 私がかつて「ユーモアには日付がないが、諷刺にはある」といったのはこのことで、ニュースが、あけすけに取り沙汰出来ぬ時に、しかも、その諷刺の相手に打撃を加えたい時に、人々は諷刺に走るのだ。

 諷刺には犯罪に似て必ず加害者と被害者がいる。しかも被害者は必ず権力者で絶大なるカを持っている。日本は世界にも冠たる言論自由の国で三権分立だから斎に司法権や警察権が身に及ばないから、かなり大胆な発言が出来る。現に田中角栄は一雑誌の記事によって失脚した。田中首相にしても雑誌の発行を停止することは出来なかったのだ。

 アメリカもジョークの国で政治家はジョークが上手でないと出世しないといわれる。しかし、共産圏に於いて、ジョークは彼ら為政者へ向かって作られる。その場合、多くは反ソの線である。チェコではアネクドータ、ハンガリイではヴィッツというらしい。

山田一兵氏の『月刊百科』に寄せた文章の中にヴィッツに関する愉快な報告がある。山田氏は「口伝えで驚くべき速さでひろがるが印刷物には現れて来ない」と書いている。これも責任回避の逃げ道のためで傑作も結局、無名の「読み人知らず」でしかも口伝えで終わるのである。

 徳川時代あのように川柳が発達したが、これも殆ど無署名である。責任回避で、もし署名したら、それは死に通じる可能性もあったのだ。幕末、町民というか庶民のエネルギーの内圧が高まりそれは色々な形で噴出したが、戯作者や絵師が、死非罪になったり手鎖の重罪に服しているのを見ても如何に怖ろしい時代であったか判ろう。

私は冒頭に「ミニ文芸」という言葉を使ったが、日本人のエネルギー不足というより、当時の圧制の厳しさを思うべきで出来るだけ短い圧縮したミニの形態をとったのは、安全を期したからである。長篇は目立って、それだけに危険を伴ったのである。

 さて、この文の予告が出ていたが私については「『鳥獣合戦』当時のこと」と書いてあった。もうこのごろの読者は、戦争中の私の二つの作品『北京の幽霊』『鳥獣合戦』については御存知ない方が多いにちがいない。

私と年齢の違わない演劇の学者、大本直太郎先生も、いつだか、雑誌の座談会で「飯沢の処女作『良岩山の人々』」云々と発言していらっしゃるので、私はひどく驚いたのであるが、専門の学者にしても私を戦後派の劇作家と思っていらっしゃるのである。

 幸い『鳥獣合戦』のころという指定があったから、もう一度、そのあたりのことを書いてみよう。演劇雑誌『悲劇喜劇』で、昭和五十年だかに検閲についての特集をしたが、その号でも『鳥獣合戦』について触れた文章があったわけである。

 今日の人に検閲の恐怖について説くのは難しい。いうならばスペインの異端審問にも似た苛烈さであったといってよかろうか。検閲制が一たび布かれると忽ち官僚主義が始まる。官僚のやることだから、万遺漏なきを期し、自分の落度、減点になることは極力避けようとする。失敗するとボーナスや昇給にかかわるからで、職務に忠実にやることになる。

それには何でも疑問のあるものは削るなり不許可にすることである。その不公平について批判するものはないのだから一方的に峻烈に削除してゆけば彼の官僚としての位置は安泰なのである。だから戦争が苛烈になればなるほどそれはひどくなっていった。

 一方、「物いわざるは腹ふくるるわざ」ということがある。戦局が予想通り我が国に不利になって来ると「それ見たことか。いわないことじゃない」という気が強くなり、今こそ、我々を非国民なんてぬかした奴に一泡吹かせてみたくなる。戦が終わってからでなく戦争中に、おれはこれだけのことをいったのだという証拠をのこしたくなる。そういう気持が強くなったのである。だが、それをいうのは、まあ生命と引きかえぐらいのつもりでないと出来ない冒険である。

直言した人はみな牢獄につながれた。私の出身校の文化学院院長の西村伊作先生は、あまりにも正直で戦争の愚をあからさまにいったので捕えられ、その上、文化学院は、とりつぶしにされてしまった。

吉田ワンマン首相が一介の外交官から戦後の首相にのし上がったのは、これも戦時中の大胆な発言がアメリカに知られ、そこで担ぎ出されたのである。私は『鳥獣合戦』を書いたが、占領軍にも日本軍部と同じ嫌悪感を抱いたので、協力しなかった。むしろ占領軍を批判した。『抱山人々』は、その一つである。
(飯沢匡著「武器としての笑い」岩波新書 p70-74)

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◎「戦が終わってからでなく戦争中に、おれはこれだけのことをいったのだという証拠をのこしたくなる。そういう気持が強くなったのである。だが、それをいうのは、まあ生命と引きかえぐらいのつもりでないと出来ない冒険である。」