学習通信041228
◎「理論的活動と実践的活動は融合して一つの活動」に……

■━━━━━

 社会主義的イソテリゲンツィアは、幻想と絶縁して、ロシアののぞましい発展のうちにではなく、現実の発展のうちに、また、可能な社会・経済関係のうちにではなく、現実の社会・経済関係の・うちに、その支柱をもとめるようになるときにはじめて、実のり多い活動を期待することができる。

このばあい彼らの理論的活動は、ロシアにおける経済的敵対のあらゆる形態の具体的研究、それらの形態の関連と継起的発展との研究を目標としなければならないであろう。

それは、政治史や、法制度の特殊性や、既成の理論的先入見によってこの敵対が隠蔽されているいたるところで、これを暴露しなければならない。

それは、生産関係の一定の制度としてのわが国の現実についての完璧な絵図をえがき、この制度のもとでは勤労者の搾取と収奪が不可避であることをしめし、経済的発展が指示する、この制度からの出路をしめさなければならない。

 ロシアの歴史と現実についての細目にわたる詳細な研究に立脚するこの理論は、プロレタリアートの要請にこたえなければならない。

──そして、もしこの理論が科学の要求をみたすならば、プロレタリアートの抗議思想のあらゆる目ざめは、不可避的にこの思想を社会民主主義の水路にみちびきいれるであろう。

この理論の作りあげがすすめばすすむほど、社会民主主義はいっそうすみやかに成長するであろう。

なぜなら、現代の制度のもっとも悪がしこい守護者にでも、プロレタリアートの思想の目ざめを妨げる力はないからである。

彼らにその力がないというのは、この制度そのものが、必然的に、また不可避的に生産者のますます激しい収奪、プロレタリアートおよびその予備軍のますますおびただしい増大をひきおこしており、しかもこれが、社会的富の増進、生産力の巨大な成長、資本主義による労働の社会化と、あいならんでおこなわれているからである。

こういう理論をつくりあげるのにまだどれほど多くの仕事がのこっているにしても、社会主義者がこの仕事をはたすであろうことの保障は、唯一の科学的方法である唯物論──それは、あらゆる綱領は現実の過程を正確に定式化したものでなければならない、と要求する──が彼らのあいだに普及していることによってあたえられており、また、これらの思想を受けいれている社会民主党の成功によってあたえられている。

この成功は、わが国の自由主義者と民主主義者の心をひどくかきみだしたために、あるマルクス主義者の批評によると、彼らの部厚い雑誌が退屈でなくなったほどである。

 私が、社会民主主義者の理論的活動の必要性と重要性と巨大さとを、このように強調するとしても、私はそのことによって、この活動が実践的活動に優先すべきだ、と言おうとしているのではまったくない。

ましてや、理論的活動が完了するまで実践的活動を延ばすべきだ、などと言おうとしているのでもない。

そういう結論をひきだしうるのは、「社会学における主観的方法」の崇拝者たち、すなわち、空想的社会主義の追随者たちだけである。

もちろん、もし社会主義者の任務が、その国の「発展の別個の(現実の道以外の)道」をさがしもとめることにあると仮定すれば、天才的哲学者が、そういう「別個の道」を発見してしめすときにだけ、実践的活動かおこないうるようになるのは、当然である。

また逆に、そういう道が発見されて、しめされるときに、理論的活動はそこにおわって、「新しく発見された」「別個の道」にそい、「祖国」をみちびくべき人々の活動がはじまるわけである。

社会主義者の任務が、現存の社会経済的発展の現実の道のうえにいる現実の真の敵にたいする、プロレタリアートの現実の闘争において、彼らの思想的指導者となることに帰着するとすれば、事情はまったく異なったものとなる。

そのばあいには、理論的活動と実践的活動は融合して一つの活動となる。ドイツ社会民主党の古つわものリープクネヒトは、つぎの言葉によってきわめて適切にこの活動を特微づけた。

Studieren, Propagandieren, Organisieren
〔研究し、宣伝し、組織する〕

 前述したような理論的活動をおこなうことなしには、思想的指導者となることはできない。それと同様に、この活動を事業の要請に応じてみちびくことなしにも、また、この理論の成果を労働者のあいだで宣伝し、彼らの組織化を援助することなしにも、思想的指導者となることはできない。

 任務をこのように提起するならば、社会主義者のグループにきわめてしばしば見られる欠陥──散布主義と対応主義とに社会民主主義者が陥ることはふせがれる。

 学説が社会経済的発展の現実の過程に合致するかどうかが、その学説にたいする最高の、そして唯一の基準となっているところに、教条主義はおこりえない。

任務がプロレタリアートの組織化をたすけることに帰着するときに、したがって、「インテリゲンツィア」の役割が、特殊の、インテリゲンツィア出身の指導者を不用にすることに帰着するときに、宗派(セクト)主義はおこりえない。
(レーニン著「「人民の友」とはなにか」レーニン全集@ 大月書店 p314-316)

■━━━━━

党の綱領とは何か──日本社会発展の目標と道筋を示す

 これから、日本共産党の綱領についての講義をおこないますが、最初に、党の綱領とは何か、という問題について話しましょう。このことは、党大会での「綱領改定についての報告」で、かなり詳しく説明しました。

 報告は、まず、党の綱領は「党活動の目標、および根本方針を明らかにするものであります」と述べた上で、日本共産党の最終目標は、日本の社会を、「真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」、すなわち社会主義・共産主義の社会に発展させることにあるが、最終目標であるこの未来社会への道を、「社会の発展のどんな段階をへて、また道筋に沿って前進し、……どのように切り開いてゆくか」──このことを、日本の条件にかなった「日本独自のもの」として明らかにするところに、綱領のなによりの役割があると、指摘しています。

 大会報告は、続けて、より立ち入った形で、次のように述べました。
 「とくに、いまの日本社会がどういう状態にあり、社会としてどんな課題に直面しているのか、それをどのように解決するのが法則的で発展的な方向であるのか、これらの解明は、綱領の中心問題であります。

そこでは、当面の情勢のもとでの方針だけでなく、さきざきまで展望して、日本と世界の諸問題にのぞむ基本的な考え方や目標が明らかにされなければなりません。党の発展と活動の途上には、前進もあれば後退もあり、いろいろなことが起きることが予想されますが、そのなかでも太く貫いてゆく方針を示すのが、党綱領であります。

私たちが、綱領の改定にあたっては、長い目で歴史の試練に耐える≠アとが重要だと強調しているのは、その意味であります」(『報告集 日本共産党綱領』七ページ、以下『報告集』と略記)。

国民の前に公然と掲げられた「党の旗」

 綱領は、こういう意味で、日本共産党の活動の根本方針を示したものですが、それは、党内だけの、党員だけが分かっていればよいという、内部的な文書ではもちろんありません。大事なことは、それが、日本共産党が国民の前で公然と掲げている「党の旗」だということです。大会報告は、続けて、述べています。

 「綱領が日本共産党の根本方針だということは、党内だけで通用すればよい、ということではありません。科学的社会主義の事業の先輩たちは、党の綱領とは『公然と掲げられた旗』であって、『世間の人々はそれによって党を判断する』(エンゲルス)、こう語ったことがあります。

 もともと日本の社会の発展の方向を決めるのは、日本の国民であります。どんな方針も国民の多数者の理解と支持を得てこそ、はじめて社会を動かす力を発揮するものです。私たちが、今回の綱領改定にあたって、国民により分かりやすく≠ニいうことに力を入れたのもそのためであります」(『報告集』八ページ)。

 ここで、報告が紹介しているエンゲルスの言葉は、いまから百三十年ほど前に、ドイツの党の綱領の問題に関連して言われたものです。それまで、ドイツには、労働運動、社会主義運動を代表する政党が二つあり、一八七五年、この二つの党が合同することを決め、合同によって成立する党のための新しい綱領案を発表したのです。これは、マルクス、エンゲルスには、不意打ちのできごとでした。

発表された綱領案(合同大会が、ドイツのゴータという都市で開かれたことから、「ゴータ綱領」と呼ばれています)を読んで、あまりにも欠陥や弱点、間違いが多いことに驚いた二人は、それぞれ批判の手紙を書いて、党綱領についての自分たちの考えを説明しました。

エンゲルスは、その手紙のなかで、「新しい綱領というものは、……つねに公然と掲げられた旗ですし、世間の人びとはそれによって党を判断します」と語ったのです(「べーベルヘの手紙」一八七五年三月一八〜ニ八日、古典選書『ゴータ綱領批判/エルフルト綱領批判』五七ページ、マルクス・エンゲルス全集I八ページ)。このことは、百三十年前のドイツだけではなく、現在の日本の政党、私たちの党にとっても、あてはまることです。
(不破哲三著「新・日本共産党綱領を読む」新日本出版社 p28-30)

■━━━━━
「あらゆる綱領は現実の過程を正確に定式化したものでなければならない、と要求する」

「いまの日本社会がどういう状態にあり、社会としてどんな課題に直面しているのか、それをどのように解決するのが法則的で発展的な方向であるのか、これらの解明は、綱領の中心問題」……。

……04年最後の学習通信≠ナす。05年は1月4日からはじまります。