学習通信050104
◎「分業から生じる人民大衆の完全な萎縮」……。

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【無知】(名・形動)@何も知らないこと知識がないこと。また、そのさま。「──な大衆」A学問のないこと。無学。B知恵がないこと。おろかなこと。また、そのさま。「──な顔つき」
──の知 真の知に至る出発点は無知を自覚することにある、とするソクラテスの考え方。
(三省堂「大辞林」)

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無知は一つの魔物である

 「知は力」といいます。学習とは、知の力を身につけることです。
 では、無知は? 知が力であるとするならば、「無知は無力」 ということになるでしょうか?
 ちがう、と私は思います。無知もまた一つの力──危険な力だ、と思うのです。

 冬山がどういうものであるかを知らず、冬山登山に必要な装備・心得を欠いたまま冬山にいどめば、どうなるでしょうか。無知は、冬山にいどむ人を遭難にみちびく危険な力です。フグが卵巣や肝臓に猛毒をもっていることを知らず、フグ料理に必要な心得を欠いたままフグを食べたら、どうなるでしょうか。無知は、フグにいどむ人を死にみちびく恐るべき力です。

 マルクスが二十四歳のとき(一八四二年) 『ライン新聞』に書いたある文章(「『ケルン新聞』第一七九号の社説」)を読んでいたら、次のようなことばにぶつかりました──
 「無知は一つの魔物である。われわれは、それが今後も少なからぬ悲劇を上演するのではないかと気づかっている」
 無知は危険な力、ということにマルクスも「異議なし、賛成」といってくれるみたいです。

 この文章を書いた頃のマルクスは、革命的民主主義の立場に立っていましたが、まだ共産主義者ではありませんでした。でも、共産主義=科学的社会主義の立場に立ってからのマルクスも、必要とあれば何度でも、同じことばをくりかえしただろうと思います。そもそもこのことばに示されたような姿勢こそがマルクスを、科学的社会主義の立場にみちびいていったのです。

 「無知は一つの魔物である」と青年マルクスが書いた、その四年後(一八四六年)のあるエピソードをご紹介しましょう。
 マルクスはすでに共産主義者として、革命運動のただなかに身をおいていました。その一入四六年の三月三〇日、ベルギーのブリュッセルで開かれた共産主義通信委員会の席上でのことです。エンゲルスの司会のもとで、マルクスとヴァイトリングとの間に激論が交わされたのです。

 ヴァイトリングというのは、ドイツ労働運動の発生期における活動家で、労働者階級出身のドイツで最初の著作家でした。マルクスは、自分より十歳年長のこの労働者出身の革命家を高く評価していました。

彼の著作はドイツ・プロレタリアートの理論的能力を示すものであり、どんなに幼稚な点をふくんでいようと、それはいわば「巨大な子供靴」であって、「ドイツ・ブルジョアジーのはきふるされた政治靴のちっぽけさ」とはくらべものにならぬ、とさえ書いていた(「……批判的論評」一八四四年)ほどです。

 しかし、ブリュッセルにやってきたときのヴァイトリングは、もう理論的前進をやめてしまっていました。「地上に天国を実現するためのできあがった処方箋をポケットにもち、みながそれを彼から盗みとろうとねらっていると妄想する、国から国へと追いたてられている予言者」になってしまっていた、と後年エンゲルスは回想しています(「共産主義者同盟の歴史によせて」一八八五年)。

 そのヴァイトリングにむかってマルクスがいったことは──「科学的理論のうらづけもなく、確かなプログラムもなしに、ただ民衆を扇動するのは一種の詐偽ではないか。それは民衆を救うどころか、破滅させるものだ」
 およそ、こんなことであったようです。

 ヴァイトリングはくどくどと抗弁し、そのあげく、「私には大衆の支持がある。書斎派に何ができるか」と口走ったようです。
 するとマルクスは、力まかせにテーブルをたたいて「無知がものの役に立ったためしがあるか」と叫び、それでその日の討論はおわった、とその場にいあわせたあるロシア人(アンネンコフ)は回想しています。

知の力と労働者階級

 もっとも、どのような場合にも「無知は危険な力」ということになるのかといえば、そうではない、と思います。
 無知ゆえの大胆さが思いもかけぬ効果をもたらす場合がある、という話ではありません。そういう場合があるのは事実ですし、それはそれで大切な問題をふくんでいると思いますが、このさいは話が別です。

 冬山についての無知が危険な力であるのは、冬山に人がいどもうとするかぎりでのことだ──ということにここでは注意したいのです。

 冬山にいどむことをしないかぎり、冬山についての無知は何ら危険な力ではありません。知の力も無知の力も、すすんで何事かをしようとする人にとってはじめて、現実の問題となることです。何もしないでいるかぎりは、無知も知も似たようなもので、マイナスの力でもなくブラスの力でもない──力としてはゼロに等しいわけです。

マルクスがヴァイトリングを前にして拳(こぶし)でテーブルをたたいたのも、ヴァイトリングが何もしない人間ではなく、革命家であったればこそのことで、これはヴァイトリングの名誉のためにもいっておかねばなりません。

 でも、冬山の方から私たちにいどみかかってくる場合には、どうでしょうか。
 「冬山の方からいどみかかってくる」というのは、もののたとえです。資本主義社会と労働者との基本的な関係のことを、いま私は考えています。

 「労働者のたたかいはその存在とともにはじまる」といわれます。これはしかし、労働者が「生来たたかい好き」ということではありません。労働者は好きこのんでたたかいに立ち上がるのではなく、生きるためにはたたかうことをよぎなくされるのです。

つまり、社会の方から労働者にいどみかかってくるのです。そのかぎり、社会についての無知は労働者にとって、つねにマイナスの方向にはたらく現実の力とならずにはいません。

これはたんに過去の話ではなく、現在の問題としてもそうであり、また労働者階級にとってだけのことでもありません。たとえば、いわゆる新型間接税、政党法、国家機密法、等々は、政府・自民党・独占資本の国民にたいする挑戦であり、それらについての無知は私たち国民にとって、みずからを破滅にみちびく危険な力そのものです。

 話をもとにもどしますが、労働者階級はそもそものはじめから、生きるためにはたたかわざるをえない立場におかれていたのであり、そのたたかいのために知の力を求めざるをえない、そういう立場におかれていたのであって──そしてヴァイトリングは、そのような立場におかれた労働者階級の知的・実践的先駆者として登場したのです。

そのヴァイトリングが知的前進をやめ、しかもたたかいの指導者でありつづけようとしたとき──そのとき、マルクスは拳をかためて机をたたいたのでした。
(高田求著「学習のある生活」学習の友社 p18-24)

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 未開人が戦争のあらゆる技術を個人的策略として行なうように、自立的な農民または手工業者がたとえ小規模にでも展開する知識、洞察、および意志は、いまではもはや、作業場全体にとって必要とされているにすぎない。

生産上の精神的諸能力は、多くの面で消滅するからこそ、一つの面でその規模を拡大する。部分労働者たちが失うものは、彼らに対立して資本に集中される。

部分労働者たちにたいして、物質的生産過程の精神的諸能力を、他人の所有物、そして彼らを支配する力として対立させることは、マニュファクチュア的分業の一産物である。

この分離過程は、資本家が個々の労働者に対立して社会的労動体の統一と意志を代表する単純協業において始まる。

この分離過程は、労働者を不具化して部分労働者にするマニュファクチュアにおいて発展する。

この分離過程は、科学を自立的な生産能力として労働から分離して資本に奉仕させる大工業において完成する。

 マニュファクチュアにおいては、全体労働者の、それゆえ資本の、社会的生産力の富裕化は、労働者の個別的生産諸力の貧弱化を条件としている。

 「無知は、迷信の母であると同様に、勤勉の母である。反省と空想力は誤りにおちいりやすい。しかし、手足を動かす習慣は、このどれにも無関係である。したがって、マニュファクチュアがもっとも繁栄するのは、人々がもっとも精神力を奪われて、作業場が〔……〕人間を部品とする一つの機械とみなされうるようになっている所である」。

 実際、若干のマニュファクチュアは、一八世紀のなかばに、簡単ではあるが工場の秘密をなす特定の諸作業に、好んで半白痴者を使用した。

 A・スミスは、次のように言う──「大多数の人間の精神は、必然的に彼らの日常の仕事によって、またそこにおいて、発達させられる。少数の簡単な作業の遂行に全生涯を費やす人は、……彼の理解力を働かす機会をもたない。……彼は、およそ創造物としての人間がなり下がれる限り愚かで無知なものになる」と。

 スミスは、部分労働者の愚鈍さを叙述したあと、次のように続ける──

 「彼の停滞的な生活の千篇一律さは、自然に彼の勇敢な精神をも腐敗させる。……その千篇一律さは、彼の肉体上のエネルギーをさえ破壊し、彼がこれまで仕込まれてきた細目作業のほかでは、精力的に忍耐強く自分の力を発揮できないようにする。このようにして、彼の特定の職業における彼の技能は、彼の知的、社会的、および軍事的な徳を犠牲にして獲得されるように思われる。ところで、あらゆる産業的文明社会では、これこそ〔……〕労働貧民、すなわち人民大衆が必然的におちいらざるをえない状態なのである」。

 分業から生じる人民大衆の完全な萎縮を防止するために、A・スミスは、慎重な同毒療法的服薬としてではあるが、国家による国民教育を推奨している。これにたいして、スミスの著書のフランス語訳者で注釈者であるG・ガルニエ──彼はフランスの第一次帝政のもとで当然ながら元老院議員になり上がった──は、徹底的に反対している。国民教育は、分業の第一緒法則に反しており、国民教育で、「われわれの全社会制度がぶちこわされる」と言うのである。

 「他のすべての分業と同じように」──と彼は言う──「手の労働と頭の労働との分業も、社会」(彼は、この言葉を正しく、資本、土地所有、およびそれらのものである国家をさすものとして用いている)「が富めば富むほど、ますます明瞭かつ決定的となる。他のあらゆる分業と同じく、この分業は過去の進歩の結果であり、将来の進歩の原因である。……いったい政府は、この分業を妨害し、その自然的進行を制止してよいであろうか? 政府は、その分割と分離とをめざしているニ種の労働をもつれさせ混合させる試みのために、国家の収入の一部を費やしてよいであろうか?」。

 ある種の精神上および肉体上の不具化は、社会の全般的な分業からも切り離すことはできない。しかし、マニュファクチュア時代は、労働諸部門のこの社会的分割をさらにはるかに前進させ、また他面では、その固有な分業によってはじめて個人の生命の根源を襲うのであるから、それはまた、まず第一に産業病理学に材料と刺激とを提供する。
(マルクス著「資本論B」新日本新書 p627-631)

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◎「部分労働者たちにたいして、物質的生産過程の精神的諸能力を、他人の所有物、そして彼らを支配する力として対立させることは、マニュファクチュア的分業の一産物である。」と。