学習通信050111
◎「なんらかの見通しの助けを借りることなく」……。

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科学的社会主義と空想的社会主義の決定的な違い

 この問題を考えるには、まず、マルクス、エンゲルスが未来社会論を論じるとき、どういう基本姿勢で問題をとらえ、また論じたか、このことをしっかりつかむことが、大事になります。いいかえれば、「科学の目」で未来社会をとらえるとは、どういうことか、この点で、マルクス、エンゲルスの科学的社会主義といわゆる空想的社会主義あるいはユートピア社会主義との決定的な違いはどこにあるのか、という問題です。

 もともと、共産主義、社会主義という、資本主義の矛盾をのりこえた理想社会をめざす運動は、フランス革命の当時からはじまりました。だから、その歴史にはかなリ古いものがあるわけで、この運動を根本から革新し、「社会主義を科学に変えた」ところに、マルクスの果たした画期的な役割があったのです。こうして生まれたのが、科学的社会主義の理論と運動です。

 マルクス、エンゲルス以前の運動は、空想的社会主義、あるいはユートピア社会主義と呼ばれます。その一部は、それ以後も生き残って、プルードンとその派が代表的な存在でしたが、マルクス、エンゲルスらの科学的社会主義の運動にたいして対抗者的な役割をはたしました。

 これらの運動がなぜ空想的社会主義などの名前で呼ばれるかというと、現在の資本主義社会の批判をし、それに代わる理想社会はこうあるべきだという設計図を頭のなかで描いて、それを外から社会に持ち込もうとする運動だったからです。ですから、目標を実現する手段は、理想社会はこんなにすばらしい社会だぞということを宣伝するのが主な手段となり、宣伝の相手も、当時の社会でいちばん実力のあった資本家階級に呼びかけることが主になる、こういう場合さえあったのです。

 それにたいして、マルクス、エンゲルスは、未来社会の目標とその必然性も、それを実現する条件や手段も、運動の主体やあり方も、すべて「科学の目」でとらえたところに、「科学的」社会主義と呼ばれる値打ちがあったのでした。

 社会主義のこの二つの流れの決定的な違いはどこにあったのか。その違いを、未来社会論にしぼって、より立ち入って検討してみましょう。

 第一は、マルクスが、資本主義社会の発展とその矛盾についての科学的な研究を徹底的にやったことです。そしてその中から、社会主義的な変革の必然性、この変革によって実現される未来社会──社会主義・共産主義の社会──の基本的な性格や特徴、この社会を準備する諸条件が資本主義社会の胎内でどのように発展するか、こういう問題を「科学の目」で詳細に明らかにしたのです。

 この研究を通じて、マルクスは、資本主義社会から新しい社会への変革の核心となり、また未来社会の経済の土台をなすのは、「生産手段の社会化」──生産者たちが、共同で生産手段を自分の手ににぎること──だ、ということ、これを実現することによって、搾取の廃止と人間の解放にも、「社会的理性」を発揮した経済の計画的な運営にも、生産力発展の新時代にも、壮大な道が開かれることを、科学的に解明しました。

 こういう仕事は、空想的社会主義者たちには、まったく手のつけられなかった、しかし社会主義・共産主義の理論と運動には決定的な意義をもつ領域でした。

 第二に、こうして社会主義・共産主義の目標を科学的に見定めながらも、マルクスは、空想的社会主義者たちとは違って、未来社会の詳細な青写真を描くことは、決してしませんでした。

 資本主義社会の諸矛盾を解決する、という問題についても、生産手段の社会化によって、その矛盾が解決されるという大局的、法則的な方向は明らかにしました。しかし、それが解決される形態がどういうものになるか、どんな方法がどんな順序でとられるか、そういうことを図式的に指示することはしなかったのです。「生産手段の社会化」という中心問題についてさえ、それが実現される形態はこうだということを、特定することはしませんでした。

 「科学の目」で資本主義社会から未来社会への発展を深くとらえながら、なぜ詳細な青写真を描かなかったのか、というと、それは、マルクスが、そしてエンゲルスも、本当の「科学の目」の持ち主として、人類社会の発展というものについて、たいへん深い洞察を持っていたからです。

資本主義のいろいろな矛盾の解決がどんな形態をとるのか、その解決にはどんな方法や措置が必要になるのか、またそれらがどんな順序で実行されてゆくか、こういう問題は、実際の歴史の歩みのなかで、そのときの、その社会の具体的な情勢に応じて規定されるものであって、いつでもどこでも適用できる万能薬的な解決策があるわけではありません。

すぐれた「科学の目」を持った人物だったからこそ、マルクスはそのことを誰よりもよく知っていたのです。そういう問題は、自分たちが活動している時代の情勢から推測して、あらかじめ決定できるものではない、そこでは、いよいよその解決が問題になるときに、そのことにあたる世代の英知と創造性が大いに発揮されるだろう、そこまで割り切ったのが、マルクスの立場でした。

 だいぶあとのことですが、資本主義から共産主義へ移行するさいの青写真を描きたがる若い活動家にたいして、エンゲルスが、それは不可能な話だ、それは諸条件がどんどん変化するからだ、「たとえば新しいトラストができるごとに、それは諸条件を変化させます」と言ってたしなめたことがあります。

 実際、マルクスやエンゲルスが、この立場を守らないで、自分たちが活動していた一九世紀の情勢に対応する青写真を描いたりしていたら、二一世紀に活動する私たちは、時代遅れの青写真を目の前にして、たいへん困った立場に立たされることになったでしょう。一九世紀と二一世紀の現代とのあいだには、同じ資本主義の社会でも、「新しいトラスト」一つどころか、電話も自動車もなかった時代とコンピューターやIT革命の時代という、諸条件の巨大な変化によって隔てられているのですから。

 そういうことを分かっていたから、マルクス、エンゲルスは、この種の青写真を描かなかったのです。彼らは、「生産手段の社会化」を土台にした社会という目標を明示することが、必要にして十分なものだと、考えたのでした。

(注)このことを、たいへん端的な言葉で表現したものに、一八九三年五月、エンゲルスがフランスの新聞「ル・フィガロ」の特派員にたいしておこなったインタビューがあります。

 フィガロ特派員:あなたがた、ドイツの社会主義者の終極目的は?
(エンゲルス氏は、数秒のあいだ記者をみたあと言った。)

エンゲルス:しかし、われわれには終極目的などありません。われわれは進化主義者です。われわれには、人類に終極の掟を命令するつもりなどありません。未来社会の詳しい組織にたいする予測について? あなたがたは、われわれのところにはその痕跡さえみつけないでしょう。われわれは、生産手段を社会の手にもたせるだけでもう満足です。

 人間社会の歴史的な発展をそこまで深く考えないで、いろいろな社会問題について、どんな場合にもあてはまる万能の解決策の立案に熱中したのが、空想的社会主義者でした。そして、時には、自分の解決策の方が立派だ≠ニいった式のアイデア競争を、盛んにやったりしたものでした。ここに、空想的社会主義者の多くがおちいった青写真主義の根本的な誤りがありました。

 以上のことは、マルクス、エンゲルスの未来社会論の基本姿勢にかかわる問題であって、どんな場合でも、私たちが、きちんと踏まえておく必要のある点です。
(不破哲三著「マルクス未来社会論」新日本出版社 p14-19)

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 ここで、もう一つの、マルクスの学説の批判には直接の関係はないが、この批評家によるもろもろの理想の解明と現実の理解にとってきわめて特徴的な一つの事情に触れないわけにはいかない。それは、西欧の労働運動にたいするこの批評家の態度である。

 唯物論が「科学」において(もしかしたら、ドイツの「人民の友」の科学においてか?)、自己の正しさを証明しなかったというミハイローフスキイ氏の言明は、前に引用しておいた。しかし、この唯物論は──とミハイローフスキイ氏は論じている──「実際、労働者階級のあいだに非常に急速に広がりつつある」。

この事実をミハイローフスキイ氏はどのように説明しているであろうか? 彼は言う。「経済的唯物論が、いわば幅の広さでかちえている成功、すなわち、それが批判的に検証されない形で普及していることに関して言うと、この成功の重心は、科学にではなく、『未来』に向かっての見通しによって据えられている、日常生活上の実践のうちにある」。

未来に向かっての見通しによって「据えられている」実践というこの不細工な言葉には、唯物論が普及しているのは、それが現実を正しく説明しているからではなく、この現実から見通しに向かって顔をそむけているためであるということ以外に、どんな意味がありうるのだろうか? そして、さらにこう言われている。

「これらの見通しは、それを消化するドイツの労働者階級、およびこの階級の運命に熱烈に同情している人々に知識も批判的思考の活動をも要求しない。それが要求するのは、ただ信仰だけである」。言葉を換えて言えば、唯物論と科学的社会主義が幅広く普及しているのは、この学説が労働者たちによりよい未来を約束していることによるのである! この説明のばからしさと欺瞞をすべて見て取るには、西欧での社会主義と労働運動の歴史をごく初歩的に知るだけで十分である。

誰でも知っているように、科学的社会主義はかつて一度も、本来の意味での未来の見通しというものを描いたことはなかった。科学的社会主義は、現代ブルジョア制度を分析し、資本主義的社会組織の発展の諸傾向を研究するにとどめた──そして、それだけである。「われわれは世界に向かって言いはしない」──とマルクスはすでに一八四三年に書き、そして彼は正確にこの計画を完遂した。──「われわれは世界に向かって言いはしない、『君の闘争をやめよ、すべての君の闘争はつまらないものだ』、われわれが世界に闘争の真のスローガンを与えよう、などとは。

われわれは、ただ世界に、なんのために世界がたたかっているかを示すだけである。そして、意識とは、世界がそれを望むか、望まないかにかかわりなく、世界がおのずと獲得せざるをえないものである」。誰もが知っているとおり、たとえば、『資本論』は、科学的社会主義を叙述した主要な、基本的な著作であるが、未来についてはごく一般的な示唆をするにとどめており、そのなかから未来の体制が成長してくる諸要素のうち、すでにこんにち現存しているものしか探究していない。

また、誰でも知っているように、未来の見通しについては、これまでの社会主義者たちの方がはるかに多くを提供しており、そして彼らは、人間が闘争なしにすませるような制度、人間の社会関係が搾取に立脚せず、人間の本性の諸条件に合致した、真の進歩の諸原則に立脚するような制度の絵画で人類を魅了しようとして、未来の社会をこまごました点まで描き出したのである。

しかし──これらの思想を説いたきわめて才能ある人々や、きわめて固い信念をもった社会主義者が密集部隊をなすほどいたにもかかわらず──機械制大工業が労働プロレタリアートの大衆を政治生活の渦のなかに巻き込むまでは、またプロレタリアートの闘争の真のスローガンが発見されるまでは、彼らの理論は生活から遊離しており、彼らの綱領は人民の政治運動から遊離していた。

このスローガンは、はるか以前、一八七二年に、ミハイローフスキイ氏が評したように、「空想家ではなく、厳しく、ときには冷徹でさえある」マルクスによって発見された。まったく、なんらかの見通しの助けを借りることなく、現代ブルジョア制度の科学的分析の助けを借りて、この制度の存在のもとにある搾取の必然性を解明することによって、その発展法則の研究によって発見されたのである。

もちろん、ミハイローフスキイ氏は、『ルースコエ・ボガーツトゥヴォ〔ロシアの富〕』の読者たちに、この分析を自分のものにするのには、知識も思想の作業も要しないということを納得させることはできるだろうが、われわれは、すでに彼自身に、ことほどさような、この分析によって明らかにされた初歩的な真実にたいする乱暴な無理解を見てきており(彼の協力者である一経済学者にはそれ以上のものを見いだすであろう)、そのような言明はもちろんほほえみを呼び起こすだけである。

労働運動の普及と発展は、資本主義的機械制大工業が発展しているまさにその場所で、また、まさにその限りにおいて、争いえない事実としてとどまり、社会主義学説の成功は、それが人間の本性に合致した社会的諸条件について論議することをやめて、現代の社会関係の唯物論的分析と、こんにちの搾取制度の必然性の解明にとりかかる場合にこそ、争いえない事実としてとどまるのである。
(レーニン著「「人民の友」とはなにか」新日本出版社 p104-109)

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◎「資本主義のいろいろな矛盾の解決がどんな形態をとるのか、その解決にはどんな方法や措置が必要になるのか、またそれらがどんな順序で実行されてゆくか、こういう問題は、実際の歴史の歩みのなかで、そのときの、その社会の具体的な情勢に応じて規定されるものであって、いつでもどこでも適用できる万能薬的な解決策があるわけでは」ない……と。