学習通信050115
◎「モーツァルトは、大勢の作曲家から借用しながら」……。

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 自然科学の雑誌には、特別な読み方がある

 自然科学の場合には、一度確認された事実が、そのとき以来、万人の所有物になります。どうしてその事実が確立されたかということを、あとから来た研究者がたどってみる必要はない。確立された事実をそのまま受けとって、その先の事実を求めることに力をそそげばいいわけです。たとえば、コッホが、結核という病の原因は人体のなかに侵入した結核菌であるということをたしかめました。

その事実は、その後も多くの人によって検証されて、確実な事実として認められています。現在、結核を研究する人は、その原因が結核菌であるという前提に立って、その先の問題を調べ、その過程であきらかに前提と矛盾する事実に出会わないかぎり、もう一度その前提を検証してみる必要はありません。

そういうことをするよりも、前提をそのまま認めて、たとえば結核菌による免疫がどういう形で成立するか、人体外および人体内での結核菌の増殖を抑制するにはどういう手段を講じればよいか、そのほかコッホの当時には知られていなかった無数の事柄について、研究を進めてゆくために、結核の原因であることをたしかめたコッホの論文を読んでみる必要はない。それが「一度確立された事実は万人の所有になる」ということの意味です。

 あなたの私≠ニ、その文章とのつながりに注意が大切です

 ところが、哲学や文学の場合には、同じ意味で古典が万人の所有になるということはありません。その仕事が作者の個性に結びつき、作者の個人的な経験とからみあっているからです。シェークスピアの芝居が一度書かれると、それが万人のものとなり、その次の世代の劇作家は、シェークスピアのやったことの先へ進めばよろしい、というふうに簡単には事がはこばない。

シェークスピアがその仕事のなかで到達したものは、けっして完全には、ほかのだれのものにもなりません。そのなかの個性的な部分、作者の個人的な経験に密接に結びついている部分は、別の個性や別の経験を持った人に完全には伝達されないからです。同じことは哲学についてもいえます。デカルトは「人間は考える、ゆえに人間がある」といったのではなく、「私は考える、ゆえに私はある」といったのです。

自然科学の知識は、その「私」には関係していないで、自然にだけ関係しています。自然は、歴史にも、時代の変化にも、文化の違いにも、まったく関係のない法則によって動きます。しかし、哲学者の知識は、その「私」に関係している。その「私」は歴史のなかにあり、時代によって違い、また、二つの違った文化のなかでは必然的に二つの違った「私」であるほかはないでしょう。

文学的な、または哲学的な古典が、何度読んでも読みつくせないものであるというのは、そういう古典のなかに一時代と、一文化と、一つの個性に固有の要素があって、古典を読むということは、その時代や文化や個性との、いわば対決を意味するからです。もちろん、文学にも哲学にも、歴史的な発展というものがあります。

しかしその発展は、前の時代の仕事が、次の時代の仕事に完全に吸収されるということではなく、一面では次の時代のものの基礎として働きながら、他面ではそれ自身として、そのまま次の時代にも存在しつづけてゆくということです。その意味での発展は、自然科学の進歩とはまったく違います。(科学的な仕事は、それが厳密に科学的であればあるほど、一時代の知識は次の時代の知識のなかに完全に含まれてしまいます。)
(加藤周一著「読書術」岩波現代文庫 p150-152)

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多くの人から「借用」して作曲

 モーツァルトがミヒャエル・ハイドンの作品を手本にして練習したことから推定されるのは、両者は生徒と先生の関係にあったということである。一般に、生徒が先生の真似をするのは、けっしてめずらしいことではなく、現代のモーツァルト学者は、モーツァルトとミヒャエル・ハイドンとのあいだにもそのようなことがあったことを指摘しているのである。
 現代の代表的なモーツァルト学者アルフレート・アインシュタインは、こう記す。

 「(一七六九年に書かれたK一四一の)合唱曲テ・デウムは、ミヒャエル・ハイドンの一七六〇年のあるテ・デウムにもとづいている。モーツァルトはこの曲にきわめて忠実にならったので、ほとんど小節ごとに模倣の跡をたしかめることができる」(『モーツァルト』浅井真男訳・白水社)

 アインシュタインは、このほかにもいくつかの模倣あるいは「類似」の例をあげているが、それによると、モーツァルトの最後の交響曲である、あの有名なジュピター交響曲(K五五一)の勇壮な最終楽章は、ミヒャエル・ハイドンのある交響曲の最終楽章に非常によく似ているという。モーツァルトは、一七八八年、このジュピター交響曲を含め、いわゆる三大交響曲を短期間に作曲したが、その作曲の刺激を与えたのはミヒャエル・ハイドンであろう、とアインシュタインは言う。

 しかし、不思議なのは、これほど当時の音楽界の事情に詳しいアインシュタインが、モーツァルトの『レクイエム』とミヒャエル・ハイドンの『レクイエム』との類似性についてはまったく触れていないことである。その理由は不明であるが、将来のモーツァルト学者には、ぜひともこの点は取りあげてもらいたいものである。

 それはさておき、モーツァルトの研究書をいろいろ調べてみると、モーツァルトは、ミヒャエル・ハイドン以外の作曲家からも「借用」あるいは「模倣」を行っていることがわかってくる。ミヒャエル・ハイドンの兄のヨゼフ・ハイドンからの借用例もたくさん指摘されていて、モーツァルトはハイドン兄弟にはずいぶん借りがあることになる。そのほか、モーツァルトが真似た相手として、ヨハン・クリスティアン・バッハ、フィリップ・エマヌエル・バッハ、そしてグルックなど、当時の有名な作曲家があげられている。

 つまり、モーツァルトは、大勢の作曲家から借用しながら自分の作品をつくりあげた作曲家ということになる。

 このように、モーツァルトとミヒャエル・ハイドンとの親しい関係、そして、モーツァルトはハイドンからばかりでなく、他の多くの作曲家からも「借用」していることなどを見れぱ、モーツァルトの『レクイエム』がミヒャエル・ハイドンの『レクイエム』によく似ていること、部分的にはそっくりであることは、けっして偶然ではないことがおわかりであろう。

 ここで気になるのは、「盗作」問題、あるいは音楽著作権の侵害といった問題がおこらなかったのか、ということである。モーツァルトは、ハイドンから「盗作」のかどで訴えられてもしかたがないところであろう。しかし、そのようなことは一度もなかったようだ。音楽著作権という考え方そのものが当時はなかったのである。モーツァルトの時代には、他の作曲家のアイデアを借用することは、とくに咎めだてされるようなことではなく、また、めずらしいことでもなかったのである。
(木原武一著「天才の勉強術」新潮選書 p24-26)

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「その発展は、前の時代の仕事が、次の時代の仕事に完全に吸収されるということではなく、一面では次の時代のものの基礎として働きながら、他面ではそれ自身として、そのまま次の時代にも存在しつづけてゆくということ」と。