学習通信050120
◎「ラテンアメリカという大陸で面をなしての変動が起こっている」

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十の四

 話を少し他に転ずるが、一八八九年ロンドンドックの労働者が同盟罷業をして世間を騒がしたことがある。ところが元来これらの労働者はすべて烏合の衆で、なんら有力な労働組合を組織していなかったものである。さればせっかく同盟罷業は企てたものの彼らはたちまち衣食に窮してじきに復業するだろうとは、当初世人一般の予想であった。しかるにその時思いがけものう、はるかに海を隔てた豪州から電報で参拾万円を送った者があって、そのおかげで労働者はついに勝利を制した事がある。

 豪州の社会党がなんら利害の関係を有せざるロンドンドックの労働者に向かって参拾万円を寄贈したというこの一事件は、豪州社会党及びその背後における一人物ウィリアム・レーンなるものの広く世間の注意をひくに至った最初であるが、そのレーンなるものはその後進んで南米の一角にその理想とせる社会主義国を実現せんと企てしことによりて、さらに有名になった人である。

 試みに一八九〇年彼がその計画を実行せんとするに当たり公にせし宣言書を見るに、その要旨は次のごとくである。

 「働くためにある者は他人に雇われなければならぬというしくみが維持せらるる限り、またわれわれが、生活の不安のために誘発せらるる利己心の妨げによりて、われわれの生活を相互に保証するのしくみを採るはすべての人にとって最善の方法たることを理解するに至り得ざる限り、真の自由と幸福は到底望まるべくもない。(中略)それゆえ今日の急務は、すべての者が共同の利益のために働くという一の社会を創設し、これによりて、ある人が他人を虐待することの絶対に不可能なる条件の下においては、そうしてまた、全体の者の福祉を図ることが各個人の第一の義務であり、また各個人の福祉を図ることが全体の者の唯一の義務であるという主義の下においては、すべての男女が、だれの身にとっても自分自身または自分の子孫があすにも餓死せぬとも限らぬという今日のごとき社会において到底味わうことのできぬ愉快、幸福、知恵及び秩序の中に、生活しうるという実際の証明を与うることである。」

 レーン氏はかくのごとき宣言を公にしたる後、南船北馬、東奔西馳(せいち)、熱心にその計画の有益かつ必要なることを伝道したるところ、志を同じ。うする者少なからざるの勢いなりしをもって、すなわち人を欧米に派遣して理想国建設の地をトせしめ、ついに南米のパラグェーをもってその地と定めその理想郷は名づけてこれを『新豪州』といいかつ加盟の条件を左のごとく定めた。

 「この組合に加入せんとする者は、目的地に向かって出発する時最後に所有しいたる全財産をこの組合に提供すべし。ただしその出資は六百円以上なることを要す。この出資は後日組合を脱退せんとする者あるも、全くこれを返戻せず。また五十歳以上の者は、その出資額千円以上に達するにあらざれば、その加盟を許さずうんぬん。」

 さて規約を右のごとく定めてこれを世間に公にしてみると、加盟者ははたして続々と現われて来て、中には巨額の資金の提供を申しいでた者もあった。そこでレーンも大いにこれに感激し、

 「同志の人々が、その多年の辛苦によりようやくもうけ得た金をば、かくのごとくなんらの不安なく疑惑なく自分に委託して来るのを見ると、私は涙を流さずにはいられない。これほどの信頼にそむくほどなら、私はむしろ死ぬるであろう」と言って、自分も約壱万円の財産を出資し、全力をささげてその事業に従事することを誓った。(十二月七日)

十の五

 レーン氏の企てた理想国の建設は、前回に述べたるがごとき経過をもって着々進行し、ついに壱万弐千円を投じて六百トンの汽船「ローヤル・ター」を買い入れ、まず第一回の移民として二百五十名の男女がレーンとともにこれに搭乗して南米に出発することになった。

 さてその出発の光景、航海中の出来事、ないし目的地到着後の事業の経過等については、学問上興味ある事実も少なくないが、私は今一々それをお話ししておる余暇をもたぬ。ただ私がここにこの話を持ち出したのは、最初天下に実物教育を施すというほどの意気込みをもって始められたこの事業も、ついには失敗に帰したという事実を報道することによりて、組織の必ずしも万能にあらざることを説かんがためである。

 私はレーンらの計画した理想国の組織が全然遺憾なきものであったとは決して考えぬ。しかし彼らは現時の経済組織を否認し、かかる組織の下においては到底理想的社会の実現を期すべからずと信ぜしがために、相率いてその母国を見捨て、人煙まれなる南米の一角にその理想郷を建設せんと企てたのであるから、その新社会の組織は、少なくとも彼らの見てもって現時の個人主義的組織の最大欠点となせし点を排除せしものたるや疑いない。しかもそのついに失敗に終わりしところを見れば、組織そのものの必ずしも根本的条件にあらざることを知るに足るかと思う。

 ドイツもイギリスもフランスも一国の運命を賭すべき危機に遭遇したればこそ、経済組織の改造も着々行なわれ、しかしてまたその新組織はただこれが長所のみを発揮していまだその短所をあらわすに至らぬけれども、戦争が済んで国民の気分がゆるんで来たならば、金のある者はぜいたくもしたくなるだろうし、一生懸命に国家のために働くという事もばからしくなって、あるいは多少くずれて来るかもしれぬのである。

 レーン氏の「いわゆる全体の者の福祉を図ることが各個人の第一の義務であり、また各個人の福祉を図ることが全体の者の唯一の義務である」という主義をば、確く信じて疑わず、身を処すること一にこの主義のごとくなるを得る人々にとっては、かくのごとき主義をもって計画された社会制度が最上の組織でありうるけれども、利己主義者を組織するに利他主義の社会組織をもってするは、石を包むに薄帛(うすぎぬ)をもってするがごときもので、遠からずして組織そのものが破れて来る。されば戦後の欧州がはたして戦時の組織をそのままに維持しうるや否やは、もちろん一の疑問たるを免れぬ。

 しかしながら、人間はよく境遇を造ると同時に、境遇がまた人間を造る。英独仏等交戦諸国の国民は、国運を賭するの境遇に出会いしがゆえに、たちまち平生の心理を改め、よく獣身犠牲の精神を発揮するを得た。それゆえ、平生ならば議会も輿論も大反対をなすべき経済組織の大変革が、今日はわけもなく着々と実現されて来た。これは境遇によって一変した人間が、さらにその境遇を一変せしめたのである。

しかるに境遇はまた人間を支配するがゆえに、もしこの上戦争が長びき、人々が次第に新たなる経済組織に慣らされて来ると、あるいは戦後にも戦時中の組織がそのまま維持せられるかもしれない。否戦後もしばらくの間は、諸国民とも戦時と同じ程度の臥薪嘗胆を必要とするであろうから、戦時中の組織はおそらく戦争の終結とともに直ちに全くくずれてしまって、すべてがことごとく元のとおりになるという事はあるまい。少なくとも私はそう考える。それゆえ、私はプレンゲ氏とともに一九一四年はおそらく経済史上において将来一大時期を画する年となるであろうと思う。(十二月八日)
(河上肇著「貧乏物語」岩波文庫 p116-120)

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 では、オーエンはどういう先駆的役割を果たしたのでしょうか。
 その一つは「性格形成理論」です。かれは、人間の性格は生まれつきのものではなくて環境によってつくられる、「人間の性格は……環境の産物」だといったのです。かれはそういう考え方を自分の工場で実験をします。つまり、いい環境をつくってやれば、労働者の性格はよくなって、よく働くという考え方です。それを最初はマンチェスターでやり、のちにはスコットランドのニュー・ラナークの大紡績工場でもやります。

 たとえば、労働時間を短くします。当時の労働時間はだいたい一三〜四時間労働です。その時期にニュー・ラナークでは一〇時間半でした。あるいは景気が悪くなって工場を一時休ませたときにも賃金は全額支払いました。また幼稚園を発案しました。幼稚園というよりは今日の保育所、労働者の子どもをあずかるところを初めてつくったのです。

 テキストのこの前のところで「労働者階級が大量的に堕落」したということが書かれていました。だいたいこの時期の労働者のなかには、酒は飲むは、博打はやるは、売春はやるは……というひどい状況がひろがっていたのです。オーエンの工場では、そういう労働者がひじょうにまじめに働くようになったということです。そのため他の工場より労働条件をよくしたにもかかわらず、儲けは他の工場よりずっと多かったということです。エンゲルスは、そういう「性格形成原理」の「発見」がオーエンの天才的な発見だと書いています。

 しかしオーエンは「満足しなかった」と書いてあります。ついでかれは、イギリスの工場を売り払ってアメリカに「共産村」をつくる作業にとりかかります。テキストにオーエンの言葉の引用があります。労働者の生活をたいへんよくしてやったけれども、しかしそれでもまだ、とうてい人間にふさわしいものではなかった、工場主に使われている「この人びとは私の奴隷であった」というのです。そして、かれがつくってやった好ましい環境でも、毎日働きにいかなくてはならない工場のなかでは自分の能力を発揮させるということはできない。このことが一つです。

 それからもう一つ、産業革命の結果、生産力が非常に大きくあがったのです。単純な計算ですが、かつて六〇万人でつくっていたと同じ富を二五〇〇人の労働者でつくりだすことができるようになった、というのです。そうすると、二五〇〇人が消費した富と六〇万人が消費した富との差額はいったいどうなったのかということです。ほんらいはその差額──新しい富はそれを働きだした労働者のものでなければならないのに、実際には資本家のポケットにはいってしまったのです。つまり、儲けは資本家のものになってしまったのです。そこでオーエンは、みんなが共同で働けば、その富を全部自分たちのものにすることができるのではないか、と考えたのです。そして「このように純粋に実務的なやり方で、いわば商人的な計算の結果として」オーエンの共産主義者が生まれたのです。

 オーエンのアメリカでの実験は一年で完全に失敗し、かれは無一文になってイギリスヘひきあげてきます。エンゲルスはそのことを「全財産を投げだしたアメリカにおける共産主義の実験に失敗して貧乏になったかれは」と書いています。
(浜林正夫著「科学的社会主義の古典入門 エンゲルス『空想から科学へ』」学習の友社 p54-56)

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 ラテンアメリカとの新しい出会い──『ベネズエラ革命』

 次に、ラテンアメリカについてです。今年(二〇〇四年)一月の党大会では、ラテンアメリカとも新しい出会い≠ェありました。大会では、多くの外交代表団を迎えましたが、私たちは、同時に、日本にいる各国の大使館にも、よかったらご参加を≠ニいって、招待状をだしました。これにこたえて、一四ヵ国の大使や外交官が伊豆まで足を運んで、党大会に参加してくれました。

私の報告と志位委員長の報告とのあいだの体憩時間に、大使館関係の参加者の方々と懇親の機会をもったのですが、そのとき、南米のベネズエラの大使が、大統領の著書の日本語版が出ました≠ニ言って、ベネズエラ革命』(発行・VIENT、発売・現代書館)というチャベス大続領の本を贈ってくれたのです。私は、大使とも初対面でしたし、その時点では、最近のベネズエラの政情もよく知りませんでした。大会中に、この本を読んでみて驚きました。

ベネズエラでは、二〇〇二年一二月ー〇三年一月に政府反対派が石油クーデター≠起こすというたいへんな事件があったのですが、いただいた本は、その二ヵ月間の大統領自身の演説集でした。この石油クーデターは、反革命派が、ベエズエラ経済の死活の利益をにぎる石油生産を、労働者のストライキを装って止めてしまい、二度と復興できないような破壊工作までやって、政権の転覆をくわだてたものでした。『ベネズエラ革命』は、国民の多数の支持を組織してその陰謀を打ち破ってゆくたたかいの過程での演説を集めたもので、それは、文字どおりたたかいのさなかに綴られた、このたたかいの生きた記録となっていました。また、これに先行する二〇〇二年四月の軍事クーデターの経過も、この本であらましを知ることができました。

 選挙で選ばれた革新の大統領にたいして、反革命脈が手段を選ばず政権打倒のクーデター的な攻撃をくりかえしてくる、それとのたたかいのなかで、政権を支える革命勢力が成長してくる、革命と反革命≠フ息詰まる激闘の息吹が一ページ一ページから伝わってきました。

 これは、党大会のあとで知ったことですが、二〇〇二年の軍事クーデターのときには、たまたま取材に来ていたアイルランドの映画制作集団が、クーデターの始まりから失敗までの一部始終を撮影していたのです。それを編集したドキュメント映画があり、NHKの衛星放送で放映していたことを知って、ビデオで見ましたが、なにしろ、別々の推移をすべて現場で撮った映像ですから、ものすごい迫力でした。

 チャベス大統領自身が、「日本語版への序」のなかで、反革命の勢力を、「マスメディアが首謀者で、労組・財界・軍部の忌まわしい同盟」と特徴づけていたのは、強烈な印象でした。軍事クーデターとのたたかいも、石油クーデターとのたたかいも、マスメディアを反革命派が独占していて、それが偽りの情報を全国に流し続けるなかでの、たたかいだったのです。そして、その背後にある反革命の主役が、アメリカの帝国主義、覇権主義にあることは、天下周知の事実でした。

この大陸に面をなす変革≠ェ起こっている

 いまラテンアメリカで、そういう激闘がおこなわれている国は、ベネズエラだけではありません。チャベス大統領の演説集のなかにも出てきますが、石油クーデターとのたたかいの最中に、エクアドルとブラジルで次つぎに新政権が成立し、ベネズエラとの連帯の立場をとるのです。ベネズエラ一国での孤立した変動ではなく、ラテンアメリカという大陸で面をなしての変動が起こっている、ここに、ラテンアメリカ情勢の新しい特徴が見られます。

 第二次世界大戦後、この大陸は、さまざまな変動を経験してきました。一九五九年にはキューバ革命が起きました。一九七〇年には、チリで、アジェンデ民主政権が誕生しましたが、一九七三年、軍事クーデターで打倒されました。一九七九年には、ニカラグアで革命勢力が独裁政権を破って政権を樹立しましたが、一九九〇年の選挙で野にくだりました。

 このように、これまでに、何回もアメリカ支配の体制に反対する革命的な変動が起きましたが、どれもその国だけの変革にとどまり、キューバ以外は、政権は短期間で終わったのでした。

 ところが、現在の変革の動きは、複数の国にわたる面的な動きとなっています。ベネズエラでチャベス政権が成立したのは一九九八年一二月の大統領選挙でしたが、この政権が反革命の攻撃に立ち向かって政権をまもりぬいているなかで、二〇〇三年一月にはエクアドルとブラジルで革新派の大統領が生まれ、続く五月にはアルゼンチンでまた革新派の大統領が生まれました。変革の度合いや革新性の度合いには、それぞれの国の特徴があって、一律に見るわけにはゆきませんし、その政権の前途には、いろいろ複雑なことがありえます。しかし、どの国の政権も、ラテンアメリカにたいするアメリカの覇権主義的な支配から抜け出そうという方向性を強くもっていることは、共通しています。

 アメリカのラテンアメリカ支配には、大きな政治的特徴があります。それは、あからさまな政治的支配ではなく、形の上では独立している国ぐにを、経済的、政治的な従属の網の目でからめとって、事実上の従属国にしている、ということです。そのために、植民地体制の崩壊の過程でも、アメリカのラテンアメリカ支配は、これを解体するような影響をほとんどまぬがれてきたのでした。そのラテンアメリカに、面をなした変革≠フ過程が始まっている、ということは、世界情勢の今後に重要な影響をおよぼす、重大な動きと見ることができるでしょう。
(不破哲三著「新・日本共産党綱領を読む」新日本出版社 p234-238)

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 空想家たちの見方は、一九世紀の社会主義的見解をながく支配していたし、それは部分的にはいまなお支配している。ついすこし前まで、すべてのフランスとイギリスの社会主義者たちは、この見方を信奉していたし、ヴァイトリングをふくむ初期のドイツ共産主義もこの見方に属する。

彼らのすべてにとっては、社会主義は絶対的真理と理性と正義の表現であり、それ自身の力で世界を征服するには、ただ発見されさえすればよいのである。

絶対的真理は時間、空間、人間の歴史的発展と無関係であるので、いつどこでそれが発見されるかは、まったくの偶然である。

その場合、絶対的真理、理性、正義はまた、それぞれの学派の創始者によってちがっている。そして、絶対的真理、理性、正義のそれぞれの人における特殊なあり方は、さらに彼の主観的知性、生活条件、知識と思考訓練の程度によって条件づけられているので、絶対的真理相互のこの衝突では、たがいにすりへらす以外に解決のしようがない。

こうして、そこから一種の折衷的な平均的社会主義が生まれてくるほかなかった。それは実際に、今日までフランスとイギリスのたいていの社会主義的労働者の頭にあるものであり、いろいろな宗派の創始者たちの、あまり感情を害さない批判的意見や経済学説や社会についての未来の構想のきわめて多様な色合いをふくむ混合物である。

この混合物は、討論の流れのなかで、ちょうど小川のまるい小石のように、個々の構成部分から、明確さという鋭い角がすりへらされればされるほど、いっそう容易につくりあげられるのである。社会主義を科学にするためには、まずそれが実在的な基盤の上にすえられなければならなかった。
(エンゲルス著「空想から科学へ」新日本出版社 p45-46)

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◎「彼らのすべてにとっては、社会主義は絶対的真理と理性と正義の表現であり、それ自身の力で世界を征服するには、ただ発見されさえすればよいのである」と。