学習通信050121
◎「喋る以前の時代」「早期教育を打ち出す育児」……
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保育所運営ビジネスの業界で、男性経営者による新興企業が独自の営業戦略や経営哲学で急成長している。この業界は子育ての大変さなど実情をよく知る女性経営者がりリードしてきた。活躍が目立つ男性経営者は、保育ビジネスの成長性に期待して参入してきた転身組が多い。
進学塾経営から転身したのはサクセスアカデミー(神奈川県藤沢市)の柴野康男社長(50)。神奈川県で高校受験生を対象にした塾を運営していたが、大手塾が次々と県内に参入してきたこともあり撤退を決意。新事業を模索するうちに「海外では、育児ビジネスは国が支援しているほど重要な事業。日本でも必ず市場が拡大する」と判断した。
柴野氏はゴルフ場や病院を回り「ここで働く女性向けに保育施設をつくりませんか」と説得して歩いた。病院から看護婦の育児に関する相談を受けるたび、分からない専門用語をこっそりとメモにとり、次回は必ず解決策を提案した。徐々に信頼を得るようになり、現在は約六十病院の施設を受託する。病院内以外にも、一般に開放した認証保育園の運営にも乗り出している。
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「入園申し込みに徹夜で並ぶ母親を見て涙が出るほどうれしかった」と語るのは、こどもの森(東京都国分寺市)の久芳(くば)歌裕会長(43)。申し込みに長時間並ぶ母親たちを見て保育園の需要の大きさを実感、事業拡大に踏み切ったという。
大学卒業後に電機メーカーなど数社で人事、総務部門の経験を積み、国際会計事務所では財務を徹底的に学んだ。海外を飛び回るうちに米国で保育ビジネスが盛んなことを知った。国内でも「育児をしながら仕事もしたいのにできない」という女性の悩みを何度も耳にし、事業化を決意した。
早期教育を打ち出す育児には反対の立場。「自分は人より発育が遅かったが、周囲が寛容だったおかけで現在では起業し会社を軌道に乗せることができた」からだ。早期教育をうたう保育所が増える中、「のびのびとした保育」を理念に掲げる。現在三十五の保育所を運営。三年後には五十に拡大する計画だ。
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日本保育サービス(名古屋市)の山日洋社長(43)は「念願の愛知万博での託児所を受託することができた」と満面の笑みを浮かべる。
証券会社を経て、十年前に名古屋で職場などヘコーヒーを届ける事業を初めた。オフィスや選挙事務所、パチンコ店などへの積極営業で事業は順調だった。
そんな時パチンコ店の駐車場で車の中に置き去りにされた幼児が死亡する事件が相次いだ。自分にも二歳になる息子がいただけに心が痛むと同時に、保育ビジネスの需要の大きさを感じた。自社内では優秀な女性社員が育児のために相次いで辞めていくことが悩みの種だった。「託児所は社会的に必要とされている」と五年前に保育所ビジネスに着手した。
現在十五の保育所を運営する。やはり「お受験」のための幼児教育には懐疑的。定期的に保育所内の施設を開放してクッキングスクールを開くなど地域ぐるみの子育て実現に奔走している。 (流通経済部 高和梓)
(日経新聞夕刊 20050119)
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そのことは、数字を覚える、絵巻物を覚える、それから、音としてビット、三つのことを重ねて記憶を容易にすることに役立ったと思います。
そのように大人がものを覚えようとすると、キーワードというか、何かよりどころが必要です。そのキーのためには、意味というものが非常に重要な役割をします。
ところが、特に幼ない時代、喋る以前の時代というのには、このキーというものは一切無用です。漢字なども形だけ見て、それが何という字だと覚えてしまう。
そういう意味で、漢字だけでなく何であれ、直感的に、ストレートに、丸暗記をする、そういうことが、後になって一つの非常に重要な要素になります。
漢字のような難しいものでさえストレートで覚えるということが、いかに子どもにとってたやすいことであるかということを、これは一つ銘記をしていただきたいと思うのです。
漢字というものは一つを覚えると、ぱっと見た時に、それがぱっと分かるというのが一つの大きな特徴です。いちいち何へんに何があるから何という見方をしていません。
(井深大講演録「教育への重大な提言」青也コミュニケーションズ p116-117)
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第三に、ルソーがロックの経験論哲学から大きな影響を受けたのは、絶対確実な真の知識はいったいどのような認識過程を経て獲得されるものなのかという問題に関してである。これに関するロックの基本的な考え方によると、人間精神が真に確実な知識を獲得するのは、原則として、精神が、経験(感覚と内省)から観念(しかもこの観念においては単純観念から複雑観念への過程をとる)へ、次いでこの観念からことばへという過程を踏んで進行していくときだということである。
なぜなら、経験に裏づけられていない観念は混乱した不明瞭な観念にすぎず、また、明晰判明な観念の伴わないことばはまったく意味表示を欠いた空虚な音でしかないからである。経験こそが観念の唯一の源泉であり、この観念がことばと結合することによって知識となるという、ロックの認識論的原則からの、それは当然の帰結である。
しかしながら人間はこの世に生を受けたその瞬間から、その精神のうちにたえず、彼をとりまく大人たちのことばが吹きこまれる。そのため、ことばは、それが意味表示する当の事物を指示する単なる記号でしかなく、また、他の人間に自己の観念を迅速かつ正確に伝達するための道具でしかないのだということを理解しうる年齢に達するまでにすでに、人間はたえずことばに触れ、それを受け入れ、それに慣れ親しんでしまっている。こうして人間は幼少の段階から、経験と観念とによるなんらの裏づけもない、ただ単に空虚な音にすぎないことばを数限りなく、その精神のうちに注ぎ込まれることになる。
いきなりことばだけが、経験と観念から遮断された、孤立したしかたで押しつけられるのである。そしてそこから、不可避的な「ことばの乱用」が生じてくる。つまり、「明晰判明な観念なしにことばを使うこと、あるいはなおいっそう悪いことには、意味表示されるいかなる事物もなしに記号を使う」(『人間知性論』、(三)、二三五頁)ことが生じてくる。ことばがそれだけで勝手にひとり歩きし始めるのである。
だがそうなると、もはやことばは決して人間を真に確定的な知識に導くことはなく、むしろ反対に、虚飾の論理、中身のない議論、偏見、予断、臆説、空おしゃべり等々といった、不明瞭で不誠実な知識だけがはびこることになる。
その結果、本来そのためにこそ生み出されたものであった、このことばがかえって人間相互の意思疎通をむつかしいものにしてしまい、こうして人間社会は混乱、不明瞭、不確実、無秩序のなかにおかれる。しかも世に学識者といわれる人たちは、その克服のために努力せず、反対にそれに手を貸している、いや手を貸しているどころか、むしろかえって彼らこそがこの混乱の最大の元凶なのである。しかしそれもこれもすべては、人間が「名まえをその属する観念よりもさきに学ぶことから生じてくる」(『人間知性論』、(三)、二三七頁)のである。
なぜなら、ことばが、本来それと緊密に結びついていたはずの観念から切り離されて学ばれるとき、今度は逆にことばのほうが勝手に不適切な観念と結びついてしまい、したがってまた当然その結果として、その観念が適切に指示していた経験内容を混乱させてしまい、こうしてとんでもない見当はずれの知識が生み出されることになるのはほとんど避けがたいことだからである。
だから、いやしくも精神が明証的な知識に達したいと思うならば、つねにことばが適切な観念、ならびにその観念がそこから由来するところの経験の枠内から決して逸脱しないようにしておかなければならない。そしてそのためにこそ人間精神は必ず、経験から観念へ、そして観念からことばへという認識過程をしっかりと守っていなければならないのである。
それゆえルソーの学習理論では、単なることばだけの知識を頭ごなしにいきなり覚えこませるような教育が厳しい批判にさらされることになるのは当然の成り行きであろう。学習はつねにあくまで経験から始めねばならない。ずっと後になってから学ぶべきものを先行させてはならない。
ことばが経験を生み出すのではなく、経験がことばを生み出すのである。ことばばかり学んでいると、ついにはことばが経験をのっとり、経験を殺してしまうであろう。だから、ことばだけの知識、子どもの経験に基づけられていない机上の空論をただ覚えこませるごとにだけ終始するようなことがあってはならない。そのような教師中心の注入教育では真の理解力、真の判断力は育たない。子どもは書物のなかの文字や記号を、その意味もわからずにただ機械的に覚えるだけのことだ。そこでは書物が、教師が、子どもにかわって考えてくれる。子どもから書物をとりあげること。
「読む子どもは考えない。読むだけだ。彼は知識を身につけずにことばを学ぶ。」(『エミール』(上)、ニ八九頁)
だから、子どもの直接的な経験に訴えるようにするがいい。彼の感官と身体をいつも生き生きとした活動状態におくようにするがいい。そうすれば自ずから子どもは教師の頭と手ではなく、自己自身の頭と手を使って、何が問題であるかを発見し、理解し、判断することを学んでいくであろう。意味のないことばではなく、しっかりと経験に裏づけられ、経験によって充実した意味を付与された真のことばを獲得するであろう。
「事物! 事物! わたしたちはことばにあまりにも多くの力を与えすぎている。わたしたちは、わたしたちの饒舌な教育によって、饒舌な人間をつくっているだけである。」(『エミール』(上)、三一八頁)
(林信弘著「『エミール』を読む」法律文化社 p17-21)
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効率主義が押しつぶした教育の再生 井上
ヒトは大人の脳のたった四分の一で生まれてくる
ひょっとすると女性は、その鋭い直観力でいまは子どもを産むときではないと感じているのではないでしょうか。せっかく生まれても自動車にはねられて死ぬかもしれない。ちなみに、この日本で毎年七万人から八万人の子どもが自動車で損傷を負わされていて、そのうちの四百人から七百人もの子どもが命を奪われています。自動車システムを根本から考え直さなければならないとおっしやっている帯広畜産大学の杉田聡先生の表現を借りると、〈……子どもだけにしぼっても、小学校が一校消滅してしまうほどの命が毎年クルマのために奪われている〉(『クルマが優しくなるために』ちくま新書)のですからこわい話です。
大人は、運転のできない私でさえ、クルマの恩恵をこうむっているから万一のことがあっても仕方がないが、クルマ社会に何一つ責任のない子どもたちが、年に七万〜八万人も事故に遭って傷つき、その中から百人に一人の割合で死んで行くのですから、母となる女性は本能的に「いやだ」と思うのではないでしょうか。それから、学校でいじめに遭うかもしれない。遊び友だちは少ないだろうし、登校拒否でもするようになったらどうしよう。だいたいが、自分の体に蓄積された毒物が将来なにかの影響を子に与えるかもしれない。……そんなことを感じて子どもを産むまいと思っている女性が多いのではないか。
ほんとうに、わが子を学校へ上げるのは親にとって恐怖です。戦後の教育について不破さんのおっしゃったことに同感します。……と、これで終わってしまっては話になりませんので、今回は少し変わった視点から、私なりに教育を考えてみることにいたします。
ごぞんじのように、生まれたばかりの赤ちゃんの脳の重さは三五〇グラムぐらいです。清涼飲料水の大きめの缶、あの中味が三五〇グラム。わたしたちは、あの程度の小さな脳を授かって、この世に生を享(う)ける。ちなみにチンバンジーの脳の重さも平均三五〇グラム。生まれたての赤ちゃんの脳はチンバンジーと同じ重さしかない。
そのチンパンジーの脳は重さ四〇〇グラムで完成品になります。つまり、チンパンジーは、脳が八〇%ぐらい出来上がったところで、この世に生まれてくる。そこでチンパンジーの赤ちゃんは、生まれて間もなくのうちに、親たちと同じように動くことができます。生まれて二週間で首がすわりますし、腕をのばすことができる。人間の赤ちゃんは十二週間後でないとそれができない。またチンパンジーは二十週で四足歩行をはじめますが、人間は四十週かかります。
こんな具合に人間の赤ちゃんの脳は未完成のままでこの世にあらわれる。もちろんこれはわたしが勝手に思いついて言っているのではなく、いろんな学者の研究からたしかめた事実です。カリフォルニア大学のクリストファー・ウィルズ教授はこう書いています。
〈産道の大きさという制約から解放された脳は、爆発的に大きさを増し、一年で三倍になる。それ以後は減速するものの、最終的な大きさは約一・四リットル(一四〇〇グラム)で、出生時の四倍に達する。〉(近藤修訳『暴走する脳』講談社)人間の脳は六ヵ月で二倍になり、一年で三倍になり、そして七歳前後で大人の九五%になる。
それからは成長の度合いが緩やかになり、脳がほぼ完成するのが十三〜十四歳、ようやっと二十歳前後でみごとな完成品になる。そのときの脳の重さはウィルズ教授の言うように、男性で約一四〇〇グラムです。女性では一二五〇グラム。女性のほうが軽いのは、脳の中味と関係がない。体重が軽く、身体が低いと脳が小さい。それだけのことです。時実利彦博士によれば、フランスの作家アナトール・フランスの脳は一〇一七グラムでしたが、いい小説をたくさん書いて、ノーベル文学賞を受けました。
ここまでをまとめると、こうなります。
「人間は、完成品にほど遠い脳を持って誕生する」
「人間の脳は、生まれてから三〜四倍も重くなる」
どうして人間は、四分の一ぐらいしか脳ができていないのに、この世に生まれ出なくてはならないのか。チンパンジーのように八割方、完成して生まれてくれば「教育」の必要もさほどなくてすみ、したがって学校問題なぞなくなるのに……。
国立療養所で働いていたころ、急な出産で一生懸命、お湯をわかしていたことがあります。人手不足で湯わかし方をつとめることになったのです。そのとき所長さんから教わったことをいまもおぼえていますが、それはこういうことでした。
「そう陣痛の声におびえなくてもよい。陣痛は一〇〇回から一五〇回も起こるのだからね。そして赤ちゃんは、母親のこのいきみと痛みを利用して産道を進むのだ。いわば陣痛は赤ちゃんのための進軍ラッパ、最良の行進曲なんだよ。……お湯をわかしたら炊事場へ飛んで行って生卵を二つもらってきてくれ。後産が出にくかったらお母さんに生卵の黄味をのみこんでもらわなきゃならん。卵の黄味は、ふしぎとよく効くのだ」
お産の後も所長さんからいろいろ教わりましたが、驚いたことに、赤ちゃんの頭蓋骨がお母さんの骨盤の骨に合わせて、ひょろ長くなるんだそうです。頭蓋骨が鎧のように可動になっていて形が変わるらしいのです。そしてそのまま螺子(ねじ)になり、お母さんのいきみを動力にして九〇度も回転しながら骨盤を通り抜けるのだそうです。
「どうだね、すばらしい仕組みだろう。この仕組み一つだけでも、わたしは母性と新生児を尊敬するね。とくに新生児は勇敢だ。偉いねえ。きみたちも新生児の気持ちになってみたまえ。この世に出てくるためには、衝撃を一つ一つやわらげてくれていた、そして暖かい羊水と別れを告げなければならないのだよ。頭を変形させて死ぬような思いで骨盤を通り抜ける。途端に光の洪水だ! まぶしい。あれは地雷を踏むようなすさまじい体験じゃないだろうか。そして寒い! 新生児たちはこの世というものがいっぺんに押し寄せてきた衝撃でたいてい一時的に失神する。わたしたちが新生児をペタペタ叩くのは、正気づかせるためもある。とにかく一秒でも早く呼吸をしてもらわねばならんからね。彼らは勇士だ。その勇気をたたえ、祝福するために、拍手がわりにペタペタ叩くわけだな……」
所長は三沢健吾先生とおっしゃって東北大医学部教授も兼ねておられましたが、激務がひびいたのか、間もなくご自身が結核になられて亡くなってしまわれた。そこでわたしも療養所にいる理由がなくなったような気がして学校へ戻ったのでしたが、そんな個人的な思い出はとにかくとして、人間の場合、脳が完成するまで待っていると、母親の産道を通り抜けることができなくなるわけです。
それで脳が四分の一ぐらいできたところで母の胎内を去って、この世へ出発しないといけない。ということは、脳がどうやら完成する七歳前後まで、出来れば、ほぼ完成を見る十三〜十四歳まで、彼には母の胎内に代わるものが必要になります。大人たちが彼の周囲に母の胎内のようなものを整えてやっているかどうか。これがまず問われると思います。この意味で、「マスコミから子どもを守らねば……」という不破さんの言葉に賛成いたします。
ここから話がすこし変わります。もちろん、あとで脳の話と合流しますが。
不破さんもひょっとしたらお聴きになっていたかもしれませんが、昭和三十六(一九六一)年の秋から五年聞、NHKラジオ第二放送で、「ことばの誕生」という教養特集が放送されておりました。学校放送部が当時第一線の国語学者、心理学者、脳心理学者、耳鼻咽喉科学の学者のみなさんと制作した名番組でした。そのころ、わたしはその学校放送部の専属ライターでしたので、この番組の資料をたくさん持っていますが、それはこんな番組でした。
番組の狙いは、「人間は誕生してから満五歳になるまで、どのようにして言語を身につけて行くか」ということ。そこで学校放送部は、東京四名、秋田、岡山、佐賀から各二名、合わせて十名の新生児を録音機で徹底的に追跡しました。それから週一回の健康診断と面接テスト。こんな面倒なことを五年間もつづけたんですから、当時の放送の質はずいぶん高かったんですね。このときの資料を芯に、そのほかのたくさんの研究を合せてまとめると、次のようなことがわかります。
子どもたちの語彙数は三度「大爆発」を起こす。
一回目の爆発は三歳前後。
生後六ヵ月から一年までを「噛語期」といいます。子どもたちの言語野は真っ白で、神経細胞群には、まだなんの配線事業(神経細胞のつながり合い)も行われておりません。つまり白紙です。ですからここにはどんな言葉でも書き込むことができます。この時期の赤ちゃんを「日本語という環境」におくと日本語の配線がほどこされ、使用人口二〇〇〇人のインドの「ゲタ語という環境」におくとゲタ語用の配線になります。この時期の子どもの語彙数は平均五語です。
……こうなるとよくある発言、「僕は自分のための産湯用の盥(たらい)の木理(きめ)まで覚えている」は眉唾ですね。配線がしていないのですから、そんなことは無理なんですが。
語彙数は一歳半で四〇語、二歳で二六〇語(いずれも平均)と増えて行き、三歳になると一気に八〇〇語に達します。これが一回目の爆発。脳の言語野がいよいよ活躍をはじめたわけですね。
この時期の、使用度数の多い語をじっと睨(にら)んでいますと、やがてあるコトバが浮かんできます。それは「自我の確立」というコトバです。あるいは「自意識」……。
「これ、あれ」「この、あの」「こっち、そっち、あっち」「ある、ない」「ママ、パバ、おじいちゃん、おばあちゃん、ひと、だれ」「うち、そと」……これらはすべて使用度数の多い一〇〇語の内に入っています。自分と他人の区別がつき、自分は自分であるという意識がはっきりとできている。昔の人は「三歳児の魂百まで」と言いましたが、まったくこの諺通りです。こういった語を脳が使いこなすことによって、人は三歳で、死ぬまで変わることのない自分というものを発見するわけです。
六歳から七歳にかけて、ちょうど小学校に入るあたりで、第二の爆発が起こります。接続詞はむろん三歳ごろから使いはじめますが、たいていは「と」とか「そして」とか「だから」とか「それから」とかいったような、順接、添加、同列、並列の接続詞です。
接続詞とは、ごぞんじのように「力持ちの業師」です。先行した文脈(意味のまとまり、そしてつながり)を受けて、あとに続く文や文節や語となんらかの関係を取り結ばなければなりませんから、その力となるや並大抵なものではない。とくに逆接の接続詞(「けれども」「ただし」「しかるに」「されど」など)は先行の文脈を引っくり返してしまうのですから、たいへん使いにくい。ところが、小学校入学前後に、子どもはこの逆接の接続詞を使いこなすようになります。脳がそこまで働くようになったんですね。
順接させる、添加する、同列させる、並列する、転換する、対比する、補足する、連鎖させる、そして展開させる──。接続詞を使って、ものを考え、推理するカがつくのです。つまり、それまでのように感覚や本能でではなく、ことばを用いて思考と推理を積み重ねる「考える人」になります。
第三の爆発は、脳がほぼ完成する十三〜十四歳前後に起こります。このころの語彙数は固有名詞を入れると何万語にも達していますが、その語彙群が脳の接続詞的な働きもあって(とは、ひどく文科的な言い方ですが)体系化されます。大宇宙>銀河系>太陽系>地球>アジア>極東>日本国>東京>新宿>紀伊國屋書店>紀伊國屋ホール>ホール客席>「い」の五番……というふうに「世界=語彙群」の構造化が行われます。
また、ある少年がよい教師やよい書物と出会うことができれば、「その反対が考えられ得ないものは、すべて必然的である」(アラン『定義集』森有正訳、みすず書房)
といった塩梅(あんばい)に「必然性」という語の精確な意味を知り、 「こんな世の中に生まれてくるんじゃなかったと思っていたけど、その反対が何かは考えつかないから、きっと自分は必然的にここにいることになっているんだ」
というような、人生観や世界観を持つに至るのです。「人間ってこうなんじゃないか」「世界というのはたぶんこうなんだ」。そしてこの世界観を持つことで判断することができるようになります。「それなら自分はこう考える」「だとすれば自分はこう行動する」というふうに。こうして、脳はほぼ完成品になるわけです。
こう考えてくると、「幼稚園から英語を教えなければ」とか、「小学生にコンピュータを教えなければ」といった<ければ>は、どうもインチキくさい。いや、どうしても教えたい=教わりたいというのならかまいませんが、一律に「ければ」となるところに疑問があります。
(不破哲三・井上ひさし著「新 日本共産党宣言」光文社 p255-264)
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◎「それで脳が四分の一ぐらいできたところで母の胎内を去って、この世へ出発しないといけない。ということは、脳がどうやら完成する七歳前後まで、出来れば、ほぼ完成を見る十三〜十四歳まで、彼には母の胎内に代わるものが必要になります。大人たちが彼の周囲に母の胎内のようなものを整えてやっているかどうか。これがまず問われると思います。この意味で、「マスコミから子どもを守らねば……」という不破さんの言葉に」……。