学習通信050124
◎「「賃上げに代表される経済的な豊かさ」……。

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労使交渉、心の豊かさ実現を
 奥田経団連会長 賃上げ論けん制か

 日本経団連は十三日、企業経営者や労務担当者らを集め、今春の労使交渉の課題などを議論する労使フォーラムを部内で開いた。奥田碩会長は講演で「賃上げに代表される経済的な豊かさを中心とした労使交渉から、心の豊かさを実現するよう、労使がともに考える時代に移っている」と指摘。成果主義型賃金の定着などを受け、交渉の主題は賃上げから労働時間の短縮などに移るとの考えを示した。

 経団連は今春の労使交渉で、業績が改善した企業は賃上げもありうるとの姿勢を示している。奥田氏は賃金改定には直接触れず「心の豊かさの実現のためには、政策的な取り組みが重要だ」として、夏季に時刻を早めるサマータイム制度の導入などを改めて求めた。

 会合に招かれた連合の笹森清会長は「圧倒的多数である中小・零細企業の(賃金の)底上げを助成したい」と述べ、大企業との賃金格差が残る中小企業の賃上げを重視する考えを表明した。
(日経新聞 050114)

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 資本主義的生産のもとにある労働者階級の物質的状態が、ぜんたいとして悪化するのは、経済恐慌の時期である。経済恐慌は資本主義的生産の内的諸矛盾の発現だから、その破壊作用は資本主義が発展すればするほど大きくなる。有名な一九二九〜三三年の大恐慌では、資本主義世界ぜんたいで、労働者とその家族一億五千万人が街頭に投げだされた。

そしてなかでも、当時合理化がもっとも徹底的におこなわれた、資本主義的生産のもっとも高度に発達していた二つの国、アメリカとドイツがもっとも激烈な恐慌に見まわれた。

これはいまもって有効な、動かしがたい証拠である。(もっとも、現代資本主義の代弁者たちは、破局的な経済恐慌を克服することができると提言している。その内容が何を意味するかについては、後でふれる機会がある。)

 経済恐慌は大量の産業予備軍を生産する。むろんその一部は景気の回復、資本主義的生産の拡大とともに生産過程に復帰するが、資本主義の最高の発展段階である独占資本主義の時代には、この産業予備軍の常備軍化が顕著になっている。

──略──北アメリカと西ヨーロッパの発達した資本主義諸国に日本とオーストラリアを加えれば、官庁統計の資料によっても、八五〇〇万の工業プロレタリアートにたいして完全失業者は八〇〇万ないし一〇〇〇万を数えている。これは平均して九人に一人が失業者だということを意味する、といっている。現代の資本主義が生みだした尨大な相対的過剰人口の実態をあきらかにするためには、なおこの他に数百万にのぼる常備兵力を、失業労働者の「転化された形態」として加えることもできるのではないかと、私は考えている。

 それはともかく、尨大な産業予備軍又は常備軍の存在は、それじたい労働者階級の状態の悪化を意味しているが、さらに現にはたらいている産業現役軍にたいしても、労働条件の引き下げ要因として反作用する。

 さいごに。これまでのところでは、私は、賃金をいわば孤立的にあつかってきた。しかし資本主義は何よりもまず利潤生産なのだから、賃金の高い安いをいう場合にも、剰余価値にくらべてみた、労働力の価値または価格の「不完全な反映」としての賃金を問題にする必要があるだろう。この点について、資本主義の発達史は、資本主義の高度に発達した、いわゆる「賃金の高い国」の相対賃金が、「賃金の低い国」よりも低いことを教えている。これこそ資本主義的生産の発展と賃金の上昇とが正比例的にすすまないことの決定的な証明である。

 以上にのべたことは、資本主義社会では全くありふれた日常的な事実である。この日常的な事実に、調和的・正比例的な発展の「理論」が対抗できない以上、この「理論」をわれわれの経済分析の道具に使うことができないのはあきらかである。だがそうだとすれば、資本主義的生産の増大と労働者階級の物質的状態との相互関連を、正しくはどうみるべきだろうか。
(堀江正則著「日本の労働者階級」岩波新書 p18-20)

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第五章 賃金について

 労働は、売買され、また分量が増減されうる他のすべての物と同様に、その自然価格と市場価格とをもっている。労働の自然価格は、労働者たちが、平均的にみて、生存し、彼らの種族を増減なく永続することを可能にするのに必要な価格である。

 労働者が、彼自身と、労働者数の維持に必要な家族とを維持する力は、彼が賃金として受けとる貨幣量には依存せず、その貨幣が購入する食物、必需品、および習慣によって不可欠になっている便宜品の分量に依存している。それゆえ、労働の自然価格は、労働者とその家族の扶養に要する食物、必需品および便宜品の価格に依存している。食物および必需品の価格騰貴とともに、労働の自然価格は騰貴するだろう。それらの物の価格下落とともに、労働の自然価格は下落するだろう。

 社会の進歩とともに、労働の自然価格はつねに騰貴する傾向がある。なぜなら、その自然価格を規定する主要商品の一つが、それを生産する困難が増大するために、高価になる傾向があるからだ。だが、農業の改良、食料を輸入しうる新市場の発見は、必需品価格の騰貴傾向を一時阻止し、場合によっては、その自然価格の下落をも引き起しうるから、この同じ原因は、労働の自然価格にも、それに対応する効果を生むだろう。

 原生産物と労働以外のすべての商品の自然価格は、富と人口の増大につれて、下落する傾向がある。というのは、一方では、それらの物の真の価値は、それらを造るのに使用される原料の自然価格の騰貴によって高められるにもかかわらず、これは、機械の改良、分業および労働配分の改善、生産者の科学ならびに技術における熟練の増進によって、十分に相殺されるからである。

 労働の市場価格は、供給の需要に対する比率の自然的作用にもとづいて、実際に労働に対して支払われる価格である。労働は稀少なときに高く、豊富なときに安い。労働の市場価格がどれほどその自然価格から離れようと、それは、諸商品と同様に、これに一致する傾向がある。

 労働者の境遇が順調で幸福であり、彼がより大きな割合の生活の必需品と享楽品を支配する力をもち、したがってまた健康で多数の家族を養う力をもつのは、労働の市場価格が自然価格を超える場合のことである。だが、高賃金が人口増加にあたえる奨励によって労働者数が増大すると、賃金は再びその自然価格にまで下落する。また実際、反作用のため、時にはそれ以下に下落することもある。

 労働の市場価格が自然価格以下にある場合には、労働者の境遇は最も悲惨である。この場合、貧困は、習慣が絶対的必需品としているような安楽品を彼らから奪いとる。労働の市場価格が自然価格にまで騰貴し、労働者が、賃金の自然価格があたえる適度な安楽品をもつようになるのは、彼らの窮乏がその数を減少させた後か、労働に対する需要が増大した後に、はじめて起ることである。
(リカードウ著「経済学および課税の原理」岩波文庫 p135-137)

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(1)、社会の富が下り坂にあるとき、労働者が最も苦しむ。けだし、社会が結構な状態にあるとき、労働者階級は所有者の階級ほどには得るところはありえないにもかかわらず、社会の下り坂で労働者の階級ほどむごく苦しむものは他にないからである=B
(大月書店「マルク・エンゲルス八巻選書」@ p32)

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◎「労働の自然価格は、労働者とその家族の扶養に要する食物、必需品および便宜品の価格に依存している。食物および必需品の価格騰貴とともに、労働の自然価格は騰貴するだろう。それらの物の価格下落とともに、労働の自然価格は下落するだろう。」と。