学習通信050125
◎「どんなに密集しているか」……。

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 いままでのべてきたような状態で生活し、絶対不可欠な生活必需品もろくに与えられていない階級が、健康ではなく、高齢にもたっすることができないことは、はじめから分かりきったことである。しかしわれわれはもう一度、個々の事情をとくに労働者の健康状態と関連づけて検討してみよう。人口が大都市に集中するだけでも悪い影響があらわれてくる。

ロンドンの空気は、農村地帯の空気のようにきれいではなく、多くの酸素もふくんでいない。二五〇万の肺と二五万の炉の火が三ないし四地理マイル平方のところにおしこめられて、膨大な量の酸素を消費しており、その補給は困難である。

というのは、都市のつくり方そのものが換気を困難にしているからである。呼吸と燃焼によってつくりだされた炭酸ガスは、とくに重いために道路に残り、風はおもに家の屋根のうえを吹きぬけていく。住民の肺には十分な量の酸素がとどかず、その結果、肉体的にも精神的にも衰弱し、生命力が抑圧される。これらの理由から、大都市の住民は、戸外の正常な空気のなかで暮らしている農村の人びととくらべると、たしかに急性の、とくに炎症性の病気にかかることは少ないけれども、その代わり、慢性の病気に苦しむことはずっと多い。

そしてもし大都市で暮らすということだけで健康によくないとすれば、すでに見たように、空気をよごすありとあらゆるものがあつまっている大都市の労働者地区では、異常な空気の有害な影響はどんなに大きいに違いないことであろうか。

農村では家のすぐ近くに肥だめがあっても、まったく害にはならないかもしれない。なぜならここでは空気はいたるところから自由に流れこむからである。しかし大都市の真ん中の、建物でふさがれて空気の流れがすべてさえぎられている裏小路や囲い地では、事情はまったく違う。腐敗したあらゆる動物性や植物性の物質から健康に決定的に有害なガスが発生し、そしてこういうガスが自由に流れでるところがないと、空気をよごすに違いない。

したがって大都市の労働者地区のごみや水たまりは、公衆の健康に最悪の結果をもたらす。というのは、それらはまさに病気をひきおこすガスを発生させるからである。よごれた川から発散するものもまったく同じである。しかしこれでまだ全部ではない。貧民大衆が今日の社会によってどのようにあつかわれているかは、ほんとうに腹立たしいものがある。

彼らは大都市にひっぱりこまれ、故郷の農村よりも悪い空気を吸う。彼らは、家の建て方からみて、ほかのどんなところよりも通風の悪いところへいくように指示される。彼らは清潔にするための手段をすべてとりあげられ、水もとりあげられる。というのはお金を払わなければ水道をひいてくれないし、川は汚れていて清潔にするためには役に立たないからである。彼らはごみや汚物や、汚れた水や、ときには吐き気をもよおすような廃棄物や糞尿さえも、すべて道路に捨てざるをえない。というのは、それ以外にこれを処理する手段をすべて奪われているからである。

こうして彼らは自分たちの住んでいるところを汚染せざるをえなくなる。それでもまだ足りない。ありとあらゆる害悪が貧民たちの頭上につみかさねられていく。都市の人口が全体としてすでに過剰であるとすれば、まず貧民がますます小さな空間へおしこめられていく。街路の空気を汚してしまうだけでは満足せず、一ダースもの貧民がたった一つの部屋におしこめられ、そのために夜間に呼吸する空気は窒息しそうなぐらいである。貧民には湿気の多い住居、つまり下から水があがってくる地下室や、上から水がもれてくる屋根裏部屋が与えられる。

彼らの住居はしめった空気が流れでないように建てられている。彼らには、粗悪でぼろぼろの、あるいはぼろぼろになりかけた衣服と、粗末で混ぜものが多く消化の悪い食料が与えられる。彼らは非常にいらいらして気分が変わり、不安と希望がしょっちゅういりみだれる状態におかれている──彼らは野獣のように駆りたてられ、体息も、安らかな人生の享楽もゆるされない。

彼らは性的享楽と飲酒以外のすべての享楽を奪われ、その代わりに、あらゆる精神力と体力をつかいはたすまで、毎日働かされる。そしてそのはてに彼らは、自分の思いどおりになるたった二つの享楽に、まるで気が狂ったようにいつまでもおぼれる。そしてこれらすべてに耐えても、どうにもならないときには、彼らは恐慌の犠牲となって失業し、それまでまだゆるされていたわずかなものさえ、奪われるのである。

 このような状態のもとで、どうして貧しい階級の人びとが健康で長生きできるのであろうか? こういう状態では、異常に高い死亡率、絶えずつづく伝染病、確実に進行する働く世代の肉体的衰弱のほかに、なにを期待できるだろうか? 事実がどうなっているか、見てみよう。

 貧民街の労働者の住宅が、労働者階級のその他の生活状態と結びついて、たくさんの病気をひきおこしているということは、あらゆる方面から証明されている。先に引用した『アーティザン』誌の論文は、結核がこのような制度の必然的な結果であることは間違いなく、実際にとくに労働者のなかに多いということを主張しているが、それはまったく正しい。

ロンドンの、とくに労働者地区の空気の汚れが、肺結核の発生のもっともよい条件となっていることは、道路で出会う多くの人びとが結核性の顔つきをしていることでしめされる。朝早く、みんなが仕事に出かけるころに、すこし道路を歩きまわってみると、なかば、あるいは完全に、肺結核になったように見える人たちにたくさん出会うのにおどろくであろう。

マンチェスターにおいてさえ、こんな様子の人はいない。こういう青白く、ひょろ長く、胸のうすい、目のくぼんだ幽霊としょっちゅうすれ違い、こういう張りのない、無気力な、いっさいの精力を消耗しつくしたような顔をこんなに目立つほどたくさん見たのは、ロンドンだけである──もっとも、北部の工場都市でも、肺結核の犠牲となって多くの人が死んではいるが。

なお肺結核とせりあっているのは、結核以外の肺の病気と惺紅熱(しょうこうねつ)を除けば、労働者のあいだでもっともおそろしい荒廃状態をひきおこす病気──チフスである。ひろくひろがっているこの病気は、労働者階級の衛生状態についての公式の報告によると、住居の換気、排水、清潔さの状態が悪いことが直接の原因であるとされている。この報告は──これはイギリスの一流の医師たちが、ほかの医師たちの報告にもとづいて作成したものであることを忘れてはならない──風とおしの悪いたった一つの囲い地、排水口のないたった一つの袋小路でも、とくに住民が密集して住んでいて、近くで有機物が腐敗しているときには、熱病を発生させることがあり、また事実しばしば発生させている。

これらの熱病は、ほとんどどこでも同じ性質をもち、ほとんどすべての場合に完全なチフスになる。あらゆる大都市の労働者地区や、小さな町村でさえ、家の建て方や修理の悪い個々の街路では熱病が発生し、そしてそれは、もちろん、より良好な地区でも若干の犠牲者をだすけれども、もっともひろくひろがるのは貧民街である。ロンドンではかなり以前から熱病が流行している。一八三七年の異常な流行がきっかけとなって、先にあげた報告書がつくられたのである。

ロンドン熱病病院についてのサウスウッド・スミス博士の年次報告によると、一八四三年には看護をうけた病人の数は一四六二人で、これはそれ以前の最高の数より四一八人多かった。ロンドンの東・北・南地区の湿気の多い不潔な地区では、この病気がとくに猛威をふるった。患者の多くは田舎から移住してきた労働者で、彼らはロンドンヘくる途中でも、到着してからも、もっともきびしい欠乏生活に耐え、なかば裸で、なかば飢えたまま道路で眠り、仕事は見つからず、こうして熱病にかかったのである。

これらの人びとはたいへん衰弱して病院へかつぎこまれたので、とくに大量のワイン、コニャック、アンモニア剤、その他の興奮剤を使わなければならなかった。患者全体の一六・五パーセントが死亡した。マンチェスターでもこの悪性の熱病が見られる。旧市街、アンコーツ、リトル・アイルランドなどのスラム化した労働者地区では、熱病がすっかりなくなったということは、ほとんどない。

しかしここでは、イングランドのたいていの町と同じように、熱病は予想されたほどはひろがっていない。これにたいしてスコットランドとアイルランドでは、想像を絶するほどのはげしさでチフスが流行している。エディンバラとグラスゴウでは、飢饉のあとの一八一七年と商業恐慌のあとの一八二六年と一八三七年に、とくに猛烈に流行した。

そしていつも、三年ぐらい流行したあとに、しばらくのあいだ、いくらか衰える。エディンバラでは、一八一七年の流行期に約六〇〇〇人が、一八二七年のときには約一万人が熱病にかかった。そして患者の数だけでなく、病気のはげしさと死亡率も、流行が新しくくりかえされるたびに、増大した。しかし病気のはげしさという点では、一八四二年の恐慌のあとに発生した熱病にくらべると、それ以前の熱病はすべて子どもの遊び程度のものである。

スコットランド全体の貧民の六分の一が熱病にかかり、この病気は放浪する乞食によってきわめて急速にあちこちへひろがった。社会の中流、上流階級へはこの病気はとどかなかった──二ヵ月間にそれ以前ので一年間よりも多い熱病患者がでた。グラスゴウでは一八四三年に人口の一二パーセントにあたる三万二〇〇〇人が熱病にかかり、そのうち三二パーセントが死亡したが、マンチェスターやリヴァプールでは死亡率はふつうわずか八パーセントにすぎないのである。この病気は七日目と一五日目に危機を迎える。一五日目に患者はふつう黄色になるが、それは病気の原因が精神的な刺激と不安のうちにもあるということの証拠だと、われわれが典拠とした論文は見ている。

──アイルランドでもこの伝染性の熱病はやはりよく見られる。一八一七年から一八年にかけての二一ヵ月間に三万九〇〇〇人の熱病患者が、そしてその後の一年間にアリソン行政長官によれば(『人口原理』第二巻)、じつに六万人もの熱病患者が、ダブリンの病院へはこばれた。コークでは、一八一七年から一八年にかけて熱病病院は人口の七分の一を収容しなければならず、同じ時期にリメリックでは住民の四分の一が、ウォーターフォードの貧民街では住民の二〇分の一九が、熱病にかかった。

 労働者が暮らしている環境をふりかえってみれば、その住居がどんなに密集しているか、すみずみまでどんなに人間がつめこまれているか、病人も健康なものも一つの部屋で、一つの寝床でどのように寝ているか、ということを考えてみると、熱病のような伝染病がもっとひろがらないことの方がむしろ不思議であろう。

そして、これらの患者に提供される医療の援助がいかに少ないか、どんなに多くの人が医師の助言をまったくうけられず、ありふれた食餌療法さえ知らずにいるかということを考えると、死亡率はむしろ低いように思われる。この病気のことを詳しく知っているアリソン博士は、先に引用した報告のように、この病気の原因を貧民の窮乏と悲惨な状態にもとめている。彼は、欠乏と生活必需品が不十分にしかみたされていないために、身体が病気にかかりやすくなっており、一般に伝染病がますます恐ろしいものとなって急速にひろがるのだと主張している。

物が不足したとき──商業恐慌とか凶作のとき──にはいつでも、スコットランドでもアイルランドでもチフスが流行したこと、病気が猛威をふるったのは、ほとんど労働者階級にかぎられていたということを証明している。彼の証言によれば、チフスで死んだ人の大部分は一家の長であり、つまり、家族にとってもっとも不可欠の人であったということも注目に値する。彼が引用している何人かのアイルランドの医師も同じことをいっている。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態-上-」新日本出版社 p151-157)

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 家屋の健康を全般的に管理するにあたって見受けられる数多くの不注意と無知≠ゥら,三つを例としてあげておこう。

1.建物に責任をもつ女性管理者が,建物をくまなく毎日見回ることが必要だと思っていないこと。家に責任をもつ彼女がそれを健康的に維持することに留意しないで,彼女のもとで働く人たちが自分よりも注意深くあることをどうして期待できようか。

2.部屋はそこに人が住んでいないときでも,外気を入れ,日光を入れ,掃除をすることが重要であると考えられていないこと。これは,衛生についての第一の基本的な考えをまったく無視し,あらゆる病気が発生しやすいような地盤をつくっていることになる。

3. 部屋に外気を入れるためには,窓があれば,それも一つあれば十分だと考えられていること。暖炉のない部屋がいつもむっとしていることにあなたは気づいたことがないだろうか。そして,暖炉があれば,あなたはそこを煙突板でふさぐだけではなく,たぶん茶色の包装紙を大きくまるめて煙突の立ち上がり口に詰め込むだろう──煤が落ちてこないようにだって? 煙突が汚れているのなら掃除をしなさい。

しかし部屋に開口部が一つしかないのに外気を入れられると思ってはいけない。また,部屋を閉め切っておくことが部屋を清潔に保つ方法だと思ってはいけない。それはかえってその部屋とそのなかにあるすべてのものを不潔にする最上の方法である。管理者であるあなたは,これらすべてのことに自分が注意しなくても,自分の下で働いている人たちが自分よりももっとよく気をつけてくれるだろうなどと考えてはいけない。このごろの女主人の役目はもっぱら自分の使用人について不満を言い,彼らの弁解を聞き入れること──不満も弁解も必要ないようにするにはどうすればよいかを教えることではないかのようである。

 しかしまた,これらすべてのことにあなた自身が注意を向けるということは,それらをあなた自身がするという意味ではない。「私はいつも窓を開けます」と責任者はよく言う。確かに,あなたがそれをするのなら誰も何もしないよりずっとよい。しかし,それがあなた自身によってなされないときでも誰かによってなされるということを,あなたは請け合えないのではなかろうか。

あなたがその場を離れたときにもそれがなされないことがないということをあなたは請け合えるか。これが責任をもつ≠ェ意味するところである。そしてそれはまた非常に重要な意味である。

前の場合は,あなた自身の手によってできることだけがなされていることを意味するにすぎない。後の場合は,なされるべきことが常になされていることを意味する。
(フローレンス・ナイティンゲール著「看護覚え書き」日本看護協会出版会p34-35)

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◎健康で文化的な生活をする上で住居は基本になるもの。日本の労働者……あなたはどんな住居に暮らしているだろうか。

◎「それがあなた自身によってなされないときでも誰かによってなされるということを,あなたは請け合えないのではなかろうか。あなたがその場を離れたときにもそれがなされないことがないということをあなたは請け合えるか。これが責任をもつ≠ェ意味するところである。そしてそれはまた非常に重要な意味である」と。

労働学校運動や労働組合運動……労働者運動における組織活動でも(あらゆるところで)求められる責任をもつ≠ニいうこと。