学習通信050128
◎「たがいに競争して奪い合いをしなければ」……。

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今こそ団結の力を
全国労働組合総連合議長 熊谷金道

 「なぜ景気回復しても自殺が減らないのか」という特集記事が一〇月下旬の朝日新聞に掲載されました。自殺者数は、三万四〇〇〇人の史上最多記録の03年まで6年連続して三万人台を記録しています。国際的に見ても極めて異常なこうした事態がなぜ引き起こされているのでしょうか。この特集号でも「過重労働や借金」「長期失業」「貧富格差拡大」が背景にあると指摘されていました。

 内閣府が発表した一〇月の「月例経済報告」では「過去の景気回復と比べて所得への波及の遅れ」が今回の局面の特徴と指摘されています。また、日銀の「生活意識に関するアンケート調査」では、一年前と比べ収入が「減った」が四八%、支出を「減らしている」が四割を超え、約8割が勤め先での雇用・処遇に「不安を感じている」ことが明らかにされています。

 他方で、トョタを初めとする大企業が史上空前の利益を更新していることは皆さんご承知のとおりです。しかも、そのぼろ儲けは「国際競争力」強化の名による労働者への大規模なリストラによる人減らしや賃下げ、下請け・取引企業に対する単価引き下げなど徹底したコスト削減によるものであることも皆さんご承知のとおりです。

 〇五年は春闘が始まって五〇年目の節目の年になります。産業別や全国的統一闘争へ結集することによって企業別労働組合の弱点を克服し、財界・大企業、加えて政府の悪政をみんなの団結した力の集中で跳ね返そうという春闘の原点をいま一度みんなで再確認し、生活や雇用、労働条件の改善にむけて、プロ野球選手会労組のたたかいにも学びながら、パートや未組織労働者など職場や地域のすべての労働者と共にたたかう春闘を全国各地からつくりあげましょう。

 財界・大企業の横暴や政府の悪政は台風や地震のような自然災害と違って「人災」なのですから、その被害に遭っている広範な国民諸階層にも共同を呼びかけながら、私たち自身の力でこれを押し返す以外に私たちの切実な要求実現の展望を切り開くことはできないのですから。
(月刊「学習の友」05年春闘別冊号 p1-2)

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 労働の賃銀の上昇をもたらすのは、国民の富の現実の大きさ如何ではなくて、富の恒常的な増加である。だから労働の賃銀は、最も富裕な国々においてではなく、最も繁栄しつつある国々、いいかえると、最も急速に富裕となりつつある国々において最高となる。イングランドはたしかに、現在では、北アメリカのどの地方よりも大いに富裕な国である。けれども労働の賃銀は、北アメリカのほうがイングランドのどの地方とくらべても、大いに高い。

ニューヨーク州では、普通の労働者は、一日に同地の通貨で三シリング六ぺンス、すなわちイングランド正貨二シリングに等しいものを稼ぐ。船大工は、通貨で一〇シリング六ペンスと、別にイングーランド正貨六ペンスに値するラム酒一パイント、すなわち全部でイングーランド正貨六シリング六ペンスに等しいものを稼ぐ。

家大工と煉瓦積み工は、通貨で八シリング、すなわちイングランド正貨四シリング六ペンスに等しいものを稼ぐ。また仕立職人は、通貨で五シリング、すなわちイングランド正貨約ニシリング一〇ペンスに等しいものを稼ぐのである。これらの価格はすべてロンドンの価格を上回り、賃銀は他の植民地でもニューヨークと同じように高い、という話である。食料品の価格は、北アメリカではどこでもイングランドにくらべてはるかに低い。そこでは、食糧の払底などは問題になったことがない。

最も不作の時期でも、北アメリカの人々は自分たちに必要なものは十分に供給されており、ただ輸出向けの分が減るだけのことである。だから、もし労働の貨幣価格が母国のどこよりも高いならば、労働の真の価格、すなわち、それが労働者にもたらす生活必需品と便益品にたいする真の支配力は、なおいっそう大きい割合で高いにちがいない。

 だが北アメリカは、まだイングランドほど富裕ではないにしても、それよりはるかに繁栄しているし、また富の獲得をめざして、はるかに急速に発展しつつある。どんな国でも、その繁栄の最も決定的な指標はその住民数の増加である。大ブリテンと他のたいていのヨーロッパ諸国では、住民数が五百年以内に二倍になるとは考えられない。ところが北アメリカの大ブリテン植民地では、住民は二〇年ないし二五年のうちに二倍になる、ということが明らかにされている。

現在でも、こうした増加は、新しい住民がたえず流入することに主としてもとづくものではなく、その地の人口の大きい増殖にもとづくものである。同地では老年まで生きている人々は、自分の身体から生れてきた五〇人ないし一〇〇人、ときにはそれ以上にものぼる子孫を生存中に見ることがしばしばある、といわれている。そこでは、労働の報酬がたいへんよいために、子供が多いということは親たちにとって重荷であるどころか、富裕と繁栄の源なのである。

両親の家を離れるまでの子供たち各自の労働は、両親にとって一〇〇ポンドの純利得に値する、と推定されている。四、五人の幼児をかかえた若い未亡人は、ヨーロッパの中流ないし下層の階級の人々のあいだでは、再婚の機会にはほとんど恵まれないけれども、北アメリカでは一種の財産として求婚されることがしばしばある。子供たちの価値は、結婚へのすべての誘因のなかで最大のものである。

それゆえ、北アメリカの人々が一般に非常に若年で結婚するのも不思議ではない。そのような早婚によってひきおこされる住民の大きな増加にもかかわらず、北アメリカでは、人手不足についての不満が絶えないのである。そこでは労働者にたいする需要、すなわちかれらの維持にあてられる基金のほうが、雇用されるべき労働者よりもすみやかに増大しているようにみえる。

 たとえ国の富がたいへん大きくても、その国が長いあいだ停滞的状態にあるなら、そこでの労働の賃金が非常に高いと思ってはならない。賃銀の支払にあてられる基金、すなわち住民の収入と資本は、最大の規模に達することがあっても、もしそれらが数世紀にわたって同一、またはほとんど同一の規模のままであるとするなら、毎年雇用される労働者の数は、次の年に必要とされる労働者数を容易に充足するだろうし、また充足してあまりあるものとさえなるだろう。

そこでは、人手の不足などは滅多にありえないだろうし、また親方たちが労働者を獲得するためにたがいに競争して奪い合いをしなければならないようなこともないだろう。むしろ反対に、人手は自然にその雇用以上に増大するであろう。

そこではつねに雇用の不足があり、労働者たちは仕事を手にするために、たがいに競争して奪い合いをしなければならないだろう。このような国では、たとえ労働の賃銀が、労働者を維持し、かれが家族を扶養しうるに十分な額以上であったにしても、労働者たちの競争と親方たちの利害関係とによって、賃銀はまもなく、普通の人間性を無視しない程度の最低の率にまで引き下げられるであろう。
(スミス著「国富論@」中公文庫 p118-121)

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 (二)、こんどは、富が伸びていくような社会をとってみよう。この状態だけがただ一つ、労働者に有利な状態なのである。ここでは競争が資本家たちのあいだに起こる。労働者たちにたいする需要はその供給を上まわる。しかし、

 一つには、労賃の上昇は働きすぎを労働者たちのあいだにひき起こす。かせごうとすればするほど彼らは彼らの時間を犠牲にし、すっかりあらゆる自由を手放して貪欲のために奴隷労働をやらねばならない。そうすることによって彼らは彼らの命の時を縮める。彼らの寿命がこうして短縮されることは全体としての労働者階級にとっては好都合な事態なのである。というのは、それによってたえず新しい供給が必要となるからである。この階級はすっかり亡びきることがないためには、たえずそれ自身の一部分を犠牲にしなければならない。

 さらに、どのような場合に、社会はどんどん富んでいく状態にあるのか? 一国の諸資本と諸収入の増大とともにである。ところで、これが可能なのはただ、

(α)多くの労働が堆積することによってのみである。──けだし資本は蓄積された労働だからである。──それゆえに、労働者の手からますます多く彼の生産物が取り上げられること、彼自身の労働がますます他人の所有物として彼に対峙していって、彼の生存と彼の活動の諸手段がますます資本家の手のなかで集中していくことによってのみである。

(β)資本の累積は労働の分割、すなわち分業をふやし、分業は労働者の数をふやす。逆に労働者の数は、分業が諸資本の蓄積をふやすように、分業をふやす。一方においてはこの分業、そして他方においては諸資本の累積とともに、労働者はますます純粋に労働、しかもある特定の、ひどく一面的、機械的な労働に依存するようになる。

このように彼は身心ともに機械へおし下げられて、ひとりの人間が一つの抽象的な活動と一個の胃袋となるにつれ、彼はまた市場価格、諸資本の使用および富者の気持のあらゆる変動にますます依存するようになっていく。同じようにまた、ただ労働するだけの人間たちの部類の増加によって労働者たちの競争は高まり、そのために彼らの価格は下がる。製造工業において労働者のこのあり方は頂点に達する。

(γ)繁栄が上り坂にあるような社会においては、もはやただ富者中の富者たちしか金利で生活することはできない。爾余のすべての人々は彼らの資本で何か事業をやるか、資本を商業に投入するかしなければならない。そうなると、そのために諸資本間の競争はいっそう大きくなり、諸資本の集中はいっそう大きくなり、大きな資本家たちは小さな資本家たちをつぶし、こうして以前の資本家たちの一部は労働者の階級へ堕ち、この階級のほうは、この流入によってまたしても労賃の切り下げに遭って、なおいっそう大きな資本家たちに隷属していくはめにおちいる。

資本家の数が減ったために、彼らの競争は労働者のことにかんしてはほとんどもう存在せず、そして労働者たちの数が殖えたために、彼らのあいだの競争はそれだけ大きく、不自然かつ強引になった。それゆえに労働者層の一部は、ちょうど中程度の資本家たちの一部が労働者層へ堕ち込むのと同じように必然的に乞食状態か飢餓状態へ堕ち込む。

 そういうわけで、労働者に最も有利な社会の状態にあってですら、労働者にとっての必然的な帰結は働き過ぎと早死、機械への下落、彼に面と向かって無気味に蓄積されていくところの資本の奴隷、新しい競争、労働者たちの一部の餓死または乞食状態である。

 労賃の上昇は労働者のうちに資本家の致富欲をかき立てるが、しかしそれを彼はその身心を犠牲にすることによってでしか満足させることができない。労賃の上昇は資本の累積を前提し、そしてそれを招来し、こうして労働の産物をますます他人のものとして労働者に対置する。同様に分業は彼をますます一面的かつ従属的にするとともに、またそれはたんに人間たちの競争のみならず、また諸機械の競争をもひき起こす。

労働者が機械になり下がった以上、彼に機械が競争者として対峙してくることができる。最後に、資本の累積が産業の量、したがって労働者を殖やすように、この蓄積によって同一量の産業はいっそう多量の製品をもたらし出し、これが過剰生産となって、その挙句は労働者の大きな部分が仕事を失わせられるか、さもなければ、賃金をかつかつの最少額にまで切り下げられるかのいずれかである。

 これが労働者にとって最も有利な社会状態、すなわち増進する富の状態の帰結である。
(マルクス著「一八四四年の経済学・哲学手稿」マルクス・エンゲルス八巻選集@ p32-34)

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7 春季労使交渉にい臨む経営側の基本姿勢と
  これからの労使協議のあり方

 ー部に景気回復の兆しがみえるが、経済の先行きは予断を許さず、企業は事業の構造改革に今一段の注力が必要な段階にある。安定的な雇用を維持し、国際競争に打ち勝てる企業体質の強化に労使の協力が必要であり、賃金などの労働条件の問題についても、この現状をふまえての対処が望まれる(図表12)。また、企業規模が小さくなるにつれて付加価値に占める人件費(労働分配率)の比率は高くなっている。企業規模・企業体質に見合った賃金決定は、経営の根幹にかかわる問題である(図表13)。

 企業レベルの賃金決定については、企業の支払能力によることが重要である。われわれが提唱する支払能力による賃金決定とは、付加価値生産性(従業員1人当たりが生み出した付加価値)を基準とするものである。特に、総額人件費管理の観点からみれば、所定内給与の引き上げは、総額人件費をほぼ自動的に1.7倍引き上げることになる。今後、社会保障費などの企業負担の増大は必至であり、賃金決定に際してはこの総額人件費管理の視点に留意しなければならない(図表14)。

 この意味で、定期昇給制度や退職給付制度の見直しは、従来に引き続いての重要課題である。毎年だれもが自動的に昇給するという定昇制度が未検討のままに残っているとすれば、廃止を含めて制度の抜本的な改革を急ぐべきであろう。退職給付についても、団塊世代の大量退職に備え、定年後の処遇を含めたさまざまな要件を勘案しながら、企業経営への影響を最小限にとどめるような対応を考えていかなければならない。

 賃金決定は中長期的な経営や生産性の確たる見通しのもとに決定することが不可欠である。現実に、賃金は簡単には下げられず、その上昇が固定費の増加に直接つながるわけで、単年度の業績や短期間の生産性の動向だけで賃金決定を行なうべきではない。激しい国際競争と先行き不透明な経営環境が見込まれるなかでは、国際的にみてトップレベルにある賃金水準をこれ以上引き上げることは困難である。

 その意味で、もはや市場横断的な横並びの、いわゆる「ベースアップ(ベア)。要求をめぐる労使交渉は、その役割を終えた。

 個別企業においても、賃金管理の個別化が進むなかでは、全従業員の賃金カーブの毎年の一律的底上げという趣旨での「ベースアップ(ベア)」についても、その機能する余地は乏しいといえよう。もちろん、個別企業レベルにおいては、大幅な生産性の向上や人材の確保などのために賃金の引き上げが行なわれる場合があろうし、逆にやむを得ず、賃金引き下げに迫られる事態も生じうるが、今後、これらは「賃金改定」と称すべきと考える。

 実際には、短期的な企業業績の成果については賞与・一時金への反映を協議する姿勢が望まれるが、これからの労使交渉においては、企業の競争力強化の観点から、中長期的に雇用、賃金、人事管理のあり方について幅広い角度からの話し合いが必要になる。

 なお、国民経済レベルにおいては、日本全体の高コスト構造を是正していくために、経営コストにもっとも大きな比重を占める賃金を適正な水準に抑制することが、生産性基準原理の観点からも不可欠である。個別企業の賃金決定は個別労使が話し合いで決めるが、日本全体の経済状況をみるならば、総じて賃金引き上げの余地はほとんどないことを改めて強調しておきたい。

 いうまでもなく、例年の春季労使交渉は、労使が定期的に情報共有・意見交換をはかる場として、大きな意義をもつと考える。そして今後の労使関係においては、賃金など労働条件一般について論議し、さらに労働条件以外の経済・経営などについても認識の共有化をはかることが重要である。したがって労使協議の役割が、労働組合の有無を問わず、一層重要性を増すといえよう。

 企業労使が、労使協議を通じて、経営環境の変化や経営課題、すなわち賃金・労働時間・雇用問題から、多様な働き方、従業員個々人のキャリア形成、能力開発、メンタルヘルス、さらには企業倫理などについて広範な論議を行なうことにより、企業が生き残るための方策をともに考え、共通の認識を深める意義は大きい。2年前より本報告が指摘しているように、「春闘」はすでに終焉した。今後は、春季の労使討議の場として「春討」が継続・発展することに期待したい。

 なお、雇用環境などの変化を背景に、近年、解雇などに関する個別的労働紛争が急激に増加の傾向にあり、司法制度改革のー環として、こうした個別的労働紛争を迅速に解決するため、「労働審判制度」が創設される(2006年4月施行予定)。

 個別的労働紛争は、本来、企業のなかで解決されるべきであるが、企業内で紛争が解決できない場合には、今後、労働審判制度を積極的に活用することも考慮すべきであろう。
(日本経済団体連合会「経営労働政策委員会報告」日本経団連出版 p52-56)

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◎「これが労働者にとって最も有利な社会状態、すなわち増進する富の状態の帰結である」と。