学習通信050202
◎馬力をあげて……。

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 作業機の規模と同時に作業するその道具の数の増大は、いっそう大規模な原動力機構を必要とし、この機構は、それ自身の抵抗を克服するために、人間の原動力よりも──人間は画一的かつ連続的な連動のきわめて不完全な生産用具である、ということは別としても──いっそう強力な原動力を必要とする。

人間が、単純な原動力として作用するにすぎなくなり、したがって彼の道具に代わって道具機が現われるとすれば、自然諸力はいまや原動力としても人間に取って代わることができる。

マニュファクチュア時代から伝えられたすべての大きな動力のうちで、馬の力は最悪のものであった。なぜなら、一面では、馬は自分の意志をもっているからであり、また他面では、馬は費用がかかり、また工場でもっぱら使われうる範囲が限られているからである。

それにもかかわらず、馬は大工業の幼年期中にしばしば使われたのであって、そのことは、当時の農場経営者たちの苦情ばかりでなく、こんにちまで伝わっている馬力による機械的動力の表わし方がすでに立証している。
(注 九六)ジョン・C・モートンは、一八五九年一二月、技能協会で、『農業で利用される諸力』についての論文を読み上げた。そのなかには、とりわけ次のように言われている

──「土地の斉一性を推進するあらゆる改良は、純粋に機械的な力を生み出すためにますます蒸気機関を使用するようにする。……曲がった垣その他の障害物が一様な動作をさまたげているところでは、馬の力が必要とされる。これらの障害物は、日ごとにますますなくなっていく。意志の行使をより多く、現実の力をより少なく必要とする作業においては、人間の精神によって刻一刻支配される力、すなわち人間力だけが、使用されうる」と。

次いでモートン氏は、蒸気力、馬力、人間力を、蒸気機関で常用される度量単位、すなわち三万三〇〇〇ポンドを一分間に一フィート持ち上げる力に換算して、一蒸気馬力の費用を、一時間あたり、蒸気機関では三ペンス、馬では五ペンス半と計算している。

さらに、馬は、その健康を十分に維持しようとすれば、一日八時間しか使うことができない。蒸気力によれば、耕地では、一年間を通じて、七頭ずつの馬のうち少なくとも三頭を節約することができ、この蒸気力の費用は、不要となった三頭の馬の三ヵ月または四ヵ月間──これらの馬は、実際、〔二年のうち〕この期間しか利用されない──の費用よりも大きくない。最後に蒸気力は、それが利用されうる農作業では、馬力に比べて作物の質を改良する。

蒸気機関がする仕事を行なうためには、六六人の労働者が一時間あたり合計一五シリングの費用で使われなければならないが、馬がする仕事を行なうためには、三二人が一時間あたり合計八シリングの費用で使われなければならないであろ。
(マルクス著「資本論B」新日本新書 p652-654)

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 仕事をするわりあい

 1kgのものを1mだけ持ちあげるのに,どれだけ時間がかかるかは,仕事を考える上には,関係のないことではない.しかし,じっさいには,重いものをもちあげたり,はこんだり,物をつくりだしたりする仕事が,どれくらいはやくやれるかということが,だいじな問題である.すなわち一定の時間にどれだけ仕事ができるかということも考える必要があるので,単位時間(たとえば1秒問)にする仕事の量を考えて,それを仕事率とか工率とかいう.

 それで1秒間に1ジュールの仕事をする仕事率をlワット(W), 1ヮッ1の1000倍を1キロワット(kW)といっている.ワットというのは蒸気機関の発明者ワットを記念した名前であることはいうまでもない.しかしイギリスでは,1ポンド(=453・6g)の物体を1フート(=30.5p)持ちあげる仕事を1フートポンドとよんだ.そしてだいたしヽ1匹の馬の能力から,馬力という仕事率の単位をつくり,1馬力は毎秒550フートポンドの仕事とした.また1馬力=736W=75kg-mというきめかたもある、二つの馬力はいくらかちがうけれど,どちらにしてもだいたい0・75 kWにあたる.
(「KAGAKU NO ZITEN」初版1950年 岩波書店)

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◎「人間は画一的かつ連続的な連動のきわめて不完全な生産用具」「一面では、馬は自分の意志をもっているから」……木や石≠ナはない。