学習通信050203
◎「労働者はあらゆる馬と同様」……。

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(三)「その富が殖えうるだけ殖えきった国においては、労賃も資本利子も共にひじょうに低いであろう。職を手に入れるための労働者間の競争はひじょうに激しく、そのため、給料は同数の労働者たちを維持するに足るところへまで押し下げられているであろうし、そしてその国にはすでに十分に人口があったはずだから、この数は殖えようがないであろう。」

 それ以上の分は死なざるをえないであろう。
 そういうわけで、衰えていく社会状態においては労働者はどんどんみじめになっていくし、上り坂の状態においてはみじめさは複雑であるし、とことんまででき上がった状態においてはみじめさはそのままずっと変わらない。

 ところでスミスによれば、人々の過半数が困っているような社会は幸福ではないのであるが、しかし社会の最も富める状態といえども過半数の人々をこの困窮へ導くのであり、そして国民経済(総じて私利の社会)はこの最も富める状態へ導くのである以上、したがって社会の不幸が国民経済の目標なのである。

 労働者と資本家の間柄にかんしてなお一言しておかねばならぬのは、労賃の上昇が資本家には労働時間の量の減少によって償われて余りあるということ、また労賃の上昇と資本利子の上昇が商品価格に、単利と複利のようなはたらきをおよぼすということである。

 さて今、すっかり国民経済学者の立場に身を置いてみて、彼にならって労働者たちの理論的諸要求と実践的諸要求とを比較してみようではないか。

 国民経済学者がわれわれにいうところによれば、元来そして概念上、労働の全生産物は労働者のものなのである。しかし同時に彼がまたわれわれにいうところよれば、現実において労働者のものになるのは生産物の最小の、かつ最も不可欠な部分、つまり彼が人間としてではなく、労働者として生存するために必要な程度だけであり、彼が人類をではなく、労働者の奴隷階級を生み残していくのに必要な程度だけなのである。

 国民経済学者がわれわれにいうところによれば、一切のものは労働によって買われるのであり、そして資本は蓄積された労働なのであるが、しかし同時に彼がまたわれわれにいうところによれば、労働者はとても一切のものを買いうるどころではなく、かえって彼自身と彼の人間性を売らねばならないのである。

 はたらきもしないでいる土地占有者の地代はたいていの場合、土地生産物の三分の一、そして仕事に忙しい資本家の利潤は金利の倍にも達するのに、労働者が最も恵まれた場合にかせぎ出す剰余といえども、彼の四人の子供のうち二人は飢えて死なねばならぬほどの額なのである。

 国民経済学者によれば、もっぱらただ労働のみによって人間は自然生産物の価値を増大させるのであり、労働は彼の能動的所有物であるのに、その同じ国民経済学によれば、地主と資本家のほうは、地主、資本家としてたんに特権的な、何の仕事もしないでいる神々にすぎないのに、どこででも労働者の上に位して、彼に掟を押しつけるのである。

 国民経済学者によれば、労働は事物の唯一不変の価格であるのに、労働の価格ほど偶然的で、大きな変動にさらされているものはない。

 分業は労働の生産力、社会の富と民度を高めるのに、それは労働者を機械にまで零落させる。労働は諸資本の累積、したがってまた社会の繁栄の増進をもたらすのに、それは労働者をますます資本家に依りかからせ、いっそう激しい競争へ連れ込み、躍起の過剰生産へせき立て、それだけにあとでぐったりくるのである。

 労働者の利益は国民経済学者によれば、社会の利益に対立するためしはないのに、社会はいつでも、そして必ず労働者の利益に対立する。

 国民経済学者によれぱ、労働者の利益が社会の利益に対立するためしがないわけは、(一)、労賃の上昇が労働時間の量における減少、ならびにそのほかの上述の諸帰結によって捕われてあまりあるからであり、そして(二)、社会との関係においては総生産物はすっかり正味の生産物であって、ただ私的人間との関係においてのみ正味が意味をもつからである。

 ところで労働はそれ自体、たんに今の諸条件のもとにおいてのみならず、またおよそその目的が富のたんなる増大であるかぎり、私にいわせれば、それ自体、有害であり災いをもたらすものであって、このことは、国民経済学者は知らなくとも、彼の所論から出てくることである。

 概念からすれば、地代と資本利得は労賃がうける控除である。しかし現実においては労賃は土地と資本が労働者の手に渡す控除のようなものであり、労働の生産物の労働者への、労働への、分与のようなものである。

 社会の衰退していく状態においては、労働者が最もひどい目にあう。彼は彼特有の圧迫の重みを労働者としての彼のあり方のせいでこうむるが、総じて圧迫を社会のあり方のせいでこうむるのである。

 しかし社会の進んでいく状態においては、労働者の破滅と零落は彼の労働と彼の生産した富との産物である。困窮はそれゆえに、今日の労働そのものの本質から出てくるものである。

 社会の最も富める状態というのが国民経済にとっても市民社会にとっても一つの理想──しかしこれはほぼ実現されるところまでしかいきようがなく、──少なくとも目的なのであるが、そのような状態は労働者にとっては持続的な困窮である。

 国民経済学がプロレタリア、すなわち資本も地代もなしに純粋に労働、それも一面的、抽象的な労働でのみ生きる人間をただ労働者としてのみ見ているというのは自明のことである。それゆえに国民経済学は、労働者はあらゆる馬と同様、働くことができるだけのものを得なければならぬという命題を立てることができる。それは労働者を彼が仕事をもたない時において、人間として見ることはしないで、この見方を、刑事裁判所、医者、宗教、統計表、政治そして乞食係の巡査に委ねるのである。
(マルクス「経済学・哲学手稿」マルクス・エンゲルス八巻選集@ 大月書店 p34-36)

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地底の女たち

 イングランドとスコットランドとの境界付近は南北ともに炭鉱地帯だ。ここの石炭が産業革命を支えるエネルギーとなった。はじめは露天掘りで掘られていた石炭も、だんだん立坑が掘られるようになり、産業革命のころには数十メートルの深さにたっしていた。その地底で男にまじって女性や子どもが働いていた。

 ペティ・ウォードルは六歳のときから炭坑で働いていた。いまでは四人の子持ちだが、そのうちの二人は坑内で産んだ。産前産後の休暇などもちろんなく、お産が間近にせまっていても仕事は休めなかった。坑内で産まれた赤ん坊は、スカートにくるんで立坑をあがってきた。

 ふつうは六つぐらいから、しかしたまには四つの子どもまでが、坑内で働いていた。たいていは坑夫が自分の子どもをつれてはいって、通気孔の掃除をさせたり、こぼれた石炭をひろいあつめさせたり、すとし大きくなると石炭はこびをさせた。入坑はふつう朝五時、せまい坑のなかで背中をまげ、かごにいれた石炭をしょってはこぶ。トロッコのようなものをひっぱることもあった。坑内には水がたまっていて、子どもの足だと膝ちかくまであった。夕方、暗くなるまで仕事がつづき、週末の休みのまえにはたいてい夜業があった。

 男たちは先山で石炭を掘る。その石炭をはこぶのは女や子どもたちだ。一人前になると約五〇キロの石炭のかごをしょってはこぶ。それは男でも耐えきれぬほどの重労働だった。ペティたちの仲間では、五〇キロのかごをしょって、地底から一〇〇メートル以上の地下の坂道をのぼり、そこから三〇メートルのはしごで地上へあがり、また数十メートルの坂をのぼって石炭置場まではこぶという重労働を、一日に二四回くりかえすのがふつうだった。一回五〇キロとして一二〇〇キロ。最高記録は一日に二トンをはこびあげたことだった。そして賃金はわずかに一日四分の三シリング。

 この重労働は働けなくなるまでつづくのだ。ここでは監督の鞭や、お仕置きはない。あるのは出来高払いという賃金のしくみだった。父が先山、母と娘と小さい子は石炭はこびというように家族ぐるみで立坑をひとつもち、その採炭量によって賃金が払われる。生活ぎりぎりの低賃金がかれらを重労働へ追いたてていた。

 妊娠中も働きつづけるため、流産や死産も珍しくはなかった。母親の生命にかかわることもあった。性の関係も乱れがちだった。ひとつの家族でひとつの立坑をもっているときはともかく、女たちがよその男たちといっしょに働いているときには、だれが父親かわからない子どもが坑内で産まれることもあった。

 坑内では身なりなどをかまってはいられない。上半身裸になり、膝までの半ズボンをはいて、腰にベルトと鎖をつけ、炭車をひっぱっている婦人労働者をえがいた有名な絵がある。これが、ふつうのかっこうだった。まるで馬みたいな仕事だ、と彼女たちは自分の仕事のことを自分で嘲笑した。石炭の粉だらけになって外へあがっても、男女別のシャワーなどあるはずはない。子どものときから男も女もいっしょになって水をあびるように育てられていた。それがいやなら、真黒な身体のまま家へ帰る以外にない。その家にも、シャワーや風呂はなかった。

 もちろん、子どもたちは学校へはゆかせてもらえなかった。日曜学校というものもあったが、それもなかなかゆけなかった。大人になっても自分の名前も書けないというのがふつうだった。子どものころ、たまに教会へいって、牧師の説教をきいたことがあって、昔むかし、イエス・キリストという人がいて、はりつけになったそうだという話はおぼえていたが、それがわたしたちとなんの関係があるのか、ペティにはまったくわからなかった。

 「どうかビクトリア女王様におつたえください」と、議会の委員が視察にきたときにだれかがたのんだ、

「わたしたちは働きたくないわけではありません。でもこんな馬みたいな仕事はいやです。どうか暗い穴のなかの仕事だけはやらなくてすむようにしてください。そうしたらみんなで、女王様万歳ととなえましょう。」

のちに、女性がこういう地下の重労働から解放される日がきたとき、それに代わって炭車をひっぱるようになったのは、彼女たちがいったとおり、馬だったのである。
(浜林正夫著「物語 労働者階級の誕生」学習の友 p101-108)

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◎「社会の最も富める状態というのが国民経済にとっても市民社会にとっても一つの理想──しかしこれはほぼ実現されるところまでしかいきようがなく、──少なくとも目的なのであるが、そのような状態は労働者にとっては持続的な困窮である」と。