学習通信050204
◎「それもたぶん「自分のスプーン」にあうものだけを」……。

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スプーンと世界

 某月某日、わが放浪記

 重い鞄を肩からさげて、港のある某市のはずれを私はうろついていた。自分でそういう羽目にもっていったのだが、五時間ほど時間をつぶさねばならなかった。

 じつは、このノートを書くのにあてるつもりだった。そのつもりで喫茶店に入ったが、原稿用紙はいつまでも白紙のままだった。そのうち店の人の目が気になりだし、逃げるようにそこを出た。

 これを二回くりかえすと、あとはもう歩きまわるほかなかった。市の中心にひきかえせば本屋も映画館もあるのはわかっていたが、私の偏屈が引きかえすことをかたくなにこばんだ。港それ自身はといえば、税関などの建物がいかめしく立ち並んでいて、これまた私の接近を拒否した。

 幸い、道端の木陰にベンチを見つけたが、いつまでもそこにすわりこんでいるわけにはいかなかった。それはタクシー待ちの人のためのものらしく、客待ちしている運転手の目が今度は気になりだした。

 何だか自分が、行き先、帰り先のない家出人、逃亡者、亡命者であるような、そんな気分になってきた。

 そんな私に道を尋ねた人がいた。それをしおに、また歩きだした。別のところにへたりこんでいたら、また別の人に道をきかれた……。

 スプーンから出来た世界

 自分で自分をもてあましながら、地下鉄の一区間分の地上往復をつづけた。スプーンが落ちてないかと気をつけてみたが、そんなものはまるで見あたらなかった。

 「スプーン」というのは──
 「私が先年ロソドンにおった時、この間亡くなられた浅井先生と市中を歩いた事があります。その時浅井先生はどの町へ出ても、どの建物を見ても、あれは好い色だ、これは好い色だ、と、とうとう家へ帰るまで色尽しでおしまいになりました。さすが画伯だけあって、違ったものだ、先生は色で世界が出来上がってると考えてるんだなと大に悟りました。するとまた私の下宿に退職の軍人で八十ばかりになる老人がおりました。毎日同じ時間に同じ所を散歩をする器械のような男でしたが、この老人が外へ出るときっと杓子(しゃくし)を拾って来る。もっとも日本の飯杓子のような大きなものではありません。子供の玩具にするブリッキ製の匙(さじ)であります。下宿の婆さんに聞いて見ると往来に落ちているんだと申します。しかし私が散歩したって、未だかつて落ちていた事がありません。しかるに爺さんだけは不思議に拾って来る。そうして、これをていねいに室の中へ並べます。何でもよほどの数になっておりました。で私は感心しました。外の事に感心したわけでもありませんが、この爺さんの世界観が杓子から出来上がっているのに少なからず感心したのであります」(夏目漱石「創作家の態度」)

さまざまな人生

 そのうち私は、自分がさまざまな人生を拾い歩いていることに気づいた。
 汐焼けした東南アジア系らしい船員が通る。肩に乗っけた子どもに大声でわめいている、スペイン系らしい大男ともすれ違った。インド人のカップルとも視線があった。

 一目でそれとわかる障害をもった娘の手を引いた母親にも出あった。私はこの母娘の不幸と幸福とを思った。
 それから幸せそうな若い夫婦とすれ違った。女の人は大きなお腹をしていた。はじめての子供だ、と私は直感した。

 それから、街路樹のプラタナスを四五度おし倒すようにしてとまっているトラックと、そのまわりにあつまって作業している人たちを見た。途方にくれたように突っ立っているのが、そのトラックの運転手に違いなかった。

 裏通りに入ったら、学校帰りの小さな女の子たちが通りかかってあるポスターにぺたりと手をついた。赤旗まつりのポスターだった。「これ、クロヤナギ・テツコさんだよ」という声がきこえた。

 それから、パチンコ屋の入口のたたきのところに、小さな男の子が二人、すわりこんで遊んでいた。親はパチンコ屋のなかでがんばっているらしかった。

 こんなスプーンを

 さまざまな人生を拾いあげる、などといったら不遜に過ぎよう。私はそれらのある一瞬を、しかもその表面を、傍観しえたにすぎない。それもたぶん「自分のスプーン」にあうものだけを。

 生物はみな、自分の感覚能力に応じて世界をきりとる。きりとられてくる世界の姿は、生物の種ごとにちがっている。たとえばモンシロチョウには赤い色が見えない。そのかわり、人間には見えない紫外色、が見える。そしてモンシロチョウのメスの羽根は、この紫外色をたっぷりふくんでいる。──あるいはまた、イヌの目には色の見わけがほとんどつかない。イヌの視覚がとらえる世界の姿は、白黒テレビの画面のようである。しかしイヌは、同時に、人間より一〇〇万倍以上も鋭い嗅覚をそなえており、視覚によってよりはむしろ嗅覚によって生きる。

 このように生物が種ごとに異なる「環境世界」をもつということを強調したのはユクスキュルであった。(『生物から見た世界』思索社)
 しかし、だからといって世界を正体不明、変幻自在なマボロシのようなもの、その客観性を云々することのできないもの、といった哲学を展開することは、まったく正しくない。ユクスキュルはそういう哲学にまでいきついているのだが。

 私はさまざまな人生を、そしてまたこの世界を、そのあるがままのゆたかさにおいて知りたいと思う。「自分のスプーン」だけにそれを還元してしまいたくはない。

 しかし、スプーンにもいろいろあるだろう。「スプーンおばさん」のスプーンだってある。世界と人生のあらゆるゆたかさ、多様さをとらえるカギとなるような、そんなスプーンだってありうるはずだ。そういうスプーンを問題にすること、それが「人生論」ということであるだろう、とそう思った。
(高田求著「新人生論ノート パートU」新日本出版社 p7-11)

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私と小鳥と鈴と


私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を遠くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
(金子みすゞ「童謡集」ハルキ文庫 p81)

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◎「私はさまざまな人生を、そしてまたこの世界を、そのあるがままのゆたかさにおいて知りたいと思う。「自分のスプーン」だけにそれを還元してしまいたくはない」と。

科学的社会主義を学び運動するものの自覚……。