学習通信050207
◎「理論的な根拠をもって探究してきた革命の大道の一つ」……
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しかし、二つの大社会階級のあいだの闘争は、かならずや政治闘争となる。かつて中間階級すなわち資本家階級と土地貴族とのあいだにおこなわれた長期にわたる闘争が、そうであった。労働者階級とこの同じ資本家とのあいだの闘争もまたそうである。
すべて階級対階級の闘争においては、闘争の当面の目的は政治権力の獲得にある。支配階級は自分の政治的支配権を守る。
つまり、立法府内に彼らがもっている確実な多数派の地位を守る。下層階級は、はじめはこの権力の一部にあずかるためにたたかい、やがては、現行の諸法律を彼ら自身の利益と必要とにおうじて変えることができるように、この権力全体の獲得をめざしてたたかう。
たとえば、大ブリテンの労働者階級は、人民憲章の実現をめざして、長年にわたって熱烈に、暴力にさえうったえてたたかったが、この憲章は彼らにこの政治権力をあたえるはずだったのである。労働者階級は敗北したが、この闘争が勝利した中間階級に強い印象をあたえたため、それ以来この階級は、労働者にたえず譲歩につぐ譲歩をおこなうという代価を払って休戦の延長をあがなうことに、汲汲としている。
(エンゲルス「労働組合」マルクス・エンゲルス全集R大月書店 p252)
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マルクス、エンゲルスの革命論を総括すると──
いま、マルクス、エンゲルスが活動していた時代を中心に、七つの文章を見てきましたが、これだけでも、マルクスが労働者階級の革命政権を打ち立てる方法について、一定の条件がある場合には、「議会の多数を得ての革命」という道がありうることを早くから認め、その場合には、選挙での多数を得て革命をめざす議会的な革命の可能性を実際に追求したことが、個々の発言というにとどまらず、系統性をもった形で分かってくる、と思います。「議会の多数を得ての革命」という路線は、マルクス、エンゲルスという科学的社会主義の先輩たちが、理論的な根拠をもって探究してきた革命の大道の一つなのです。
そして、この道が可能となる条件として、マルクスが重視したのは、第一に、労働者を含め広く国民全体に選挙権を保障する普通選挙権があること、第二に、その選挙権で選ばれた議会が、国政を動かす実際の権限をもっていること、そして第三に、人口構成などの条件から、革命勢力が多数派になる条件が存在すること、これらの点でした。
いま見た文書では、この条件にかなう代表的な国として、まずイギリスが、ついでアメリカがあげられましたが、やがてフランスなどヨーロッパの大陸諸国でも、その展望は広がってきます。さきほど、フランスでは、パリ・コミューンにたいするテロや弾圧の事例をあげて、普通選挙権が人気がなかったと言いましたが、この状況もやがて変わってきます。この変化に大きなきっかけを与えたのも、マルクスでした。
パリ・コミューン弾圧から九年後の一八八〇年、フランス労働党の綱領草案の相談を受けたマルクスは、その前文づくりを引き受け、そのなかに、普通選挙権を「欺瞞の用具」から「解放の用具」に転化するという方向づけを、次のように書き込んだのです。
「このような組織の達成〔労働者階級による生産手段の集団的取得、つまり生産手段の社会化のこと──不破〕をめざして、普通選挙権をもふくめて、プロレタリアートの自由になるあらゆる手段で努力しなければならないこと、このことによって、普通選挙権は、これまでのような欺瞞の用具ではなくなって、解放の用具に転化すること」(〔フランス労働党の綱領前文〕全集I二二五ページ)。
エンゲルスは、一八九五年、死の直前に書いた文章「〔マルクス『フランスにおける階級闘争』への〕序文」のなかで、多数者革命が、革命運動の基本路線になりつつある最新の情勢について論じ、革命家のあいだで少数者革命的な「奇襲」戦術が好まれがちだったフランスでも、社会主義者は多数者革命の考え方をますます悟ってきている(全集I五一九ページ)、と述べています。
しかし、ドイツは、別個の条件のもとにおかれていました。ドイツの党は、普通選挙権の活用という点では、ヨーロッパでもっとも成功し、社会主義者取締法の弾圧体制下でも、大きな議会勢力をつくりあげてきた党でしたが、「政府はほとんど全能であり、帝国議会や他のあらゆる代議体が実権を持っていない。そのドイツ」(「エルフルト綱領批判」一八九一年、古典選書『ゴータ綱領批判/エルフルト綱領批判』九二ページ、全集I二四〇ページ)では、「議会の多数を得ての革命」の道は「制度」的に成り立ち得ない──このことを、エンゲルスはよく知っていました。だからこそ、エンゲルスは、選挙戦での議会勢力の発展に気をよくし、それがそのまま権力獲得につながるかのように夢想する人びとにたいしては、いつも強い警告を発したのでした。
このように、マルクス、エンゲルスの革命論を整理してつかみ直してみると、普通選挙権があり、権限をもった議会があり、多数者を形成する条件もある、こういう国では、選挙で多数を得ての革命という道が、革命運動の法則的な発展の方向だという結論を、マルクスもエンゲルスも、しっかり持っていたことが、くっきりと浮かびあがってきます。
革命の道筋についてのわが党の綱領の方針は、マルクス、エンゲルス以来のこの立場の現代的な発展だということを、よくつかんでほしいと思います。
(不破哲三著「新・日本共産党綱領を読む」新日本出版社 p318-320)
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英訳版へのまえがき
私は、一九九七年秋から二〇〇一年春にかけて、「レーニンと『資本論』」と題するかなり長期の研究をおこないました。これは、レーニンの理論活動の全体を、一八八八年にはじめて『資本論』を読みはじめたときから一九二四年にその革命的生涯を終わるまで、歴史的にあとづけることを意図しての研究でした。表題は、「レーニンと『資本論』」としましたが、科学的社会主義の理論では、経済学と哲学や戦略戦術論をそれぞれ切り離して論じることはできません。研究の対象は、いやおうなしに、経済学の領域にとどまらず、レーニンの理論活動のほとんど全分野におよびました。
この研究をくわだてた根底には、二〇世紀のかなりの時期、国際的にも科学的社会主義の理論の代表者とされてきたレーニンの理論について歴史的な総括をおこなうことは、科学的社会主義の二一世紀の発展を展望した場合、避けるわけにゆかない課題の一つとなるという考えがありました。
そして、この研究にあたって、とくに留意したのは、レーニンの理論を、できあがった一つの体系として扱うのでなく、それ自身の歴史的な発展のなかで扱うという立場です。レーニン自身の歴史のなかでレーニンを読む≠ニいうのは、この研究での私の合い言葉になりました。
実際、どの分野をとっても、レーニンの理論活動は、歴史的な発展の連続です。それをできるだけ正確に描きだしたいというのが、研究全体を通じての私の何よりの問題意識でした。生きた革命家であり変革者であるレーニンが、まだ若い時代から、変革の指針をつかみとろうとして、マルクス、エンゲルスの諸著作を懸命に読み、研究し、吸収する。それも、現在とは違って、読むことのできる文献がきわめて限られているわけですから、マルクスを研究すること自体が、制約された条件のもとでの一つの歴史過程です。
しかも、その研究から核心と思うものをつかみだすと、その核心を理解した立場で、ロシアと世界の革命運動の生きた問題にただちに立ち向かってゆく、そういうなかでのレーニンの理論活動ですから、その歴史をたどる仕事は、実に興味のつきないものがありました。
当然、レーニンのその理論展開のなかには、マルクス、エンゲルスを的確に受け継いで、新しい問題、新しい状況に即してこれを発展させた意義ある業績もあれば、試行錯誤や誤りもあり、その誤りのなかに、時にはきわめて重大なものもあります。しかし、この歴史的な方法で見てゆけば、レーニンが誤りをおかしたときにも、なぜ彼がそういう誤りに足を踏み出したのか、その理論的な根源や背景を理解する道も開けます。
この研究で、私は、全体にわたって、そういう態度でレーニンと正面から向かい合ってきたつもりです。
そのなかでも、世界の革命運動におよぼした影響の点で、もっとも重大な意味をもったのは、著作『国家と革命』にまとめられた国家論・革命論の基本にかかわる誤りだと思います。
この著作は、カウッキーらがもちこんだ日和見主義の汚染を一掃し、マルクス主義の国家論・革命論の健全な再整理をおこなう意図で執筆されたものです。しかし、レーニンは、その再整理のなかで、カウッキーらがもちこんだ誤った命題だけでなく、議会の多数をえての革命≠フ道の探究や、議会制度をもった民主共和制の評価など、マルクス、エンゲルスが積極的に展開し、今日の重要な理論的な遺産となるべき意味をもつ命題までも、日和見主義による理論的汚染だとして否定してしまったのです。
レーニンがここで提起した問題を科学的に吟味するためには、レーニンの時代と現代との時代的な条件の違いに問題を解消するのではなく、より根本的な検討──レーニンによる理論的再整理が正しかったかどうかの検討が、必要になります。
私は、研究「レーニンと『資本論』」のなかで、こういう見地から、『国家と革命』の歴史的な研究に取り組みました。私は、そのなかで、レーニン自身の歴史のなかで、レーニンを読む≠ニいう立場で『国家と革命』を読み、それによって、レーニンの誤りの内容、性格、原因などを明らかにすることを、くわだてました。研究の結果は、一九九九年末に発表しました。
いま英訳してこの本にまとめたのが、『レーニンと「資本論」』のなかの、『国家と革命』を研究したその部分です(第二三章)。この本が、読者のみなさんにとって、この分野の理論的な再整理に少しでも役立てば幸いです。
二〇〇一年八月 不破 哲三
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多数者革命の道筋について
次は、革命の道筋についての第一三節です。
この節のいちばん大きな特徴は、わが党の根本方針である多数者革命の立場から、民主主義革命の全体的な道筋を明らかにしていることです。
とくにその中心をなすのは、日本共産党と統一戦線の勢力が、国民多数の支持のもと一国会で安定した過半数を占めて、民主連合政府をつくることについて述べた、次の文章です。
「日本共産党と統一戦線の勢力が、国民多数の支持を得て、国会で安定した過半数を占める ならば、統一戦線の政府・民主連合政府をつくることができる。日本共産党は、『国民が主人公』を一貫した信条として活動してきた政党として、国会の多数の支持を得て民主連合政府をつくるために奮闘する」。
この文章は、基本的には、これまでの綱領の規定を引き継いだものですが、叙述をさらに充実させて、多数者革命の発展過程をいちだんと明瞭に述べています。
この文章に続く部分で、民主連合政府が樹立される以前に、中間的な政府ができる場合がありうることについて、書いています。私たちの展望では、状況のさまざまな組み合わせによっては、民主連合政府にまでゆかなくとも、あるいは安保条約の廃棄で合意するところまでゆかなくとも、国民の利益に役立ちうる政策的な合意ができ、それにもとづいてよりましな連合政府≠ェつくられることもありうる、と考えています。
その条件には、さまざまな場合がありますから、綱領の文章では、「さしあたって一致できる目標の範囲」での統一戦線およびその政府という大局的な表現にとどめているのですが、民主連合政府にしても、それ以前に可能な中間的な政府にしても、すべて、国民の多数の支持のもとに、国会で過半数の議席を得て樹立する、これが多数者革命の大道です。
さらに、この政府のその後の発展という問題があります。民主的な政府が、国会の多数を得て樹立された、というだけでは、まだ国家権力の問題を本当に解決したことにはならないのです。綱領は、その点について、次のように書いています。
「このたたかいは、政府の樹立をもって終わるものではない。引き続く前進のなかで、民主勢力の統一と国民的なたたかいを基礎に、統一戦線の政府が国の機構の全体を名実ともに掌握し、行政の諸機構が新しい国民的な諸政策の担い手となることが、重要な意義をもってくる」。
統一戦線勢力が選挙で勝って国会の多数を得れば、民主的な政府は樹立されるが、そこでたたかいが終わるわけではない、その政府が、国民の支持のもとに、国の機構の全体を掌握するところまで前進してはじめて、政権が安定したものとなり、国家権力の問題が解決したと言えるのです。
選挙で選ばれた政府が、いろいろな曲折を経ながら、国の機構全体をがっちりにぎる方向に前進する──ここには、実は、国家論の基本問題があります。
国家とは、いろいろな部分かち成り立つ構造体です。国家の頭部に当たるのが政府ですが、日本では、選挙で国会を選び、その国会が首相を指名するという形でつくられます。しかし、国家は、国会と政府だけでできているわけではありません。国会は法律を決め、政府は法律を活用して政策方針を定めますが、その執行にあたるのは、膨大な行政機構です。この行政機構は、法律的には、政府の指揮下におかれますが、実際には、かなり大きな独自の権限をもち、大企業・財界──経済界などの支配的勢カとも独自の深い結びつきをもっています。
そして、多年の経験を通じて蓄積された政治的力量を発揮して、政府の政策決定にも大きな影響を与え、政策の執行を自分たちの都合のよい方向に誘導したり、歪めたりします。
この国の機構のなかには、自衛隊や警察などのいわゆる「武力装置」も含まれており、国家論の用語では、「官僚的・軍事的機構」などとよく呼ばれます。ここに、実は、国家という存在の本質が含まれているのです。
世界情勢のところで、ラテンアメリカの経験を話しましたが、そこには、政府と権力との関係を示唆する二つの典型的な経験がありました。
一つは一九七〇年代初頭のチリの民主連合政権(アジェンデ政権)の経験です。統一戦線勢力が大統領選挙で勝利して政府をつくったのですが、国家機構の重要な部分をなす軍部・軍隊が反乱を起こして、大統領を射殺し、軍部の反動的な首脳が政権をにぎりました。つまり、民主的な政府が国家機構全体をにぎろうとする途上で、軍事クーデターで挫折させられた、という経過でした。
もう一つは現に発展しているベネズエラの革命政権(チャベス政権)の経験です。民主勢力が大統領選挙で勝利して政府をつくりました。それにたいして軍部を含む反革命の勢力が反乱を起こし、いったんは大統領を捕える、そこまではチリと似た経過をたどりました。しかし、国民的な決起のなかでクーデターは失敗し、軍部も態度を変更し、大統領が政権に復帰します。ここでは、選挙で選ばれた政府が、軍部などが起こした反乱をおさえて、国家機構の全体をにぎる方向に進む、という多数者革命の成功的な前進の経過が示されています。この過程はいまなお進行中です。
事態の発展の経過が、国によっていろいろな形態をとることはもちろんですが、大事なことは、安定した政権をつくる仕事は、やはり選挙で勝ったというだけでは終わらない、国民に選ばれた政府が、国の機構そのものを全面的ににぎり、これらの機構が「新しい国民的な諸政策の担い手」としてしっかり働くところまで、国の機構の改造を進めてこそ、はじめて国家権力の問題を解決した、と言えるのです。
(不破哲三著「新・日本共産党の綱領を読む」新日本出版社 p297-301)
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◎「つまり、立法府内に彼らがもっている確実な多数派の地位を守る。下層階級は、はじめはこの権力の一部にあずかるためにたたかい、やがては、現行の諸法律を彼ら自身の利益と必要とにおうじて変えることができるように、この権力全体の獲得をめざしてたたかう。」……科学的社会主義の労働組合論を読む会合で発見した一筋です。
「レーニンの誤りの内容、性格、原因など」「科学的社会主義の理論では、経済学と哲学や戦略戦術論をそれぞれ切り離して論じることは」できないと。正確な探研が私たち一人ひとりに求められています。
少なくとも日本社会の根本的変革を望むものは、「日本共産党綱領」「報告集 日本共産党綱領」「新・日本共産党綱領を読む」「議会の多数を得ての革命」「マルクス未来社会論」の5文献は必読であり最速で読了することが重大です。労働者・勤労国民との対話のために……。