学習通信050210
◎「自由の擬態にすぎないもの」……

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【ワシントン20日共同】
ブッシュ米大統領が2005年1月20日行った2期目就任演説の詳報は次の通り。

 わたしの使う言葉ではなく、われわれがともに見てきた歴史が、われわれの任務を決める。

 半世紀にわたり米国は自由を守り、共産主義が挫折した後、安息の何年かがあったが、それから炎に包まれた日が来た。われわれは自らが無防備であることを知った。

 憎しみと恨みの支配を打ち破り、圧政を敷く者の言い訳を暴く歴史の力がただ一つだけある。自由の力だ。この国での自由の存続は、他国での自由の成功にますます左右されるようになった。世界平和を達成する最短の道は全世界に自由を拡大することだ。

 建国の日以来、われわれはすべての人が権利と尊厳とかけがえのない価値を持つと宣言してきた。こうした理想を前進させることがこの国の使命であり、いまや国土の安全のために切迫した必要性に迫られている。

 世界中で圧政を終わらせることを究極の目標に、あらゆる国で民主化運動と制度の発展を求め、支持することが米国の政策である。

 われわれは必要な時には、武力によって自らと友人を守るが、自由は本来、市民が選び取り、法の支配と少数者の保護によって守らなければならない。米国は自分たちの統治の方式を押しつけることはしない。

 圧政を終わらせるという目標は、何世代にもわたり集中を要する仕事となる。米国の影響力は無限ではないが、かなりのものだ。自由の大義のために、自信を持ってそれを行使していく。

 最も厳粛な任務は米国と米国民をさらなる攻撃や脅威から守ることだ。米国との関係を良好にするには、自国民を正当に扱わなければならないことを明確にし、他国の改革を促す。

 人間の尊厳を守るという米国の信念がわれわれの政策を導く。自由のない正義はない。われわれは恒久的な隷属を認めないからこそ、恒久的な独裁政治も認めない。

 米国は再び世界の人々に語りかける。独裁と希望のない社会に生きる人々は次のことを知るだろう。

 米国はあなたたちが受けている抑圧を見過ごさないし、抑圧者を許しはしない。自由のため立ち上がるのなら、われわれも一緒に立ち上がる。米国は弾圧を受けている民主運動家の中に、将来自由な国になった時の指導者を見ている。

 米国は「他者の自由を否定する者は、自由を得るに値しないし、神の支配の下、長くそれを続けることはできない」というリンカーンの言葉を今も信じている。

 米国はすべての同盟国の友情に敬意を払い、助言と支援を頼りにしている。自由な国家同士の分裂こそが自由の敵にとっての目標であり、民主化促進に向けた団結した努力は敵の打破に向けた幕開けとなる。

 今日、私は米国民に語りかける。米国の安全を守るために忍耐を。米国は困難な責任を負っており、これを放棄することは恥ずべきことだ。

 少数の米国人が大義のために最も厳しい任務を背負い、中には死によって国に貢献してくれた人もいる。彼らの犠牲をいつまでも称えていく。

 若者たちは大義のために奉仕してほしい。そうすればあなた方の時代に米国は富だけでなく、さらなる品性をもたらすことになるだろう。

 米国における自由の理想は、市民が経済的な自立によって尊厳と安心を得ることだ。これが社会保障法などを形作った幅広い意味の自由の定義だ。今後はこれらの制度を時代の要請に合わせて改革する。学校教育を最高水準に引き上げ「オーナーシップ社会」を築く。誰もが自らの運命を切り開くことができるようにすることで米国民の自由を拡大する。

 党派、素性に関係なく米国民は自由の大義という点で一つに結ばれている。分裂があることは承知しているが、偉大なる目的を求め前進するためには和解しなければならない。わたしは真摯(しんし)に和解に努力する。 究極的な自由の勝利を確信してわれわれは前進する。それは神の意思による選択だ。米国は新しい世紀の始まりにおいて、全世界の人々に自由が行き渡ることを宣言する。決意を新たに自由の歴史における最も目覚ましい偉業を実現する覚悟だ。
(四国新聞 050121)

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自由の問題をめぐっての問題状況

 歴史の進歩のために、人類はしばしば、自由という理念をかかげて、偉大な闘争を展開してきた。しかし最近の政治的イデオロギー的状況の特徴の一つは、反動勢力がその政治スローガンの主柱として、「自由」の理念をかかげて反共宣伝を強めているところにある。

 七二年一二月の総選挙での革新勢力の大躍進に衝撃をうけた自民党・独占資本は「自由社会が危ない」「自由か、独裁か」「自由をまもれ」と叫んで、自由という偉大な理念をけがしている。

 わが国だけではなく、フランスにおいても人民連合政府の共同綱領をかかげた共産党、社会党、急進社会党左派、統一社会党の統一戦線にたいして、七三年春、反動派は「自由か、独裁か」という反共スローガンをかかげてまきかえしをはかった。

 チリでは米国CIAと結んでアジェンデ大統領を殺害し人民連合政府を転覆し、民主的党派の人びとに血の弾圧を加えている右翼反動派は、自己の組織を「祖国と自由」と呼んでいる。

 いまや、「自由」という理念をめぐって、国際的にも国内的にも深刻なイデオロギー闘争が展開されている。かれらのかかげる「自由」が、いかに欺瞞的であるかは、かれらがまもるという「自由社会」の実態にてらして明らかである。「自由社会」の盟主をもって認ずるアメリカ帝国主義者は「共産主義の脅威」からベトナム人民の「自由」をまもるという口実のもとに、ベトナム侵略を続けてきた。ウォーターゲート事件とニクソンをめぐる一連のスキャンダルは、この「自由主義」の国家が、独裁的な権威主義の国家であることを象徴的に示している。

 「自由社会」の最前線を自称する「韓国」が、言論・思想の自由も、政治的・市民的自由もいっさい存在しない文字どおりの独裁国家であることは、最近の金大中事件によって、だれの目にも明らかに露呈された。

 わが国の自民党と独占資本の叫んでいる「自由」が、物価つり上げと土地と物資の買い占めの「自由」であり、搾取と収奪の「自由」であり、小選挙区制のだくらみに示されているように、自民党の一党永久独裁のための「自由」であり、軍国主義復活の「自由」であることは明らかである。

 このような自民党・独占資木の「自由」は、日本国民の自由とは、まったく相容れないものであることはいうまでもない。したがってわたしたちは自由という理念をたんに抽象的に考えてはならないのであって、だれのための自由かということを具体的に考えなければならない。そして自由の問題を具体的現実的に考えるとき、自民党・独占資本のいう「自由」なるものが、全国民の利益に反し、人類史の進歩を押しとどめようとする「自由」であり、実はなんら自由の名に値しないものであって、自由の擬態にすぎないものであることが明らかになる。

 しかしこのような偽りの「自由」理念をふりかざし、「自由か、独裁か」と叫びたてる反共宣伝が、一見したところ「古典的」な手法に見えたとしても、これが反動勢力にとって一定の有効性をいまなおもっていることも、正確にとらえておく必要がある。
(鰺坂真著「自由について」大月書店 p17-18)

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◎「わたしたちは自由という理念をたんに抽象的に考えてはならないのであって、だれのための自由かということを具体的に考えなければならない。」