学習通信050213
◎「自分を知ること、自分自身から利益をひきだすこと」……。

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 生まれるとき、子どもは叫び声をあげる。子どもの最初の時期は泣いてすごされる。子どもをなだめようとして、人はゆすぶったり、あやしたりする。そうかと思えば、子どもを黙らせようとして、おどしたり、ぶったりする。わたしたちは子どもの気に入るようなことをするか、わたしたちの気に入るようなことを子どもにもとめるかする。

子どもの気まぐれに従うか、わたしたちの気まぐれに子どもを従わせるかする。中間の道はない。

子どもは命令するか、命令されなければならない。だから、子どもが最初にいだく観念は支配と服従の観念である。

話すこともできないうちに子どもは命令する。行動することもできないうちに服従する。そしてときには、自分の過失を知ることもできないのに、いや、過失をおかすこともできないのに、罰をうける。

こうしてはやくから幼い心のうちに情念をそそぎこみながら、人はそれを自然のせいにする。そして、骨を折って子どもを悪くしておきながら、子どもが悪いといって嘆く。

 こんなふうに、子どもは女たちのあいだで、彼女たちの気まぐれと自分の気まぐれの犠牲になって、六、七年をすごす。そしていろんなことを教えられたのちに、つまり子どもに理解できないことばや、なんの役にもたたないことを覚えこまされたのちに、人為的に生じて情念によって天性が押し殺されたのちに、この人工的なものは教師の手にあずけられ、教師はもうすっかりつくられている人工的な芽を完全に伸ばすことになり、子どもにあらゆることを教えるが、自分を知ること、自分自身から利益をひきだすこと、生きて幸福になることだけは教えない。

そして最後に、奴隷であると同時に暴君であり、学問をつめこまれていると同時に常識をもたず、肉体も精神も同じように虚弱なこの子どもは、社会に投げだされて、その無能ぶり、傲慢ぶり、そしてあらゆる悪癖をさらけだし、人間のみじめさと邪悪さを嘆かせることになる。嘆くのはまちがいだ。そういうものはわたしたちの気まぐれから生じた人間なのだ。自然の人間はそれとはちがったふうにつくられる。

 だから、人間がその生来の形を保存することを望むなら、人間がこの世に生まれたときからそれを保護してやらなければならない。生まれたらすぐにかれをしっかりつかんで、大人にならないうちはけっして手放さないことだ。そうしなければとても成功はおぼつかない。……才能が熱意に代わる以上に、熱意は才能に代わることができるはずだ。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p44-45)

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──これは労働者の数を制限しておくつもりだったが、このことは親方がなにもしなかったことのかわりに、彼に金銭収入をもたらすこと以外にはまったく目的がない。これは一八四八年までまだおこなわれていた。だが、それ以来、産業のすばらしい高揚はトレイド・ユニオンの「習練者」と同じほど多数の、あるいはもっと多数の労働者の一階級と、同じほど、あるいはもっと多く仕事をするが、けっして組合員となれない労働者の一階級を、うみだしている。

この人人はトレイド・ユニオンのギルド規定によって形式ではしつけられていた。だが、君は組合がこのばかげた不条理をやめようと考えていると信じるか? さらさらそうではない。トレイド・ユニオン大会でこの種の提議が読みあげられたことがかつてあったという記憶は、僕にはない。

まぬけどもは社会を自分にしたがって改革しようとするが、社会の発展にしたがって自分を改革しようとはしない。

彼らは、がらくたをすて、こうして彼らの数と力を二倍にし、そして今日彼らが日々そうでなくなってゆくもの──資本家にたいする一職業全労働者の団結に現実になるかわりに、彼ら自身を害するだけの伝統的迷信にしがみついている。このことが君にこの特権的労働者について多くのことを説明すると僕は信じる。……
(マルクス・エンゲルス「労働組合論」国民文庫 p138)

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◎「社会を自分にしたがって改革しようとするが、社会の発展にしたがって自分を改革しようとはしない」と。