学習通信050218
◎「真意は、覚えぬさきに忘れられかけている」……。

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まえがき
 訳者の一人 桑原武夫

 有史以来、人間の精神にもっとも大きな影響をあたえた本として、イギリス労働党の学者キングスレイ・マーチンは、『聖書』、『資本論』、そしてこの『社会契論』の三つをあげている。民主主義の本質を明らかにした、このルソーの名著は、つとに中江兆民の『民約訳解』によって日本につたえられ、自由民権運動の精神となった。しかし、その後、ルソーの精神は日本で十分に根をはったとはいえない。だから戦後、主権在民という言葉は一とき流行したが、その真意は、覚えぬさきに忘れられかけている。わたしたちは、もう一度この名著を読みかえして、元気をつける必要があると思う。
(ルソー著「社会契約論」岩波文庫 p3)ルソーの思想と作品 平岡 昇
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──『エミール』は、『社会契約論』と同時に書かれながら、それとは違った次元におかれていて、直接につながらないが、終極の目的は、「社会契約」による理想の社会、祖国の要求する条件を満足させる市民となる基礎をきずくことである。言いかえれば、社会の改革を可能にする前提をつくるためである。そのために、ルソーは『エミール』が公教育をめざすものでなく、一種の家庭的な私教育を通じて普遍的な人間の形成を追求する……。
(「世界の名著『ルソー』 第30巻」中央公論社 p38-39)

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民主主義をめぐるフランスとイギリス

 近代の民主主義や人権思想は欧米を中心に発展してきたが,ひと口に「欧米」といっても国によって考え方に大きな違いがある。

 例えば, 1789年のフランス革命は近代民主主義の確立を告げるもっとも重要な出来事の一つだが,当時のイギリスの政治家であり哲学者でもあったエドマンド・バークは,『フランス革命の省察』(1790年)という本を書いて,君主制や貴族制や教会制度などからなる旧体制(アンシャン・レジーム)を打倒したフランス革命を強く批判した。

 バークは,人間の自由や平等を尊重しなかったわけではない。逆にバークは,自由や平等を守るためにこそ,旧体制を全面的に破壊したり,旧体制の申に込められていた伝統的な考え方を投げ捨ててはならないと考えたのである。

 伝統的な考え方にはさまざまなものがあるが,もっとも大切なものの一つは,社会秩序を維持するために必要なモラルやマナーやルールに関するものであり,それらが守られて初めて自由も平等も守られる,というのがバークの立場であった。

 国王と貴族と庶民の間の権力の均衡を謳うことによって専制政治が行われることを防いできたマグナ・カルタ(1215年)は,イギリスの政治的伝統の代表例といえる。

 このようなバーク思想を支柱の一つとして発展してきたイギリスの民主主義には,伝統や社会秩序を重視する傾向がある。それに対して,フランスの民主主義は,フランス革命の性格から分かるように,伝統や社会秩序より個人の理性や権利を重視する傾向が強い。
(「新しい公民教科書」扶桑社 p32)

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フランス革命とナポレオン戦争

 フランス革命が勃発して、フランスにおける絶対主義を破壊し封建遺制を払拭した時、首相ピットは冷静と好意を以て自由フランスを眺め、一七九〇年に至ってもなお彼は

「フランスの現在の動乱は間もなく調和と秩序のうちに終るであろう。……フランスはヨーロッパにおける最も光輝ある強国の一つとして立つことになるであろう。」

と確信していた。ピットが英仏間の友誼を強調していた時、バークは、フランスにおいて「階級と身分の秩序ある制度が社会的平等の教義の前に崩壊し、国家が粉砕され改造され、教会と貴族制度が一夜のうちに一掃される」のを見て、一七九〇年一〇月「フランス革命に関する考察」を公刊し、また議会において、暴力的な革命行為とその源となった根本思想を非難し、革命を鎮圧するためにはヨーロッパの全軍をも出動せしめねばならないと極論した。

この書物は三万部も売れたと云う。当時イギリスは、産業革命が進行し、逞しい経済的進歩の時代であって、新興の商工業者、中産階級も対岸の突如たる秩序の壊乱とその思想には烈しい嫌悪の情を抱いた。しかしピットは中立主義、平和主義の態度をあらためず、

 「わが国は、フランスにおける内乱に対しては従来注意深く中立の態度を持したが、今後もこの 態度を採る積りである。フランスが、われわれをして自国防衛の行為に出るのやむなきに至らしめない限り、われわれは決してこの中立の態度を捨てることはないであろう。」
(大野真弓著「イギリス史」山川出版社 p203-204)

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反日全体主義に彩られた中学校公民教科書
 目に余る歴史の改竄(かいざん)や偽造の背景にエンエゲルスの思想

大月市立短期大学教授 小山常美

 この一年余り、筆者は、昭和二十年代以来の中学校公民教科書を検討し続けている。その中で分かったことは、扶桑社を除く現行公民教科書は、歴史教科書以上に反日的で、かつ全体主義的なものであるということである。以下、特に気になった五点の特徴について述べていきたい。
 尚、本橋では、東京書籍は東書、大阪書籍は大書、教育出版は教出、日本書籍は日書、日本文教出版は日文、清水書院は清水、帝国書院は帝国と略記した。

@ルソー思想とフランス革命を理想とする

 現行中学校公民教科書の第一の特徴は、西洋政治史または政治思想史を全体主義的に改竄していることである。

 昭和二十年代以来の公民教科書は、英国・米国・フランス三ヵ国の政治史を振り返り、思想家としてはロック、ルソー、モンテスキユーの三者を挙げて、それぞれ、人権、国民主権または人民主権、権力分立の三原理を説明する形をとってきた。ところが、現行公民教科書を見ると、英国政治史と、モンテスキュー及び権力分立を軽視または無視している。

第一に、政治思想史の個所で、帝国と大書はロックとルソーにふれながら、モンテスキューについて記していない。第ニに、日書、東書、教出、清水、大書の五社もの教科書は、英国政治史にふれていない。そのうち大書以外の同社は、ロック等三者の思想を平等に紹介しながらも、専らフランス革命を中心に民主主義または人権の歴史をたどるようになる。

 たとえば、日書は、「第3章 人権を守り育てる」の「1.人間の尊重と日本国憲法の原則」という節の中で、「人権思想とその発展」の大見出しの下、ロック等三者の思想を平等に展開しながらも、「市民革命と憲法」の小見出し下、次のように述べている。

 「封建社会を倒した市民革命は、人権思想家たちの思想を人権宣言や憲法の中に生かした。ルソーの考えにしたがって、国民が主権者であることが宣言され、権力分立の制度も取り入れられた。一方、たとえ民主的な権力であっても侵害してはならない人権が、憲法の中に保障された。上に示した、フランス革命の『人権宣言』をみると、こうした考えがもりこまれているのがわかる。

 こうして、近代の憲法には、共通して、国民主権と人権という二つの柱が書き込まれた」(八三頁)

 右のように、日書は、前半では国民主権、権力分立、人権の三者を市民革命の特徴として取り上げながら、後半では権力分立を捨て去っている。国民主権は必ずしも近代憲法に共通したものではないが、権力分立は、人権尊重と共に近代憲法に必ず存在するものである。にもかかわらず、権力分立を捨て去っていることに注目されたい。

 このように日書、東書、教出、清水の四社はロック等の思想を平等に扱いながらも、政治史の上では権力分立を無視し、人民主権と人権思想が活躍したフランス革命を重視する。結局、総じて公民教科書は、平等主義的、全体主義的に西洋政治史及び政治思想史を改竄してしまうのである。
(『史』平成16年7月号 p16-17)

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 フランスで将来の革命のために世人を啓発した偉大な男たちは、自身、この上なく革命的にふるまった。外的な権威は、どんな種類のものでも、承認しなかった。宗教も自然観も社会も国家制度も、すべて彼らの仮借のない批判を受けた。

すべて理性の法廷で自分の生存の正当性を立証するか、そうでなければ生存を断念するかせよ、と言われたのである。ものを考える知力が、ただ一つの尺度としてすべてのものにあてがわれた。それは、ヘーゲルが言っているように、世界が逆立ちして頭で立たされた時代であった。

これは、まず最初に、〈人間の頭とその思考で見いだされた諸命題とが、人間のすべての行為と社会的結合との法悦だと認められることを要求した〉、という意味でそうであったが、のちにはまた、〈こうした命題と矛盾する現実が本当に上から下まですっかりひっくリ返された〉という、もっと広い意味でもそうなった。

これまでのすべての社会形態と国家形態とが、古くから伝承されてきたすべての観念が、非理性的なものとしてがらくた置き場にほうり込まれた。
〈世界はこれまでもっぱら偏見に導かれるままになってきた。過ぎ去ったものは、すべて同情され軽蔑されるだけの価値しかない。やっといま夜が明けた。いまからは、迷信も不正も特権も抑圧も、氷遠の真理・永遠の正義・自然にもとづいた平等・譲ることのできない人権に押しのけられることになる〉、
というのであった。

 いまではわれわれは知っている。この〈理性の国〉とは、ブルジョアジーの国を現形化したものにほかならなかったし、永遠の正義はブルジョア的司法として実現されたし、平等とは、結局のところ、法のもとでのブルジョア的平等になってしまったし、最も基本的本質的な人権の一つであると宣言されたのは──ブルジョア的所有権であったし、理性国家は、ルソーの社会契約は、ブルジョア的民主共和国として生まれ出たしまたそうなるより仕方がなかったのである。

一八世紀の偉大な思想家たちにも、彼らのすべての先行者たちと同様に、自分自身の時代が設けていた諸限界を越えることはできなかったのである。
(エンゲルス著「反デューリング論 -上-」新日本出版社 p29-30)

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◎「時代が設けていた諸限界を越えることはできなかった」と。

「扶桑社を除く現行公民教科書は、歴史教科書以上に反日的で、かつ全体主義的なものである」と。