学習通信050225
◎「弁証法的観点の豊かさという点からも」……。

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 そのあいだに、一八世紀のフランス哲学と並んで、またそれに続いて、いまからそう遠くない時代のドイツ哲学が生まれてきて、ヘーゲルにおいて完結していた。この哲学の最大の功績は、思考の最高の形式としての弁証法をふたたび取り上げたことであった。

古代ギリシアの哲学者たちは、みな生まれながらの天成の弁証家であって、彼らのうちで最も広い学識の持ち主であるアリストテレスは、実際また早くも弁証法的思考の本質的に最も重要な諸形式を研究していた。

これにたいして、近代の哲学は──そのなかにも弁証法の輝かしい代表者たち(たとえば、デカルトとスピノーザと)がいたことはいたが──とくにイギリスの影響によってますますいわゆる形而上学的な考えかたにはまりこんでしまい、一八世紀のフランス人たちも、少なくともその専門的な哲学的著作では、ほとんどもっぱらこの考えかたに支配されていた。本来の哲学の外では、彼らにもやはり弁証法の傑作を生み出すことができた。

そのうちただディドロの『ラモーの甥』とルソーの『人間不平等起原論』とだけを挙げておこう。──ここで、この二つの思考方法の本質的に重要なところを手みじかに述べることにする。これについては、あとでたちもどってもっと詳しく述べなければならない折りがあろう。
(エンゲルス著「反デューリング論 -上-」新日本出版社 p33-34)

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 ディドロは哲学的著作以外にも多くの文学作品を著わしている。とくに「ラモーの甥」はゲーテの独訳によってドイツに紹介され,ヘーゲル,マルクスの高い評価をうけた。それは一人のアウトローの眼をとおして,当時の市民社会の矛盾を衝いた作品であった。またかれの美学論は,美の規準を自然の模倣にあるとする唯物論的観点にたって展開されている。

 全体としてみると,ディドロの唯物論は当時発達の緒についた化学と生物学の知識を反映して,機械論的唯物論の枠をこえる性格をもっている。それは,物質にも感性を認めた生命論的自然学の構想に現われている。また進化論的観点や,人間道徳の歴史的相対性の強調など,弁証法的観点の豊かさという点からもディドロはフランス唯物論者のなかでも,もっとも注目されてよい哲学者であるといえるであろう。
(岩崎・鰺坂編「西洋哲学概説」有斐閣 p239)

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 ギリシアの哲学者のなかにも弁証法の考え方はあったし、さらに近世の哲学のなかにも弁証法の考え方がありました。しかし、それはじょじょに形而上学的な考え方のなかへはまり込んでしまって、一八世紀には弁証法は失われてしまっていました。

 哲学の外では、文学作品のなかには弁証法的な傑作はありました。それはディドロの『ラモーの甥』、ルソーの『人間不平等起源論』などです。ディドロは唯物論の立場から「認識」ということを考えました。それは「文学」というけれども・「哲学」といってもいいものです。ルソーの『人間不平等起源論』では文明が発達すると学問、芸術は堕落する、不平等が広がってくる、とのべられていることが弁証法的だ、といっているのだと思います。
(浜林正夫著「古典入門 空想から科学へ」学習の友社 p64)

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◎「ますますいわゆる形而上学的な考えかたにはまりこんでしまい、──その専門的な哲学的著作では、──この考えかたに支配されていた。本来の哲学の外では、彼らにもやはり弁証法の傑作を生み出す」と。