学習通信050226
◎「その結果のすべてが,一つの欠陥──によって台無しに」……。

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 これらの覚え書きに詳しく述べられているようなよい看護を行っても,その結果のすべてが,一つの欠陥,すなわちちょっとした管理が行われていないことによって台無しになったり,まったく無効になったりするかもしれない。換言すれば,あなたがその場にいるときにあなたがすることが,あなたがその場にいないときにもなされるようにするためにはどのように管理すべきかがわからない,という欠陥である。

非常に忠実な友人あるいは看護婦がいつもそこにいるというわけにはいかない。またそういう人がいつもいるべきだとすることも好ましいことではない。

そしてその人が自分の健康もその他の任務もすべて投げうったとしても,ちょっとした管理ができていないことで,彼女の半分も忠実ではなくても自分を何人にも増やす術を知っている別の看護婦と比べればその半分も能率があがらないかもしれない──つまり,忠実な最初の看護婦の患者は二番目の看護婦の患者ほどには十分に世話をしてもらえないだろう。

 病人を受け持っている人に,どのように管理するかを書物で教えることは,どのように看護するかを書物で教えるのと同じように不可能である。状況はそれぞれの場合によって異ならざるを得ない。しかし,彼女に自分で考えるよう強く求めること,それは可能である。さて私がいない間に何が起こるか。

私は火曜日はどうしても出かけねばならない。しかし私の患者にとって新鮮な空気,あるいは決められた時間を守ることは,月曜日に重要であったと同じように火曜日にも重要である。あるいは別の場合,私は午後10時になると患者に付き添うことができないけれども,その患者にとって安静が10時5分前に重要であったのなら,10時にもやはりそれは重要なことである。

 奇妙に思えるだろうが,このように明白なことを考えられる人は比較的少ないし,あるいはたとえ考えがそこに及んでも,それはせいぜい,あの忠実な友人あるいは看護婦が,数時間あるいは数分間か自分の患者の傍を離れて来てくれるようにするだけであって,彼女の患者にたとえ1分でも1時間でも彼女の看護の非常に重要な部分が欠けることのないように手配することではないのだ。
(フローレンス・ナイチンゲール著「看護覚え書き」日本看護協会出版会 p43-44)

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 すでに、前にも述べているように、このような資本の譲歩は、それがどのような狡猾なことばや仕組みでかざられていようとも、労働者の要求を現実的に解決するわけはない。

だから、労働者は、資本の狡猾な意図を見破り、資本の恫喝をはねのけてたたかうための、自己の手のなかにある唯一の手段、すなわち「数の力」について、改めて、以前にはなかったような強い関心をもつところまでいくほかはないのである。その意味では、前にあげた孫子の兵法の「敵を知る」ことは、そのなかにすでに「味方を知る」という新しい契機をはらんでいるのである。

そのような職場労働者の論理だか心理だかを、正確にとらまえるところから、職場闘争の壁を打ちやぶる新しい前進が可能になる。

逆にいえば、もし、そういう契機が見のがされるならば、職場闘争は苦情処理に逆転し、職場労働者の切実な要求と湧き上がったエネルギーは、「砂漠の川」のように消えていく。

だから、職場に始まる労働者の闘争を、より広範な、より強力な、より実質的なものとして、発展させていくためには、あくまでも労働者の「数の力」に依存するということとならんで、その「数の力」を条件に応じて強化し、拡大していく、科学的な「知識」(マルクス)による指導が不可欠だということになる。

もし、われわれの活動にそれが二つながらにそなわっていれば、われわれは、職場のたたかいのなかから、基本的に、われわれの全面的な戦術展開に必要な労働者のエネルギーを、つきることのない泉から汲みとるように、汲みだすことができるであろう。
(吉井清文著「職場の団結を基礎とする闘争組織と戦術展開の諸問題」 「労働組合運動の理論 第6巻」大月書店 p115-116)

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◎「あなたがその場にいるときにあなたがすることが,あなたがその場にいないときにもなされるようにするためにはどのように管理すべきかがわからない,という欠陥である」と。

◎「逆にいえば、もし、そういう契機が見のがされるならば、職場闘争は苦情処理に逆転し、職場労働者の切実な要求と湧き上がったエネルギーは、「砂漠の川」のように消えていく」と。

◎「どのように管理するかを書物で教えることは,どのように看護するかを書物で教えるのと同じように不可能である。状況はそれぞれの場合によって異ならざるを得ない」と。

◎「労働者の「数の力」に依存するということとならんで、その「数の力」を条件に応じて強化し、拡大していく、科学的な「知識」(マルクス)による指導が不可欠」……と。

◎弁証法的唯物論を血肉にするところまでも……。