学習通信050228
◎「それはやがて命令に」……。

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温室育ちは不幸のもと

 私たち親は子どもの成長を心から期待し、そのためにあれこれ努力します。育児書をよみ、発育やしつけに留意し、それを記録に残しておこうとします。育児日記をつけ、写真をとり、8ミリを写すといったふうに。

 だれもが自分の子どものしあわせな将来を願って、できるかぎりのことをしたいと思うものです。だから、育児に熱心なのは親として当然のことかもしれませんが、ややもするとそれが神経質で度をこした利己的なわが子本位の育児熱になりかねません。

 育児は大へん手間がかかるものです。一方、そのころの母親は地域でも職場でもとても期待されています。保育所がほしい、という切実な要求をもっている中心人物です。母性保護や労働時間の短縮についてももっともつよい関心と必要性を痛感している存在です。ところが、育児に時間をとられて活動と両立しがたい、そんなとき泣きたいほどつらくなります。子どものためにあれこれ思いながら、なかなかできないといった矛盾も生じてきます。

 私もそのひとりとして悩みながら生きてきましたが、すっきりした結論はいえないまでも、やはり、保育所要求でも赤ちゃんを背負った母親が署名をとり、役所へ交渉にいくと本当に実感がこもってつよい力になりますし、大きなお腹をした婦人の母体保護要求はうったえる力をもっています。ですから、やはりなんとか時間をつくって子どもをつれて活動する方がのぞましいのです。

組合大会にはー度子どもをつれに帰って出席する努力をしてください。そのような婦人や交渉にミルクやおしめをもって出かける姿は周囲を勇気づけます。今日いっしょうけんめい生きている姿勢こそ、子どもにいちばん大切な育児の姿勢なのです。だんなさんの協力もぜひ必要です。子どものためといって活動をやめてしまったら、裏がえしの意味で一種の教育ママになってしまいます。

 また、「子どもにだけは苦労させたくない」といって、経済的に無理な買物をしたり、保育園、幼稚園、学校などでの問題を個人的に解決しようとする親もあります。それは子どもをかえって甘やかし、過保護にしてしまいます。

 いまの世の中では、苦しみのあることを体験させ、それがなぜなのか、どうすればよいのかを考えさせるようにしていかないと、新しい世の中をたたかいぬく世代は育ちません。苦労させたくないと思うなら、みんなといっしょに苦労しないですむ世の中をつくる努力を足もとから一歩ずつ歩みだす「実践」をしましょう。
(近藤・好永・橋本・天野「子どものしつけ百話」新日本新書 p18-19)
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 子どもの最初の泣き声は願いである。気をつけていないと、それはやがて命令になる。はじめは助けてもらっているが、しまいには自分に仕えさせることになる。

こうしてかれら自身の弱さから、はじめは自分はほかのものに依存しているという感情が生まれるのだが、つづいて権力と支配の観念が生まれてくる。

しかし、この観念は、子どもの必要からよりも、わたしたちのしてやることから生じてくるのであって、ここにその直接の原因は自然のうちにあるのではない道徳的な結果があらわれてくる。

そこで、この最初の時期から、身ぶりをさせ叫び声をあげさせるかくれた意図を見ぬく必要があることがよくわかる。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p79-80)

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◎「「子どもにだけは苦労させたくない」といって、経済的に無理な買物をしたり、保育園、幼稚園、学校などでの問題を個人的に解決しようとする親」と。