学習通信050301
◎「その基礎にあるもっと根源的なこと」……。
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はじめに……人は知≠ニいう山がある限り学び続けます
ある有名な登山家が、「あなたは、なぜ山に登るのか」と問われたとき、「そこに山があるからさ」と答えたという有名なエピソードがあります。そのひそみにならって、「あなたは、なぜ学ぶのか」と問われたら、私は躊躇なく「そこに先人が築きあげた知があるからさ」と答えるでしょう。いささか、きざっぽいセリフに聞こえるかもしれませんが、これが、私のいつわらざるいまの実感です。
だいぶ前になりますが、母校、慶応義塾大学の学長だった鳥居泰彦先生が、私を『三田評論』の新春対談の相手に選んでくださいました。その中で私が、「学生時代はすこしも勉強する気になれなくて、社会に出てもそんな状態が続いたんですが、いろいろ経験を積んで五十歳ごろになったら、なぜか突然勉強がしたくなりました」と告白しますと、なんと鳥居先生も、よく判ります、と同感なさったようなので、ほっとしました。
いま、このとき勉強したくなった私の気持ちを、私なりに分折してみますと、人生五十年を過ごしていろいろな経験をして、すこしは社会のことを知ってみると、ものごとを表面的、現象的に見るのではなく、その基礎にあるもっと根源的なこと、いわば哲学のようなことを知りたいと思ったからでしょう。
たとえば、経済的な現象についても基本的な考え方や理論、あるいは人生の間題に対する根本的な考え方、「自分はなんのために生まれたのか」「社会でどう生きていくべきか」「自分が生きる価値とはどういうものか」といったようなことです。
我ながら気づくのがずいぶん遅いと思っていたのですが、学問の府の長も共感されたので、学ぶ≠ノは、早いも遅いもないのだな、と感じました。もちろん、早くから志すに越したことはないでしょうが、たとえ六十、七十歳からでも、自分に興味のあることを深く追求することは、けっしてムダではないでしょう。「学ぶ」機が訪れたときに、学べばよいのです。
五十歳にして、私の登るべき山を見つけたなどというのは、いささか内心忸怩(じくじ)たるものがありますが、この本で、私はみなさんといっしょに、「知」という山を登りたいと思います。
私は三十代に、資生堂アメリカの社長をやっていた時期があります。正直いって、これはなかなか大変な仕事でした。会社は降ってわいたような機会をとらえて、新天地アメリカでビジネスを展開するべく進出したものの、商売はなかなか軌道に乗らず、社員を増やすこともできません。社長とはいうものの、総務・営業・宣伝・広報などの仕事も兼ね、少ない社員といっしょに、懸命に働きました。
月曜から金曜まで社業に精を出し、週末になると日本の本社からさし回しのお客さんたちがやって来られるので、社員が手分けして、ニューヨークの案内係をつとめ、大切なお客さんの場合には、私がお相手をつとめました。これも仕事ですから、まさに古い言葉ですが、月月火木木全金≠フ状態でした。私の家の隣近所の人たちは、日曜も働く社長なんて、と噂していたようです。
ご案内はどうするかというと、まずハドソン河をボートで周回するサークルラインに乗り、それからエンパイアステートビルの展望台へ昇って、ニューヨークを河と空から眺めてもらいます。そして夜には、当時まだ盛業中だったラテンクォーターで食事ということになります。この週未のにわかガイド役が、毎週のように続くのです。
毎週末ごとにニュージャージーからマンハッタンまで出かけ、ニューヨークを案内して回るのは、肉体的にも楽なものではありませんでした。しかし、いま、考えてみますと、それは私にとってまさに、いろいろな人に出会うという勉強でした。
はじめのうちはガイドよろしく、懸命にマンハッタンの説明をしていました。ところが、お客さんたちにはさまざまな人がいて、興味の対象もじつに多彩です。たとえば、紙の加工会社を経営している人は、そのかたわら社会活動として刑務所関係の仕事をしており、アメリカの少年保護施設や刑務所に関心があって来たのだと、視察中の見聞記を聞かせてくださるのです。
また、建築に造詣の深い方がいて、マンハッタンのこの時期の建築物は、こういう様式だと教えてくれます。料理に関心のある人は、あちこちのレストランを食べ歩き、あそこはどう、ここはどうと、味の行脚の感想を話してくれたりします。
私は、単なるガイド役でしたが、こうした専門的な知識から教えられることは多く、それからはしだいにガイド役より聞き役にまわるようになってしまい、仕事をしながらでも学ぶことはずいぶんあるものだな、と実感したものでした。
これらのお客さまから学んだいろいろなことが、直接すぐ仕事に役立つかというと、そんなことはありません。しかし、こうしたことの蓄積が、まちがいなく心の幅というものを広げてくれたような気がします。
人間、ものごとを深く考えたり、判断するときには、そのために参考となるような材料が、多ければ多いほどいいのです。ですから、何も知らない青年より、ある程度人生経験を積んだ人のほうが、正しい判断を下せる場合が多いのです。会社も、個人の能力にそんなにちがいがなければ、仕事を長くやって、経験を積んだ人から順に上の地位へ上げて、重要な判断を任せるわけです。これが、年功序列の基本となる考え方でしょう。
この本をお読みいただいている読者の皆さんは、いま何歳ですか。十歳でも、二十歳でも、あるいは、六十歳でも、七十歳でも、ご自分の登るべき山≠見つけて、ぜひ「知」という山に挑戦してください。
(福原義春<資生堂名誉会長>「生きることは学ぶこと」日本文芸社 p3-7)
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わたしはくりかえして言おう。人間の教育は誕生とともにはじまる。話をするまえに、人の言うことを聞きわけるまえに、人間はすでに学びはじめている。経験は授業に先だつ。乳母の顔を見わけるときには、子どもはすでに多くのものを獲得している。生まれたときから到達したときまでの進歩をたどってみれば、どんな粗雑な人間の知識にもわたしたちは驚かされるだろう。
人間の学問を二つの部分に分けてみるとしたら、一方はあらゆる人間に共通のもの、他方は学者に特有のものに分けてみるとしたら、後者は前者にくらべてほとんど言うにたりないものになるにちがいない。しかし、わたしたちは一般的な知識はほとんど計算にいれない。それは知らないうちに、理性の時期よりもまえに獲得されるからだ。それに、学識というものはその差によってみとめられるだけで、代数の方程式におけるように、共通の量は消えてしまうからだ。
動物でさえひじょうに多くのものを獲得する。動物には感官がある。そのもちいかたを学ばなければならない。動物は欲求を感じる。それをみたすことを学ばなければならない。食べたり、歩いたり、飛んだりすることを学ばなければならない。四足獣は生まれたときから足で立っているが、だからといってそのまま歩けるものではない。歩きはじめるのを見ていると、まだ自信のない試みであることがわかる。
篭から逃げだしたカナリヤは飛ぶことができない。まだ飛んだことがないからだ。動くもの、感官をもつものにとって、いっさいは教育によってあたえられる。植物が漸進的な運動を行なうものなら、感覚をもち、知識を獲得する必要がある。そうでなければ、すべての種はやがて死に絶えてしまう。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p71-72)
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獄中からの学習のすすめ
百合子の積極的な古典学習は、彼女のあくなき探究と向上への熱意がもちろん最大の原動力ですが、獄中の顕治からの不断のはげましなしには、おそらくこうした形では実現されなかったでしょう。百合子は『マルクス・エンゲルスニ巻選集』の冒頭にある伝記の部分を読んだとき、リープクネヒトの思い出から、つぎのようなくだりを手紙に引用しています。「特別の微笑」がこみ上げたという彼女の心に、マルクス─リープクネヒトの関係と二重写しになってなにが浮かんでいたかは、十分想像していただけるでしょう。
「濃い黒い髭のために娘たちがムーア人とあだ名で呼んだこの父親〔マルクス〕は、若者たちに対して『勉強するように追い立てたばかりではなくて、彼は又我々が勉強しているかどうかを確かめた』などとかかれているところを見ると、そして、その答えかたに決してゴマ化しを許さなかったと云われているところをよんだりすると、私の心では特別の微笑がこみ上げざるを得ません」(一九三八年十一月九日の手紙、全集第十九巻五〇五ページ)
百合子が黒いひげをもつ「父親」になぞらえた顕治は、当時三十歳の誕生日を過ぎたばかりでした。しかし、顕治がこの時期に百合子に書いた手紙の中には、四十数年後の今日でも大変貴重な意義をもつ学習のすすめ≠ェ、無数にあります。たとえば、百合子が、苦労して「オイゲン先生」にとりくんでいたころ、獄中からは、つぎのような味わい深いはげましの言葉がおくられています。
「基本的勉学は、ただ分析器を巧妙にするのでなく、生活の根源的反省と建設の原理の把握だから十分に行われれば、全く見違えるほどの成長がみられるだろう」(一九三八年十一月十七日の順治の手紙、『十二年の手紙』〈新日本文庫版〉上一九〇ページ)
この助言どおり、百合子は、基本的勉学の成果をいかんなく生かして、共産主義者である革命的作家としての確固たる態度を戦時下の生活につらぬき、敗戦後の文学的社会的活動への「建設」的準備をととのえたのです。
現在は、当時とは歴史の条件は大きくちがっていますが、学習が、一人ひとりの生活の根源につながり、また私たちの今日と明日を建設する原理の把握となるということは、現在も生きている真理です。この面でも、没後三十五周年を迎えたいま、百合子の生涯と活動から学ぶべきことは、非常に大きいのではないでしょうか。『女性のひろば』1986年3月号)
(不破哲三著「宮本百合子と一二年の」新日本出版社 p230-231)
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◎「基本的勉学は、ただ分析器を巧妙にするのでなく、生活の根源的反省と建設の原理の把握だから十分に行われれば、全く見違えるほどの成長がみられるだろう」と。
「生活」……「経験は授業に先だつ」……「こうしたことの蓄積」……「根源的反省と建設の原理の把握」と。