学習通信050302
◎「集まった人たちを説得しなければならなかった」……。
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集団で労働するときに欠かせないのは合図だ。
危険を知らせるために手をふったり、オーイと声をかけたりいろいろな合図の方法を考えだした。狩猟や採集の作戦や段取りをめぐる意志統一、集団労働のなかでの役割分担など豊かな中身を伝えるためには手真似だけでは不十分で、音声通信が大きな役割を果たした。
口腔が大きくなって、舌が動きやすくなり、歯や唇の力もかりて音節を切って発音できるようになった。これが有節音。その点、猫の鳴き声はニャーオーンと切れ目がない。つまり無筒音。人間だけが集団労働のための合図の必要から、音節を区切り、複雑な有節音、つまり「ことば」をつくりだし使うようになったのだ。類人猿も10種類ほどの音素を発することができるらしいが、人類は50種類ほどの音素を発することができ、それを並べ替えると10万もの単語をつくりだすことができ、やがてその単語を並べて無数の文章がつくれるようになった。
労働を中心とした日々の暮らしのなかで、仲間同士の心を通わせるためにもますますことばは大きな役割を果たし、言語能力を身につけることが生きる条件となり、言語は変化発展し、豊かになっていったのだろう。
そして人間はことばの力をかりて「考える力」を身につけた。これを理性ともいう。一日中どんな瞬間も意識のあるときはず一っと、多くのことばが頭のなかを駆けめぐる。生活や仕事にかかわるいろんなことを思いめぐらし、これってなに、なぜこんなことが、原因はなにか、どういう必然性があるのかを深く考える。判断・推測・比較・分析・総合・推理・想像・・などの「考える力」は、すべて労働が生み出したことば=言語に支えられている。豊かなことばが獲得できると、深くものごとを考えることができる。
(中田進著「人間らしく自分らしく」学習の友社 p21-22)
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わたしたちの言語はすべて技術によってつくられたものだ。あらゆる人間に共通の自然の言語というものがあるかどうかについて、人々は長いあいだ研究してきた。たしかにそれはある。それは子どもが話をすることができるようになるまえに語っている言語だ。この言語は音節によってあらわされないが、抑揚があり、音色があって、聞きわけられる。わたしたちの言語をもちいることによって、わたしたちはそれを捨て、やがて完全に忘れてしまったのだ。
子どもを研究しよう。そうすればやがてわたしたちは子どもからふたたびその言語を学ぶことになる。この言語を学ぶうえに乳母はわたしたちの先生になる。乳母は乳飲み子の言ってることをすべて理解している。乳母は子どもに返事したり、ひじょうに長いあいだ子どもと会話したりする。そして、乳母はことばを発音するが、そのことばはまったく無用なのだ。子どもが聞きわけるのはことばの意味ではなく、それにともなう抑揚なのだ。
声による言語のほかに、それにおとらず力づよい、身ぶりによる言語がある。この身ぶりは子どもの弱い手であらわされるのではない。それは子どもの頗にあらわれる。まだよくととのっていない容貌がもうどんなに豊かな表情を示すことか、それは驚くばかりだ。その顔つきは、一瞬一瞬に、考えられないほどのはやさで変わる。微笑が、欲望が、恐怖が、稲妻のようにあらわれては消える。
そのたびにまるでちがった顔を見るような気がする。子どもは、たしかに、顔の筋肉がわたしたちのより動きやすいのだ。これに反して、子どもの目はどんよりして、ほとんどなにも語らない。肉体的な要求しかもたない時期にあるかれらの表現方法は当然そうあるべきだ。感覚の表現は顔面に見られ、感情の表現はまなざしに見られる。
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p76-77)
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ここで少しのあいだ、言語の起原に関してのめんどうな考察を行なうことを許してほしいと思う。わたしはここで、わたしの意見を完全に確認し、おそらくはわたしにその最初の観念を与えてくれた、コンディアック神父のこの問題に関する研究を引用するか、または繰り返すにとどめることもできるだろう。
しかしながら、出来上がった記号の起原について、この哲学者が自分に対して困難な問題を提出しながら、それを解決するやり方を見ていると、彼はわたしが疑問としていること、すなわち言語の発明者たちのあいだで、すでに一種の社会が確立していたということを仮定していたことがわかるから、わたしは彼の考察を参考にしながらも、同じ困難な間題をわたしの主題に適した明るみにさらすために、自分の考察をそれにつけ加えるべきだと思う。
最初に現われてくる困難は、いかにして言語が必要になりえたかを想像することである。人間はお互いのあいだでなんの連絡もなく、またその必要が少しもないのであるから、もしこの発明が欠くことのできないものでなければ、その必要性も可能性も想像がつかないのである。わたしも他の多くの人だちと同じように、言語が父親と母親と子供たちの家庭での交渉のなかから生まれたと言いたい。
しかしそれでは反対論を少しも解決しないだけでなく、自然状態について推理を行なって、社会のなかで得た観念をそこへ持ち込み、常に家族は同じ住居の中に集まっているとみなし、またその成員は多くの共通の利害によって結びつけられているわれわれの場合と同じように、親密で、永続的な結びつきを、お互いに保っているとみなす、あの誤りを犯すことになるだろう。これに反してこの原始状態においては、家も小屋もいかなる種類の財産もないので、おのおの当てもなく、しばしばたった一夜のために住居を定めたのである。
また男と女とはめぐり合いと機会と欲望のままに、偶然に結合したのだが、ことばは彼らが互いに話し合うべきことをわからせるのにあまり必要なものではなかった。そして彼らは別れるのも同じように容易だったのである。母親はまず自分自身の必要のため、その子供たちに乳をやるのであった。次いでその習慣から子供たちがかわいくなったので、その後は子供たちの必要のために彼らを養ったのである。子供たちは自分の食物を捜すだけの力をもつようになるやいなや、ただちに母親そのものを見捨てたのである。そして彼らがふたたび会う手段としては、お互いに見失わないということ以外にはほとんどなかったから、彼らはやがてお互い同士それとわからないほどになったのである。
さらに注意すべきことは、子供はその欲求をすべて説明しなければならず、したがって母親が子供に対するよりも、子供が母親に対するほうが言うべきことが多いので、発明の負担が最もかかるのは当然子供のほうであり、また彼が使う言語は大部分、彼自身が作ったものとなるはずである。その結果、言語はそれを話す個人の数だけふえるということになる。さらにこのうえ、いかなる特有語法にも成熟するための時間を許さない、ところ定めぬ放浪の生活が力をかすのである。
なぜならば、子供が母親に対して、あることを要求するために使わなければならないことばは、母親がそれを子供に口伝えに教えるのだといってみたところで、それは、すでに出来上がっている言語をいかにして教えるかを示してはいるが、言語がいかにして形成されるかを少しも教えはしないからである。
この第一の困難が克服されたと仮定してみよう。そしてとりあえず、純粋の自然状態と言語の必要とのあいだにあるべき広大な距離を飛び越え、言語が必要なものだと仮定しだ、いかにしてそれが確立するようになったかを探究してみよう。これは前の困難よりもさらに悪い新たな困難である。なぜならば、人々が考えることを学ぶためにことばが必要だったとすれば、ことばの技術を見いだすためには考える能力がさらに必要だったからである。
そして人間の音声が、いかにしてわれわれの観念を慣習的に表わすものとして受け取られたかを理解したところで、それらの観念に対するこの慣習自体がどういうものであったかを知ることは、やはりあとに残るだろう。観念は感覚的な対象をまったくもたないので、身ぶりや声によって指示されることができなかったからである。そのようなわけで、自分の思想を伝え、精神と精神のあいだの交流を確立するこの技術の発生については、かろうじて我慢できる程度の推測を行ないうるにすぎない。
しかもこの崇高な技術はすでにその起原から遠く離れているのだが、哲学者はそれをまだ完成から驚くほど距離があるものとみているので、たとえ時がたてば必然的に起こるはずの季節の変化が停止されても、偏見がアカデミーから出て行くか、またはその前で沈黙し、アカデミーが幾世紀ものあいだ、たえまなく、この厄介な対象に専念できるようになったときでも、この技術が完成に達するだろうと断言するほど大胆な人は、一人もいないほどなのである。
人間の最初の言語、最も普遍的で最も精力的な言語で、つまり集まった人たちを説得しなければならなかった以前に人間に必要だったただ一つの言語は、自然の叫び声である。この叫び声は、さし迫った場合に、大きな危険のときは救助を、また激しい苦痛のときは和らぎを懇願するために、一種の本能によってはじめて引き出されたのだから、もっと穏和な感情が支配する生活の普通の流れのなかでは、それほど用いられなかったのである。人間のさまざまな観念が広がり、その数がふえはじめ、人人のあいだにもっと緊密な交通がひらけたとき、彼らはさらに数多くの記号と、さらに範囲の広い言語とを求めた。
そして彼らは声の抑揚をまし、それに身ぶりをつけ加えたのである。身ぶりはその本来の性質からいってもより表現的であり、その意味はそれ以前の決定にたよることが少ない。それゆえ彼らは目に見える動くものは身ぶりによって、また聴覚に訴えてくるものは模倣音によって表現するのである。しかし身ぶりは目の前にある描写しやすい対象と、目に見える行為とのほかはほとんど指示しないし、暗がりや、あいだを物体にさえぎられれば役に立たなくなるので、一般的に使われることがなく、注意を刺激するよりはむしろ注意を必要とするものであるから、人々はついにはそのかわりに、音声を音節に分けて発音することを思いついたのである。
これらの音節の区切りは若干の観念と同一の対応関係にあるわけではないが、定められた記号として、それらの観念をすべて表わすのにはより適当なのである。この置き換えを行なうには、共通の同意によるのでなければ、またその粗野な器官がまだなんの練習も行なわなかった人々にはかなり実行困難で、そのうえそれ自体としては考えつくのがさらに困難な方法によるのでなければ不可能なのである。というのは、この全員一致の同意には動機がなければならず、ことばの使用を確立するためには、ことばが非常に必要だったと思われるからである。
(ルソー著「人間不平等起源論」『世界の名著 第30巻』中央公論社 p133-136)
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◎「豊かなことばが獲得できると、深くものごとを考えることができる」……と。