学習通信050204
◎「女の眼がぱちりと閉じた」……。

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無題雑録(―)

 街角で、山道で、ディスコで

 携帯ラジオをひびかせながら歩いている若者に街角で出あった。
 同様にして山道を歩いてくる若者とすれちがった時のことを思いだした。つい「今日は」という声をかけそびれた。それは熊が出るような場所なんかではなかった。

 太平洋のある島の夜の海岸でも、若者たちは携帯ラジオをひびかせていた。「僕たち、小さい時から音楽のある環境のなかで育ってきたんで、音楽が流れてないと落ちつかないんです」と一人が説明してくれた。

 ウォークマンをつけながらディスコで踊っている若者がいた、という話もきいた。こうなると、もうどうなっているのか、私には見当がつかない。

音を見る話

 心理学で「色聴」というのがある。音をきくと、それにともなって色があらわれる現象をいう。ふつうの人の連想にも「黄色い声」などというように、これに通じるものがないわけではないが、色聴という場合には、じっさいにありありと網膜に色や形の表象を感じるのらしい。

 宮沢賢治は、この色聴感覚のもち主だった。
 たとえば、ベートーベンのピアノ・コンチェルト第五番(「皇帝」)第一楽章アレグロの中頃で「おお怖い怖い」と目の色を変えてとびあがる。悪鬼が手に手に異様な得物をふりかざしておそいかかるのが見えるのだという。

 あるいは、月光ソナタのレコードをかけながら、「じっさいに楕円や円や鈍角や直線や山形などが出てくるでしょう。これは月がこの雲の中にかくされているところで、今度はシャボン玉のような模様が見えませんか。これは雲がだんだん切れかかって、直角三角形の三十度の角のような鋭角が見えるでしょう。空は澄んで来て、雲にかくれていた月は雲から出てきて、光が地上に走ってきたところですよ」──こんなぐあいに教え子に語ったという。

 あるいはまた、ドビュッシーの「海」のある一曲のレコードをかけながら──
 「きれいなきれいな星月夜で、静まった海上に一隻の船が浮かび出た所です。乗っている漁夫がいま海に入りました。次第しだいに深くもぐっていきます。いま水のなかで漁夫はタコを捕らえました。大急ぎで上がってきます。タコは船の上へ上げられました」

 レコードがおわると同時に、同席していたFは昂奮してたちあがり、「そんな説明をするのか、君、僕は帰る。お前とは絶交だ」といいすてて出ていった。賢治はニヤニヤしていた。Fというのは賢治の親友の音楽教師、タコというのがそのあだ名であった。(以上、板谷英紀『賢治幻想曲』れんが書房新社)

 賢治の場合はともかくとして、成人の一〇パーセントは色聴感覚をもっているという。とすれば、ウォークマンをつけながら電車のなかなどでじっと目を閉じている若者のなかには、色聴感覚のもち主がいるだろう。その若者の閉じられた目の奥では、どんな色彩や形象が渦巻き流れているのだろうか、それを私は知りたいと思う。

光を聴く話

 聴覚が視覚に翻訳されるだけではない。視覚が聴覚に翻訳されることもある。
 ダンテは好んでそのような翻訳をやった。「長い沈黙にかすれたような影」「太陽の光が沈黙する
ところ」というぐあいに。(『神曲』地獄篇第一歌)

 賢治の場合は、ここでもそれがたんなる比喩、表現の域を超えていたらしい。すなわち音を目で視ただけでなく、光を耳で聴くことができたらしい。

 太陽マジックのうたはもう青ぞらいっぱい、ひっきりなしにごうごうごうごう鳴っています。

──楽譜 略──

 「光のパイプオルガン」というのも賢治の愛用句であった。
 ウォークマンをつけながらディスコで踊っている若者に「太陽マジックのうた」をききとることができるだろうか──光のパイプオルガンを力いっぱいひくことができるだろうか?

夢 十 夜

 「今夜みる夢に色がなければ、明日の夜の夢に色をつけよう」と松本零士さんが書いていた。(『まんが劇画ゼミ』D集英社)
 色つきの夢を見る人は異常だ、とよくいわれるが、そんなことはない。「山吹のにおえる妹がはねず色の赤裳(あかも)の姿夢に見えつつ」と万葉集にも出てくるではないか、と松本淳治さんが指摘している。(『眠りとはなにか』講談社ブルーバックス)

 ダンテの「新生」にも、焔のような色のなかに、紅色の布に軽く包まれて眠っている恋人の姿の夢の話がでてくる。
 夢は視覚的なものだけではない。聴覚にかかわる夢もあり、嗅覚にかかわる夢もある。夏目漱石の「夢十夜」の夢は、十夜とも視覚に関係しているが、そのうち七夜は聴覚とも、二夜は嗅覚とも関係している。そして、松本淳治さんによれば、この割合は、現実の夢にあらわれるそれらの頻度におよそ合致しているという。

 漱石の第一夜の夢では、真白な百合が鼻の先で骨にこたえるほど匂った。第九夜の夢では巣が鳴き、第十夜の夢では豚がダウと鳴いた。明日の夜の夢に私たちは、どんな色と音響とかおりとを与えることができるか。私たちの「夢十夜」を書こう。
(高田求著「新・人生論ノート」新日本出版社 p27-31)

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第一夜
 こんな夢を見た。

 腕組をして枕元に坐っていると、仰向(あおむき)に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実(うりざね)顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然(はっきり)云った。自分も確にこれは死ぬなと思った。

そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤のある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮に浮かんでいる。

 自分は透き徹るほど深く見えるこの黒眼の色沢(つや)を眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍へ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうに(みはっ)たまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。

 じゃ、私の顔が見えるかいと一心に聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。
 しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片(かけ)を墓標(はかじるし)に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから」

 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
 自分は黙って首肯(うなず)いた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」

 自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸のなかに鮮に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。

 自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑かな縁の鋭どい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土の匂もした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。

 それから星の破片の落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間に、角が取れて滑かになったんだろうと思った。抱き上げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった。

 自分は苔の上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸い墓石を眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定した。

 しばらくするとまた唐紅(からくれない)の天道(てんとう)がのそりと上って来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。
 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に欺(だま)されたのではなかろうかと思い出した。

 すると石の下から斜(はす)に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾(かたぶ)けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁(はなびら)を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った。そこへ遥(はるか)の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴(したた)る、白い花弁(はなびら)に接吻(せっぷん)した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。
(夏目漱石著「夢十夜」日本文学全集第16巻 集英社 p362-364)

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◎「明日の夜の夢に私たちは、どんな色と音響とかおりとを与えることができるか。私たちの「夢十夜」を書こう」。

耳に障害があるミュージシャンのエッセーが、しんぶん赤旗に連載されていました。感動の毎日でした。