学習通信050306
◎「無知は恐怖を生み、知識は確信を与える」……。

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 わたしたちは、ことばの層を掘りあけて原始人のことばを発見しただけでなく、原始人の考え方も発見した。原始人の生きる世界は、包みかくされた不可解な世界だった。その世界では、人間が自分で労働し狩猟するのではなく、何かが人間に労働させシカを殺させていたのであり、すべてがあるえたいの知れないものの意志によって動かされていたのである。

 しかし、時は移って行く。人間は強くなるにしたがって、世界と世界における自分の地位について認識するようになってきた。言語のなかにわたくし≠ニいうことばもあらわれてきた。自分で何かをし、たたかい、いろいろな事物や自然を自分の思うようにする人間があらわれてきた。

 わたしたちはもう、「人間によってシカを殺した」とはいわないで、「人間がシカを殺した」という。

 しかし、今のことばにも、まだ過去のなごりがある。たとえば、「ついてない」は「運が悪い」という意味だし、「定められた」は「決まった」という意味である。

 だれが、運をつけるのか? だれに、定められたのか?
 それは、運命であり、天命である。
 運命や天命は、原始人がひどく恐れていた「あるえたいの知れないもの」と変わらない。

 「運命」ということばは、まだわたしたちの言語のなかに残っているが、いつかは必ずなくなるだろうと予言してもいい。

 農夫、が自信をもって田畑に種まきをするのは、豊作も不作も運命ではなく、自分のやり方しだいだということを知っているからである。機械は農夫を助けて不毛の大地を豊沃な大地に変え、科学は農夫を助けて穀物の生命を育てている。

 船員も今ではずっと大胆に海に乗り出して行く。深い水底の暗礁も見とおせるし、あらしが来るかどうかも予知できるからである。

 「運命だった」「そう生まれついてきた」というようなことばは、だんだん聞かれなくなるだろう。

 無知は恐怖を生み、知識は確信を与える。
 自然の法則を知らず、自分の力で自然を支配できなかったときには、人間は自分を自然のどれい──ある未知のもののどれいと感じていた。
 自然の法則を学び、自分の生存を支配する法則を認識するひとびとは、自分の運命を自分で支配する、自由な人間になることができる。
(イリン著「人間の歴史」角川文庫 p164-165)

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最初の抽象のうちに観念論の可能性がひそむ

 ところで、普遍化・抽象化とは、ある意味では具体的な現実からはなれることを意味します。現実に存在するのはポチ、プチ、クロ、等々であって、普遍的な犬そのもの≠ネど現実に存在しはしないのですから。もちろん、はなれる≠ニいってもそれとは無縁なところへさ迷いでるということではなく、それによってかえって深く本質にまで入りこむわけです。犬≠ニしての普遍的な特徴は、まさにポチ、プチ、クロ、等々のなかに現実に本質的なものとして存在しているのですから。

 しかし、まさにここに、まかりまち、がえばほんとうにさ迷いでる♂ツ能性も秘められているわけです。「観念論(=宗教)の可能性は、すでに最初の初歩的な抽象のうちにあたえられている」とレーニンはいっています。この「可能性」はただちに原始人の意識のなかで現実のものとなりました。これを端的に示しているのが、いわゆる′セ霊(ことだま)≠フ信仰です。

 言霊≠フ信仰というのは、言葉が現実の事物を動かす神秘的な力をもっているという思想です。いまでもまじないの言葉などにその名残りがのこっています。しかしまじない≠フ場合もそうですが、言葉の神秘的な力は、よりくわしくいうと現実の事物そのものを動かすというよりは、現実の事物の背後にひそんでいる神秘的な精霊を動かすものとして考えられているのであり、むしろ言霊≠ニ精霊≠セとは呼べばこたえるこだまのように、あるいはかげとかたちとのように一体のものとして考えられているのです。

霊魂♀マ念の形成

 では、精霊≠ニいった観念は、どのようにして発生したのでしょうか。それは原始人が「夢に現われてくるものごとに刺激されて、自分の思考や感覚は自分の肉体の働きではなくて、この肉体のうちに住んでいてその死にさいして肉体を見すてて去っていく特別な霊魂の働きであると考えるようになった」ことからきています。遠くにいるはずの人の姿や死んでしまったはずの人の姿が夢に現われてくるのですから、当時としてはそれもせいいっばい合理的≠ノ考えようとした結果の結論だったのでしょう。

もっとも、この合理的≠ネ結論は、他人の夢のなかに現われた自分が──自分の霊魂が──しでかした行為にたいしても自分は責任を負わねばならないという、まったく不合理な帰結をもともなっており、原始人をたえざる不安におとしいれていたのですけれども。

 「原始的な観念論」としてのアニミズム

 それはそうと、こうしてひとたび肉体に内在する霊魂という観念ができあがると、こんどはこれが自然物一般にも投影されて、さまざまな自然物にも霊魂のようなものが──いわゆる精霊が──内在していて、これを動かしているのだという観念、ができあがっていったのです。これを自然宗教≠るいはアニミズム=i精霊のことをラテソ語でアニマ≠ニいうところからきたもの)といいます。森には森の神、がおり、山には山の神、がおり、風にも火にも、木にも草にも、それぞれの神がひそんでいる、というぐあいです。

つまり、言葉によってとらえられる普遍的なもの=i本質)が、精霊という神秘的な実体≠ノまつりあげられてしまったのです。これを「原始的な観念論」と呼ぶことができるでしょう。

 これは純粋に抽象的な思考ということが原始人にはまだたいそう困難であったことを示すものです。子供の意識についてマルクス、がつぎのように述べていることは、そのまま原始人についてもあてはまりましょう。「子供はどこまでも感性的知覚をこえない。子供は個別を見るだけであって、この特殊を普遍とむすびつけている目に見えない神経繊維は、子供にはとらえられない。子供は、太陽が地球の周囲をまわるのだと、普遍が個別の周囲をまわるのだと、信じる。だから、子供は精神は信じない、が、幽霊は信じるのである。」

原始的な観念論は原始的な唯物論と同居していた

 しかし、「幽霊を信じる」子供、が、同時に外界の実在を信じて疑わぬ素朴な無自覚的唯物論者であるように、原始宗教の信奉者であり「原始的観念論」の徒であった原始人は、同時に外界の実在を疑うことなどつゆ知らぬ素朴な生まれついての唯物論者でもあったのです。かれらの精霊信仰にしても、さきに見たように、かれらなりに現象の奥にある本質をとらえようとした努力の表現なのでした。

またかれらは、精霊をすかしたりなだめたりしてその欲心をかちえることにより、場合によってはおどしたり脅迫したりすることによってさえ、そのつかさどる自然カヘの人間の支配をかちとろうとつとめたのでした──これがいわゆる呪術です──が、これも、のちにフランシス・ベーコン、が「自然は服従することによってしか支配されない」といい、さらにすすんで「自然を圧迫し、作業によって強制し、また干渉する」こと、「技術によってこれをいためつける」ことの必要を説いたことに代表されるような近代科学の基本的な精神を、原始人なりのやりかたで遂行しようとしたものと見なすこともできるのです。

こうした意味で、それは科学と宗教、唯物論と観念論という対立物を未分化な可能性のままに共存させていたものといえましょう。それは、人間がもはや動物ではないにもかかわらず、動物的な状態をまだ脱却できないでいたという事情の表現でもありました。
(高田求著「世界観の歴史」学習の友社 p21-25)

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◎「場合によってはおどしたり脅迫したりすることによってさえ、そのつかさどる自然カヘの人間の支配をかちとろうとつとめた」と。