学習通信050324
◎「二つの不思議な現象と哲学者の」……。

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序奏

 紀元前五世紀の頃、古代ギリシャのアブデラの街でデモクリトスという名の哲学者が、すべての物質はアトムと真空とからできていると唱えていた。

 ここで、アトムとは「分割できないもの」という意味を持つギリシャ語である。真空とは物の存在しない空間ということである。したがって、デモクリトスのいうところにしたがえば、すべての物質は、分割不可能な基本物質アトムと、アトムとアトムの間の何もない空間とからできているということになる。

 ちょうどその頃、不思議な現象の存在が人々の間で知られていた。琥珀と呼ばれるものを擦ると軽いものを引きつけるというのである。

 琥珀は地質時代のマツ科植物の樹脂が化石となったものであり、古くから飾り石として珍重されていた。黄色やあめ色の半透明の固体である琥珀は確かに美しく、人の心をとらえるに十分なものであった。この琥珀がたまたま毛皮などに触れ、擦られると軽いものを引きつけるというのだ。これは確かに魔術的ともいえる不思議な現象であった。

 この琥珀の引き起こす不思廬な引力作用に加えて、その頃、もう一つの魔術的な現象が注目されていた。それは、ある種の鉱物が鉄などの金属を引きつけるということであった。このような性質をもつ鉱物はギリシャ名で「マグネシアの石」と呼ばれた。この呼び名は、鉱石の産地である西アジアのミノアにあるマグネシアという町の名にちなんでつけられたものであった。このマグネシアの石は、琥珀の場合と異なって擦ったりする必要はなかったが、鉄などの金属しか引きつけなかった。

 今日の知識でいえば、これは鉄鉱石が自然に磁化した天然の磁石にほかならない。

『電子と原子核の発見』という本の著者、S・ワインバーグによると、こうした天然の磁石は、古代中国でも「魔法のコンパス」として知られていたという。すなわち、「南を支配するスプーン」と呼ばれる石を、磨いたブロンズの板の上に置くと回転して南を指すというのだ。ここでワインバーグは、中国ではコンパスが常に南を指すものと記述されているのに、ヨーロッパでは北を指すとされているのはおもしろい対比であると述べている。

 話が少し横道にそれるが、一九八八年の夏、奈良においてシルクロード博が聞かれた。ここに、古代中国の指南車というのが展示されていた。これは、車の上に乗っている人形の指が車の進行方向によらず常に南を指すように工夫されている車である。そのからくりは磁石とは関係がないものの、ここでも人形は南を指すのであって北を指しているのではない。日本でも、物事の方向づけをする指導者のことを「指南役」と呼んでいる。この言葉は古代中国の指南車から来ていると辞書に書いてある。

 さて、このようにものを引きつける不思議な性質が琥珀やマグネシアの石にあらわれたとしても、当時の世の中には理解できない魔術的ともいえる現象はたくさんあったろうし、それらをいちいち問題にし明らかにしようと考える人はいなかった。そして、魔術的なものは超人的なものとして素直に認め、ある種の人たちだけが宗数的儀式とか占いなどに利用したのではないかと思われる。実際、擦られた琥珀が物を引きつけようと、マグネシアの石が金属を引きつけようと、それによってわれわれの日常の生活が影響をうけるわけではない。したがって、それを何かに利用しようとする限られた人たちを除いては、当時の多くの人にとってこうしたことは別に不思議でも何でもなくどうでもよいことであったと思われる。

 一方、アトムという考えを唱えたデモクリトスにしても、自然界の現象を説明しようとしてアトムという考えに到達したわけではない。哲学は、たとえそれが自然哲学といって自然界を思考の対象とするものであったとしても、あくまで観念の学問であり、論理の学問であり、われわれのまわりを取り巻いている自然界の現象を説明するための学問、すなわち自然科学ではなかった。したがって、すべての物質がアトムと呼ばれる究極の粒子からできていようといまいと、それはあくまで観念の世界のことであり、実生活とは無縁なことであったといわなくてはならない。

 一見なんの関係もないようにみえる、紀元前に発見された二つの不思議な現象と哲学者の唱えたアトムという考えは、それから二〇〇〇年以上も経って関係づけられることになる。そして、琥珀を擦るとものを引きつけるようになるという現象もマグネシアの石が鉄を引きつけるという現象も、「電子」と呼ばれる究極の物質粒子アトムのもたらす現象であることが明らかにされ、電気に関する科学技術は大きく発展し、今日の物質文明を支えるものに成長していくことになるのである。
(本間・山田著「電機の謎をさぐる」岩波新書 p1-4)

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なぜ哲学を学ぶのか?

 哲学とは「ものの見方の科学」

 私たち人間にとって学習が必要であることは、一般的にはだれでも認めることだと思われます。とくに高校生や大学生が学習するのは当然です。しかし、たとえば学校を卒業して就職したサラリーマン、青年労働者にとって学習はちょっとつらいという気分があるかもしれません。学校は卒業したのだから、もう学習はたくさんだというわけです。

 労働組合運動や市民運動や青年運動に関心をもっている人でも、経済学や政治学の学習ならまだしも、哲学の学習が必要とは思えないという人も多いめではないでしょうか。

 しかし、この変化のはげしい現代社会において、いまを生きぬいていくには、どうしても学習が必要だと思います。とくにこの日本の社会を少しでも「国民が主人公」の方向へ転換させていこうという志をもち、労働組合運動や青年運動にかかわろうという気持ちをもっている人にとっては、哲学の学習は必要不可欠です。なぜ哲学の学習が必要なのかを考えていきましょう。

 まず哲学はどのような学間なのかを概略みておきましょう。哲学は古代ギリシャでは学間一般を意味し、近代に入って諸科学が分化・独立していくなかで、哲学もその固有の領域を明確化して、諸科学の基礎づけをめざす学問、あるいは世界や人生の根本原理を追究する学間として発展してきました。したがって哲学とは、「世界観の科学」とか「思想の科学」とか「ものの見方・考え方の科学」とかいわれる字間です。

常識で処理できないことが起きたときに……

 私たちは、日常生活において、このような哲学をことさら意識しないで生活しています。日常生活はいわゆる常識で十分まにあうわけで、それでいいと思われます。しかし重要なことは、この常識では処理できないことが起こったとき、私たちはものごとの根本を間う哲学を必要とするということです。

 一つは、個人の成長の過程で何回か起こることだと思います。人生の節目、曲がり角で、将来の選択、受験や就職あるいは人間関係がうまくいかないときなど、常識をこえて人生の根本を考え直さなければならないことがあります。人生の根本を考え直すという、このことが哲学的に考えることにつうじます。

 二つには、社会の大きな変化のなかで、いわば時代の曲がり角で、これまでの常識では対処できないことが起こったとき、私たちはものごとを根本から考え直さなければならないことになります。現在の日本の社会がそのような問題を提起していると思います。わが国の政治のあり方、経済のあり方などはまったく常識では理解できないようなひどいことになっています。「なぜ」だと考えることは哲学的思考につうじています。

人類の知識が飛躍的に増大するときに

 三つ目には、人類史の何千年の発展のなかで、何回も哲学的思考が必要とされてきました。人類はサルに近い原始状態から、徐々に生産労働をおこなうようになり、人類文明をつくりあげ、人類社会を築いてきました。狩猟・採集経済の段階から、農業や牧畜の段階をへて、工業生産をおこなう段階へとすすみ、生産力を発展させていく過程で科学や技術を発展させてきました。この発展過程で新しい知識が飛躍的に増大する時期に、それまでの古い知識の体系が通用しなくなることが何回もありました。新しい事実の発見によって、それまでの常識が破られるわけです。

そのとき、哲学が必要となりました。古代社会でそれまでの石器や土器の文明から金属器の使用がはじまり、新しい文明がうまれたとき、たとえば古代ギリシャで万物の根源は何であるかと間う最初の哲学がうまれました。ここでうまれた古代ギリシャの原子論あるいは古代唯物論の哲学がその後のギリシャ文化を築いていく基礎となりました。その後も新しい文明がうまれる前夜に、新しい哲学がうまれ、これが新しい時代をきりひらく世界観的前提となりました。

社会科学の誕生 その後、階級社会が発展し、市民社会がうまれてくると、大規模な階級闘争が起きるようになり、そのような情勢のなかから社会科学がうまれてきました。この社会科学の誕生には、その前提となる哲学的基礎が必要でした。すなわち社会は多数の人びとの集まりであり、人びとはみな個々人の意思や意欲にしたがって行動しています。

自然界の事物の場合は、それが個々の意思や意欲などによって動いているのではなく、同一の自然法則によって万物が支配されていますから、この法則を科学的に探究することは可能だと容易に理解できます。ところが社会現象の場合は、バラバラの個人が集まっていて、そこに法則などあるのだろうかとだれしも思うわけです。そんなわけで社会現象についての科学は不可能だと思われていました。

 そんな状況のなかでしたが、階級社会の矛盾が鋭くなり、階級闘争が激化するにつれて、この多数の人びとを動かす原動力、社会全体の変化の方向を決める原動力があるのではないかという問題意識がうまれ、社会科学成立の基礎についての哲学的考察がはじまりました。ついに十九世紀にマルクス、エンゲルスによって社会科学の基礎となる哲学(唯物史観)がっくりあげられました。この社会科学の基礎となった哲学の内容については、あとでのべることにしますが、このように経済学や政治学や歴史学など社会科学の基礎にも哲学が必要です。
(鰺坂真著「時代をひらく哲学」新日本出版社 p25-29)

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◎「階級社会の矛盾が鋭くなり、階級闘争が激化するにつれて、この多数の人びとを動かす原動力、社会全体の変化の方向を決める原動力があるのではないかという問題意識がうまれ、社会科学成立の基礎についての哲学的考察が」。