学習通信050325
◎「知性は、コンパクトではない」……。

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知の力と技術

 これまでに述べてきたことは、「信仰は力」というスローガンにたいして「知は力」ということをスローガンとしてかかげる、それが近代ヒューマニズムならびに近代科学の立場であった、というふうにまとめなおすこともてきるでしょう。

 「信仰の立場」は当然のことながら、「信仰は力」ということを力説してきました。信仰によって「絶対的な力」にあずかれば何一つできないことはない──病気だってなおせるし、鳥のように自由に空を飛ぶことも、魚のように自由に深海の底にもぐることも、何だってできる、とまでそれはいったものです。

 しかし、そのようにして現実に空を飛んだ人はー人もなく、深海の底にもぐりえた人はー人もいませんでした。信仰の力によってペストや天然痘の恐怖から人間が解放されることもまた、不可能でした。

 しかしいま、人間は、現実に自由に空を飛ぶことができ、鳥もかよわぬ月の世界にまで、その足跡をしるしとどめることができるようになっています。深海の航行だって可能ですし、かつては不治の病とされた幾多の病気も、いまは簡単になおすことができるだけでなく、予防することさえできるようになっています。どのようにしてそういうことができるようになったのでしょうか? 「知の力」によってです。知の力としての科学と、その具体化としての技術の力によってです。つぎの詩をよんでみてください。

地上には、巨人がいる。
彼には、苦もなく機関車をもちあげるような腕がある。
一日に数千キロも走れるような足がある。
どんな鳥よりもずっと高く雲の上を飛べる翼がある。
どんな魚よりもずっとたくみに水中を泳げるひれがある。

見えないものを見るそんな目があり、
他の大陸での声がきける耳がある。
山をつらぬき瀑布(ばくふ)をさえぎる、そんな力を彼はもつ。
彼は思いのままに大地をつくりかえ、
森林を育て、海と海をつなぎ、砂漠を水でうるおす。
この巨人とは何ものか?
この巨人──それは、人間である。

 これは、『森は生きている』の作者マルシャークの弟にあたるイリーンという人が書いた『人間の歴史』という本の冒頭におかれているものですが、これをイリーンの「ヒューマニズム宣言」と呼ぶこともできるでしょう。

 ここに歌われている巨人の腕、足、翼、ヒレ、等々が何であるかは注釈を要しないでしょう。それは、知の力、その応用としての技術の所産である人工の腕、足、翼、ヒレ、等々をさしています。それらはすべて、人間がもってうまれた肉体器官としての腕・足・等々ではなく、自然物を加工してつくりだされたものです。

「自然物がそれ自身、人間の能動的な活動の器官となる。それを人間は、聖書のことばにもかかわらず、自分自身の肉体諸器官につけくわえて、自分の自然の姿をひきのばす」という、マルクスの『資本論』の一節が思いあわされます。「聖書のことば」とは、「汝らのうち、誰か思いわずらいて身の丈一尺を加ええんや」ということばです。

「どんなに努力してみても、自分の力で身長をちょっとでものばせる人などいはしない」という意味ですが、この聖書のことばにもかかわらず、人間の知の力は人工の手・足・等々をつぎつぎとつくりだし、それによって自分をつぎつぎと拡大してきたのであり、宇宙の大きさにまで自分を拡大する可能性をもっているのです!
(高田求著「君のヒューマニズム宣言」学習の友社 p54-56)

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知性の開眼

 知性というとき、私たちは漠然とではあるが、それが学識ともちがうし日常のやりくりなどの利口さといわれているものともちがった、もう少し人生の深いところと関係しているあるものとして感じとっていると思う。教養がその人の知性の輝きと切りはなせないように一応は見えるが、現実には、教養は月で、知性の光を受けることなしにはその存在さえ示すことができないものと思う。

教養ということは範囲のひろい内容をもっているけれども、そういうふうな教養は外から与えられない環境のなかで、すぐれたいい素質としてある知性を具えているひとは、その知性にしたがって深く感じつつ生活してゆく間に、おのずから独特な人生に対する態度、教養を得てゆくという事実は、人間生活の尽きぬ味わいの一つであると思う。

 この人生への愛、ひとと自分との運命を大切に思って、そこから美しい花を咲かせようとつとめる心、そのためには自然欠くことのできない落着いた理性の判断と、柔軟溌刺な独創性、沈着な行動性、それらのものが、知性といわれるもののなかにみんな溶けこんでいて、事にのぞみ、場合に応じ、本人にとっては何か直感的な判断の感じ、あるいはどう考えてもそうするのが一番よいと思えるというような感情的な感じかたで、生活に作用してゆく。知性というものは抽象の何ものでもなく生き生きとしてしなやかなダイナミックな生活力そのものにつけられた名である。

 たとえば、日本の若い婦人たちにも心からの興味と尊敬をもって読まれたキュリー夫人伝にしろ、もしキュリー夫人の一生が、ただ研究室での根気づよい努力でラジウムを発見したというだけであったら、その科学的業績に敬意は十分払われるとしても、あの一冊の伝記が世界の人々の胸を呼びさましたような感銘は与えなかったに違いない。

ポーランドのむしろ貧しい一人の女学生であったマリイ、貴族屋敷の天禀(てんびん)ゆたかな若い家庭教師としての生活の経験や失われた恋、さらにパリヘ勉学に出る前後の窮乏、そして出てから、キュリーとのめぐり会い、その後の妻・母・科学者としての手いっぱいな彼女の生活の明け暮れ。そこを貫いて彼女に科学上の大きい業績をのこさせたもの、そこに私たちはこの世の中における並々ならぬものを見るのである。

キュリー夫人の科学上の学識、技能をさらに広いところから包んで、そのものの完成をも可能ならしめたもの、それはもとより当時の社会の条件と、彼女自身の堅忍であり、不撓(ふとう……不倒不たわまないこと。困難にあっても心がくじけないさま。)な意志でもあるが、もう一歩つきつめてその堅忍や強靭な意志がどこから生まれてきていたかと考えてみれば、底には一身の安穏を忘れて科学の真実を愛し守る良人と妻とが互いに労(いたわ)り評価し愛しつつ、傍ら子供らへの心くばりをもおこたらぬ人間らしい個性がなみなみと湛えられていたことが感じられる。

彼女の人間、女としての傷(いた)みはそこで医(いや)され、科学者としての燃焼はそこから絶えざる炎をとったのであった。

 知性は、コンパクトではないから、けっして固定した型のものにきまったいくつかの要素がねり合わされていて、誰でもがハンド・バッグに入れていられるという種類のものではない。そのゆたかさにも、規模にも、要素の配合にも実に無限の変化があって、こまかく見れば、その発動の運動法則というようなものにも一人一人みな独特な調子をもっているものだろう。

とりどりな人間の味、ニュアンスといわれるものの源泉は、恐らくこういう知性の微妙な動き、波動の重なるかげにあるように思える。
(宮本百合子著「若き知性に」新日本新書 p66-68)

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◎「教養がその人の知性の輝きと切りはなせないように一応は見えるが、現実には、教養は月で、知性の光を受けることなしにはその存在さえ示すことができないもの」と。

◎「とりどりな人間の味、ニュアンスといわれるものの源泉は、恐らくこういう知性の微妙な動き、波動の重なるかげにあるように思える」と。

知性的に生きる……ということ。