学習通信050326
◎「そんな「ひがみのそしり」をはねのけ」……。

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相 棒

「新しい年の抱負は?」
 そうきかれるたびに私は困って、ただ首をかしげてしまう。
 年齢のせいかしら、これだけはぜひやりたい、と意気ごむようなことは、もうない。心の中でひそかに願っているのは「来年もなんとか無事に働きたい」そのことだけである。

 働くことは楽しい。今年も一年中、毎日毎晩、家と仕事場を行ったりきたり……ときには目のまわるような忙しさだった。けれど、くたくたに疲れ果てて眠りこんだあくる朝の
目ざめはさわやかだった。(さあ、今日はあれとあれをしなければ……)その日自分を待っているものが何もない、としたら──みじめだろう、と思う。

 私は若いときから職業をもっていたおかげで、今日まで元気に生きてきた。私がそうしてなんとかやってこられたのは、私の相棒のかげの力だ、ということをよく知っている。

 世間は広い。いまだに「女のくせに」などと働く女性を切り捨てる一方、返す刀で、その相棒たちまで「女房を働かせて」などと傷つけて、したり顔するおかしな人たちも、いないわけではない。しかし、年ごとにすこしずつ世の中は変わってゆく。

そんな「ひがみのそしり」をはねのけて、家事も仕事もそのときどきにわけあって、女性を人間らしく扱ってくれる男性がふえてゆくのはうれしい。
(沢村貞子著「わたしの茶の間」光文社 p17-18)

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古い「主人」でなく、妻とともにこの道を歩む喜びを

 現在、深刻な核戦争の危険、生活の困難、子どもの教育の荒廃、金権・腐敗政治の横行などのなかで、職場で身分も賃金も差別されている労働婦人、日々の家計のきりもりに心を痛めながら家庭をまもり、子どもの養育にあたっている主婦、そして、共通して平和、清潔をのぞむ広範な婦人のあいだで、政治意識の急速な変化がみられます。

 そして、わが党が働きかければ、多くの婦人が平和、進歩、政治革新の先頭にたつわが党の活動に共感をしめし、これを支持するだけでなく、すすんでわが党の一員に加わってくる婦人も数多く生まれています。第十六回党大会決議案が紹介しているように、前大会以後の入党者のうち、婦人は四二パーセントをしめていること、四月中旬に「五十万の党」にみあう党員拡大目標を達成した埼玉県では、婦人が新入党者の半数以上をしめたことなどが、それをしめしています。

 宮本委員長は一九七八年に、「赤旗」の新春インタビューに答えたなかで、婦人の問題について、「戦前は、自分のしあわせな家庭をつくるということと、社会進歩のために生きるということが、かならずしも統一できない条件があった。……しかし、いまは……大局的には統一される社会になっている。……問題は、ほんとうの社会進歩と生きがいということをどう統一していくかにあります。ただ子どもが育てばいい、子どもが学校にいけばいいという、大事ではあるけれど個人的な狭い意味での幸福だけを追求しようと思っても、いまはそれも守れない社会になっている。世の中をよくしていく運動と結びつかなければ、大局的にはしあわせな家庭は守れない」とのべています。

 今日の情勢のもとで、この言葉のもつ意味が、広範な婦人に積極的にうけとめられるようになってきているのです。

 エンゲルスが「家族、私有財産、国家の起源」で解明しているように、婦人の解放、その社会的平等を人類史の発展のうえで回復することは歴史の必然であり、科学的社会主義の党こそ、その確固とした推進者です。

 レーニンは、十月革命の前に、婦人を「政治生活へ引きいれずには、婦人を愚鈍化する家事や、台所仕事の環境から婦人を引きださずには、真の自由を保障することはできないし、民主主義さえ──社会主義はおろか、民主主義さえ建設することはできない」と書いています。

 ことし創立六十周年をむかえるわが党は、天皇制の暗黒支配の時代から、侵略戦争反対、主権在民の旗をかかげ、また、十八歳以上のすべての男女に普通選挙権、婦人に完全な平等権などを要求してたたかいぬいてきました。

 今日、わが党は、党の構成で婦人が四〇パーセント近くをしめ、国会でも、地方議会でも、婦人議員は他党にぬきんでて第一党の地位にたっています。それは、わが党が、婦人の社会的平等、同権について、理論的に明確で徹底した立場にたち、党創立以来六十年、婦人解放運動の先頭にたってきた伝統と実績をもっているからです。

 広範な婦人がいま急速に党に接近する条件がひろがっているとき、党が積極的に婦人に働きかけ、志ある婦人の多数を党にむかえいれることは、きわめて重要です。

それを阻む党内の一つのカベ

 ところが、党員拡大の運動がすすむなかで、活動家の夫人でまだ党員でない人がかなりいることがわかっています。それらの婦人を夫である党員が説得して入党してもらっている例も数多く生まれていますが、逆に、他の党員が入党をすすめると、夫である党員が、私生活への介入であるなどといって、夫人の入党を阻止する例もでています。

 夫である党員がこうした態度にでているのには、自分が党員として活動しているので、夫人まで入党して党活動に加わったら、家庭生活が心配だという危惧もあるのでしょうが、これは、それですませずに、共産党員の男性のあり方として、つっこんで解明し、正しく解決すべき根本的な問題をふくんでいます。

 宮本委員長はかつて、中央委員会主催の婦人運動家特別講座に参加した婦人党員との懇談のなかで、男性党員が民主的家庭づくりにもっと協力すべきではないかという質問、要望に答え、最近の若い党員夫婦のあいだでは、民主的な家庭生活が比較的よくすすめられている例を紹介しながら、しかし、「家庭では民主的でないという党員が、まだまだ実際には少なくないのが実情だと思います。これは私もさきの都道府県委員長会議で民主的な官僚主義≠ニいう言葉で批判したんですが、基本的には、日本の社会全体がまだまだ前近代的な要素をもっていて、そういうものがやはり党内にも反映するということがあるわけです」と、その根源をしめし、共産主義者のモラルとしてこれを正していくように党が指導していくとのべています。

 これはしかし、夫婦とも党員のところでの民主的家庭づくりについてのべたもので、夫の党員の都合、その得手勝手で夫人を入党させようとしないというのは民主的な官僚主義∴ネ前で、共産主義者、共産党員の姿勢の根本が問われる問題です。

教育で古い「主人」の観念の一掃を

 レーニンは、すぐれた婦人運動の指導者クララ・ツェトキンとの会話のなかで、「『共産主義者もー皮むけば俗物だ』ということが、いまなお多くの同志たちにあてはまります。むろん、急所を、婦人についての彼らの気持のもちかたを、つく必要があります。婦人たちがこまごました単調な家庭の雑事においまわされてやつれはて、体力と時間をむだにし、うしない、頭もこちこちでかびくさくなり、心の高鳴りもにぶり、意志も弱くなってゆくさまを平然とながめている男たちの態度ほど、男の気持を断罪するのに恰好な証拠がありましょうか?」……「男たちは自分の平和と安楽を欲しています。婦人の家庭生活は毎日毎日、伺千というくだらない些事の犠牲になっています。彼の女奴隷は、これまた隠密のうちに復讐をしています。婦人のたちおくれ、男子の革命的理想にたいする女性の無理解は、男子の闘争の喜びと決意とを減殺します。彼女たちは、目に見えない形で、徐々にではあるが確実にくさらせむしばんでゆく小虫のようなものです。……婦人のあいだにおけるわれわれの共産主義的活動、われわれの政治活動のなかには、男子にたいする広範な教育活動がふくまれています。われわれは党のなかで、また大衆のあいだで、古い『主人』の観念を毛すじ一本とどめぬまでに根だやしにしなければなりません」とのべています。

 これは、「一皮むけば俗物」だ、といわれてもやむをえないような男性党員の古い「主人」的考え方や態度にたいする痛烈な一撃です。

 党員でない夫人をもつ男性党員が、すべて古い「主人」だというつもりはありません。しかし、もし、レーニンのこの批判で少しでも胸に痛みを感じる男性党員は、このさい、ただちに古い「主人」の観念をとりのぞくために努力しましょう。

 そして、夫人を台所の些事だけにしばりつけておいて、隠密な復讐をうけるのではなく、すすんで夫人にも党に参加してもらい、夫婦がともに手をくんで、自由と民主主義が花ひらく新しい日本、真に平等で自由な人間関係の社会の建設をめざす先駆者の道を歩む誇りと喜びをともにするようになりましょう。

 それこそ、党創立六十周年を飾るにふさわしい共産党員の家庭生活、党生活だと思います。(「赤旗」一九八二年七月十四日付)
(茨木良和著「多数者革命と党建設」新日本出版社 p200-205)

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◎「婦人のあいだにおけるわれわれの共産主義的活動、われわれの政治活動のなかには、男子にたいする広範な教育活動がふくまれて」いると。

恋人同士でも同じ事です。