学習通信050403
◎「みずから生きることと、ともに生きること」……。

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みずから生きることと、ともに生きること
 一番ヶ瀬康子

 私たちは、いまどのようなライフスタイルを選ぶか、その選択の岐路に立たされている。

 ことに、いままでのように働きづめに働いて、たまの休みにゴロ寝、テレビという生活なのか、一方、週休二日制を完全に実現し、一日はみずからの趣味やスポーツを楽しみ、他の一日は家族や地域の人びととともに時を過ごす。そういう暮らし方を選ぶのかということである。

 しかもこのことは、たんに働いている時代のことにかぎらない。前者の生き方をずっとつづけてきたいわゆるモーレツ社員が、長くなった高齢時にどのような状態であるかということを考えると、実はその選択が長い人生自体をきめていくことになる。

 さいきんのある調査によると、四五歳までの間に積極的な余暇生活をおくってきた人たちは、高齢時においてもその余暇を楽しみながら、ボケずに老後を過ごすことができる場合が多いといわれている。それにたいして、たんにテレビとゴロ寝というような生活をおくってきた人は、高齢時になっても、結局は、なにもすることがみつからない。したがって寝たきりボケ≠熨≠「ということなのである。

 このようなことを考えたとき、なによりもみずからのために労働時間の短縮、そして積極的に自由時間の使い方を編み出していくことが必要であるといえよう。しかもそれは、個人的な問題にとどまらない。自由時間の積極的なつかい方自体、個人でやりたいことには限界がある。たとえば技術革新がすすみ、部分労働あるいはストレスの高い労働がふえる。その疲れをいやすのには、全身運動が必要である。その一つに水泳がある。水泳は、高齢時においても、歩け歩け≠ネどとともに、人間の全身を動かすスポーツとしてもっとも適している。リハビリテーションにも活用されている。

ところが、その水泳を楽しむためのプールが、日本の場合には小・中学校のそれにかぎられているのである。さいきん、各地ででき始めているプールは、ほとんどのものが営利本位・企業主導型のそれである。私の住んでいる地域のそれは、入会金三〇万円──。それでは、働くものが生涯泳ぎつづけるブールにはなりきれない。

 以上のことを考えたとき、労働時間短縮と同時に、どのような自由時間のおくり方をするか、そのための社会的条件をどう考えていくかということに想いを馳せ、それを実現していく工夫をせねばならない。その自由時間の社会的活動、さらに住民運動などのなかでも、仲間との出会いが深まり、ひろがる。そこから、新しい社会へのイメージが育ち、社会をつくりかえていくエネルギーが生まれてくる。

 みずから生きることと、ともに生きることを、どう生活のなかでマッチさせながら生きぬくか、それが、すべての面で問われている今日である。
(「わたしの選択 あなたの未来」労働旬報社 p22-24)

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 民主主義の積荷目録とヒューマニズムの積荷目録

 前章では、科学的精神とのかかわりという角度からヒューマニズムの内容に光をあててみたわけですが、ヒューマニズムはまた民主主義とも深い内的なつながりをもっています。この章では、民主主義とのかかわりという角度から、ヒューマニズムの内容に光をあててみたいと思います。

 ヒューマニズムと民主主義とが内容的に深いつながりをもつということは、いいかえれば、両者の「積荷目録」が基本的なところで密接につながりあっている、ということです。

 民主主義の積荷目録としては、その第一に「自分が自分の人生の主人公」ということがあげられるし、あげねばならない、と私は思っています。そして第二には「みんなが主人公」ということを。ところで、この二つは、そのままヒューマニズムの積荷目録のなかにも数えあげられるべきものではないでしょうか。「人間らしさを大切に」ということを追求していけば、必然的にそうなってくるはずだ、と思うのです。

 すでに述べたようにルネサンスの時代には、近代ヒューマニズムと近代科学が、手をたずさえるようにして同時にスタートをきったのですが、近代民主主義の胎動もまた、やはりこの時代にはじまっています。このことは、けっして偶然ではないでしょう。積荷の共通性ということが、その背後にはあるのだ、と思います。

自分が自分の人生の主人公だということ

 「自分が自分の人生の主人公」というと、あたりまえなことじゃないか、という人もおおいでしよう。じつは、あたりまえなことのようでありながら現実の問題としてはちっともそうではない──少なくともなかなかそうなりきれない、というところに今日の問題(資本主義の下での民主主義の問題、とくに今日のわが国における民主主義の問題)があると思うのですが、そのことはさしあたり横において、後で考えることにして、とにかく「自分が自分の人生の主人公」ということが考え方としてのかぎり今日「あたりまえなこと」になっているということ、これは歴史のおおきな進歩を物語っています。それは、民主主義ということが、少なくとも建前としては常識化している、ということです。

 しかし、ルネサンス以前においては、「神さまが主人公」ということが、権力によってささえられた「常識」であったのです。

 「自分、が自分の人生の主人公」という思想は、このような権力によってささえられた常識への挑戦にほかなりませんでした。

 これは、遠い昔の外国の話だけではありません。わが国では、つい三十数年まえまで、「自分が自分の人生の主人公」などと主張しようものなら、「非国民」というレッテルをはりつけられたものです。そこで
は「生きたもう神」(現人神)としての天皇が主人公とされていたのですから。

 前章のはじめに紹介した右翼思想家の文章(一九四二年!)を思いだしてください。

 「天皇ありてわれあり。……生くるも天皇のため、死するも天皇のため」、それが日本人としてあるべきあり方である、というのでしたね。つまり、日本人たるものは、天皇を自分の人生の主人公として考えなければならない、というのです。これに異議をとなえようものなら、「かくの如きことは日本人の血が許さぬ」と脅迫してくる、そういう主張が支配的な力をふるっていたのです。

 このような主張はいちはやく一八九〇年(明治二三年)「教育勅語」に定式化され、わが国における教育の基本とされました。戦前のわが国でも、民主主義の思想が一定の力をもった時期がなかったわけではありません。たとえば、「大正デモクラシー」と呼びならわされる時期など。しかし、教育勅語が支配する下では、「自分が自分の人生の主人公」ということを正面きってかかげることはできず、「デモクラシー」をあえて「民本主義」と訳して、天皇制との調和をはかろうという試みがされたのです。「民主」というと「天皇が主人公」ということとあいいれないことが明らかだが、「民本」すなわち「民を本とする」といえば「天皇が主人公」ということと両立できる、というごまかしでした。

 「教育勅語」は、敗戦後三年をへた一九四八年六月、国会において、日本国憲法・教育基本法の精神とあいいれないものとして──すなわち民主主義とあいいれないものとして──「排除」(衆議院)、「失効確認」(参議院)を決議されましたが、それまでの間、どれだけおおくの国民の人生が「主人公としての天皇」の命令の下に犠牲にされたことか──あるいは戦場で、あるいは「銃後」で、そしてまた牢獄で──、そのことを私たちは忘れてはならない、と思います。
(高田求著「君のヒューマニズム宣言」学習の友社 p66-69)

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◎「日本人たるものは、天皇を自分の人生の主人公として考えなければならない」……。

自分の人生が自分のものでない……。仕事絶対のイデオロギーが職場に蔓延している。

学習通信050401・050402と重ねて深めてください。