学習通信050410
◎「生きること、それがわたしの生徒に」……。

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自己と他者を管理・統治する心

 今回の教育基本法「改正」が求めているのは、生きることそのものが競争であり国策への動員であるような社会を、人材と心の両面において作り出していくことではないでしょうか。『心のノート』は、まさにそのための心を丁寧に教えていきます。

端的に言うならば、苛烈なサバイバル競争の中、与えられた集団の中で自らすすんで役に立とうとし、差別・選別されてもへこたれることなく、自らの心を「前向き」にセルフコントロールし、労働も感情も奉仕する、そして何かあった時には「自己責任」をとる「新自由主義的心」とでも言うべきものです。

このような「心」が教育という強力な「統治」(「21世紀日本の構想懇談会」報告)の場で小さいうちから作られていくならば、高学年になってことさらな「愛国心」教育などしなくても、まさに「自然に」(とは即ち無批判に、排他的に、自己中心的に)、日本を「愛する」心が作られていくでしょう。

そして、このような「愛国心」は国家優先、軍事優先、自民族優先の社会を作り出し、国家が求める時には個人を犠牲にし、愛国者からは英霊としての死を、「非国民」からは反逆の代償を求めるでしょう。現在、支配は、ハードとソフト両面で強力に進行しつつあります。反戦ビラ配布や落書きだけでの逮捕、君が代斉唱不起立での処分、イラク人質事件被害者への政府・マスコミによる攻撃などに現れたハードな弾圧の一方で、大多数の大人も子どもも競争的環境の中で連帯を断ち切られ、自己点検・他者評価に曝され、個人がいわば国家・資本になりかわって自己と他者とを管理・統治する心を持たされようとしています。平等が切り崩され、平和教育が攻撃される教育現場では、教育基本法「改正」は既に憲法「改正」と一体となって進行していると言えます。

 このノートの中心的制作者の一人、押谷由夫氏は、「このノートが良心を作る」と述べています。こうなったら、国家を代弁する良心と、私たちー人ひとりが個人の尊厳にかけて守ろうとする良心との闘いです。決して負けるわけにはいきません。『心のノート』においては、教育基本法「改正」で目指されている理念が、既に徹底的に実践されています。

しかし、一二月二三日、個人の意志で集まった四〇〇〇人もの人々の姿を見たとき、どこかで小さな門が開いて、未来から新しい市民たちが私たちを励まそうとやってきたのではないかと思いました。新自由主義がそそのかす資本の自由、競争への自由ではない、個人の尊厳に基づく自由を私たちは作り出せる、国家に吸収される「公」ではない、新たな市民的公共性を、今からでも決して遅くはない、私たちが作り出せる、という希望を見た、と私は思いました。
(高橋・大内・三宅・小森編「緊急報告 教育基本法「改正」に抗して」岩波ブックレット p32-33)

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 社会秩序のもとでは、すべての地位ははっきりと決められ、人はみなその地位のために教育されなければならない。その地位にむくようにつくられた個人は、その地位を離れるともうなんの役にもたたない人間になる。教育はその人の運命が両親の地位と一致しているかぎりにおいてのみ有効なものとなる。そうでないばあいには生徒にとっていつも有害なものとなる。

教育によってあたえられた偏見だけを考えてみてもそれは有害である。息子はかならず父の職業につかなければならなかったエジプトでは、教育はとにかく確実な目的をもっていた。しかし、階級だけはそのままだが、人間はたえず階級を変えているわたしたちのあいだにあっては、息子を自分の階級にふさわしく教育しても、それは息子にとって有害なものとならないかどうかは、だれにもわからない。

 自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間であることだ。だから、そのために十分に教育された人は、人間に関係のあることならできないはずはない。

わたしの生徒を、将来、軍人にしようと、僧侶にしようと、法律家にしようと、それはわたしにはどうでもいいことだ。

両親の身分にふさわしいことをするまえに、人間としての生活をするように自然は命じている。生きること、それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。

わたしの手を離れるとき、かれは、たしかに、役人でも軍人でも僧侶でもないだろう。かれはなによりもまず人間だろう。人間がそうなければならぬあらゆるものに、かれは必要に応じて、ほかのすべての人と同じようになることができるだろう。

いくら運命の神がかれの場所を変えても、やっぱりかれは自分の地位にとどまっているだろう。「運命の神よ、わたしはあなたをとらえ、とりこにした。あなたがわたしに近よれないように、すべての通路をしめきった。」
(ルソー著「エミール -上-」岩波文庫 p30-31)

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◎「教育基本法「改正」が求めているのは、生きることそのものが競争であり国策への動員であるような社会を、人材と心の両面において作り出していくこと」ではないか。