学習通信050507
◎「彼の魂は資本の魂である」……。

■━━━━━

成長したいから背伸びをする

 お金というものはお金が好きな人のところに集まってくるとよく言われます。
 これは当然のことです。「お金なんていらない」と思っている人が金持ちになれるはずがありません。しかしもっと問題なのは、ある程度リッチになってしまった人の場合です。

 リッチになると人間は小さくまとまってしまう傾向があるのです。
 リッチになること自体は非常に簡単です。月収一〇〇万円や二〇〇万円程度を稼ぐのは、やり方さえ間違わなければ非常にやさしいことなのです。
 僕の場合、その金額をはるかに超えてしまっていますが、月収のレベルで一〇〇万円、二〇〇万円を超えると自分のやりたいことはたいてい実現できるようになってきます。いい車に乗りたいとか、新しい家を建てたいとか、欲しかった電化製品を買いたいとか、そういった欲望はほとんど実現してしまうわけです。

 しかし、ここで満足してはゼッタイにいけないのです。
 満足した時点でお金の流れがストップしてしまうからです。むしろそれ以降は単なる生活のためではなく、本格的に事業を大きくしたり、自分の夢に向かって突っ走るためにお金を使うことができるようになるわけです。

 ある意味で純粋なビジネスが、その時点からはじまるのです。
 さらに大きなビジネスを手がけて、そこで得たお金を再投資する。株式を公開したり、M&Aを繰り返したりして会社をなるべくはやく大きくしていく。

 そして夢を実現する。
 少しくらいのお金で満足している暇はありません。経営者は大きなビジョンを持ってどんどんお金を集めて、会社を大きくしていかなければならないのです。ある程度の儲けで満足してしまい、そこで小さくまとまってしまうと、いざチャンスがまわってきたときに身動きがとれなくなってしまうのです。結果的にそこまでの会社で終わってしまうわけですね。

 当然のことながら、元手が大きければ大きいほど大きなビジネスが展開できます。それが株式会社のメリットです。
 だから、元手を増やして次のビジネスチャンスを狙う。僕はこれまでそれだけを考えてビジネスをしてきたといっても言いすぎではありません。

 僕の会社の明暗を分けた瞬間、それは「来年までに株式公開を必ずするぞ」と決意した瞬間でした。その決意によって、次になにをしなければならないのかが明確になったわけです。
 よく、「なぜあなたの会社は急成長を続けているのですか」という質問を受けます。

 それは常に「背仲び」をしているからです。背仲びをするには多少は無理をしなければなりませんが、育ち盛りの子どものようにいろんなことに手を出してやり遂げることが大切なのです。僕の会社でもこれまで無理な納期の仕事もたくさん受けてきましたが、それは会社が成長するために必要不可欠な「背伸び」だと考えたからです。

 上には上があるはずです。チャレンジできる可能性があるなら、それを逃す手はない。下を向いたときにお金は逃げていってしまうのです。チャンスの女神にうしろ髪はありません。
(堀江貴文著「稼ぐが勝ち」光文社 p56-58)

■━━━━━

「風とともに去りぬ」のバトラー船長

 あなたは、たぶん、マーガレット・ミッチェル女史の名作『風とともに去りぬ』を読んだことがあるだろう。あるいは、豪華版の天然色映画「風とともに去りぬ」を観たことがあるだろう。そのあなたにとっては、一八六四年九月、南軍の要衝ジョージア州アトランタ市が陥落するあのクライマックスの情景は、よもや忘れられまい。砲煙弾雨と火焔に包まれたアトランタの地獄図絵のなかで燃えあがったスカーレットとレットとの灼熱の恋のいきさつは、「風とともに去りぬ」全巻のなかでの白眉である。

 だが、あなたは、このどぎついクライマックスの印象にうたれるあまり、その何ページか前にある、ひじょうに興味深いくだりを、忘れてしまっておられるかもしれない。しかし、いま、われわれが思い出さねばならないのは、このクライマックスを盛りあげて行く過程に置かれた一つのエピソードなのである。そのエピソードというのはこうだ──

 アトランタ市陥落直前のむしあつい夏の夜のことである。アトランタ市では、上流社会の婦人たちの主催で、南軍軍事資金募集を目的とするダンス・パーティーが催された。奴隷所有者、政治家、軍人などが、われもわれもと財布のひもをゆるめて、美しいパートナーと踊るためにティケットを買った。もっとも美しい「アトランタの女王」スカーレット・オハラと踊る特権は、ついに「競売」に付せられたが、セリは三〇ドル、五〇ドル、一〇〇ドルとずんずんあがって行った……一五〇ドルー 落ちた! スカーレットを落したのは、およそ「紳士」らしくない船長のレット=パトラーだった。レットは、惜しげもなく一五〇ドルの札ビラを切り、この情熱の女を抱いて夜半まで荒っぼく踊った……。

 バトラー船長は「戦争成金」だった。だから、「戦争成金」にふさわしい、たくましい「哲学」や「モラル」を持っていた。バトラーにとって、たとえスカーレットが「家柄の娘」、「貴族の女」であろうと、それは金で買える「夜の女」とちっとも変りはなかった。「一五〇ドルの正札をぶらさげた商品」でしかなかった。このバトラーの女性観は、そのまま、資本主義社会の女性観である。

 バトラーは、「金もうけ」の点にかけても、徹底した「哲学」と「モラル」の持ちぬしである──「俺は、金もうけのためなら、北軍、南軍、どっちにでもいい、うんと金をはずむ方に武器弾薬を売るのだ」。この「哲学」をたくましく実践することによって、バトラーのふところは、戦争とともに肥ってきたのであった。

むろん、スカーレットをもふくめて、アトランタ市の貴族的・地主的な上流社会は、このパトラーの「哲学」や「モラル」を「不忠誠」、「不徳義」、「二股膏薬」として指弾した。だが、これは、時代錯誤というべきであったろう。バトラーの物差しは「資本主義」の物差しだったが、アトランタ市の人々のそれは「封建主義」のそれだった。そして、南北戦争を境界線にして、時代は、「封建主義」の没落、「資本主義」の発展を容赦なく切りひらきつつあったからである。

「死の商人」としてのバトラーの「哲学」は、「資本主義」の物差しにピッタリかなっていたのである。ウェルナー・ゾンバルト教授が、「戦争は近代資本主義の精神を育んだ」といったのは、このようなことを指したものであろうか。
(岡倉古志郎著「死の商人」新日本新書 p9-11)

■━━━━━

 資本家は、労働力をその日価値で買った。一労働日のあいだ中、労動力の使用価値は彼のものである。したがって、彼は労働者を一日のあいだ自分のために労働させる権利を手に入れた。しかし、一労働日とはなにか?
 いずれにせよ、自然の一生活日よりは短い。どれだけ短いのか? 資本家は、この極限≠キなわち労働日のやむをえない制限については彼独自の見解をもっている。資本家としては、彼はただ人格化された資本にすぎない。

彼の魂は資本の魂である。

ところが、資本は唯一の生活本能を、すなわち自己を増殖し、剰余価値を創造し、その不変部分である生産諸手段で、できる限り大きな量の剰余労働を吸収しようとする本能を、もっている。

資本とは、生きた労働を吸収することによってのみ吸血鬼のように活気づき、しかもそれをより多く吸収すればするほどますます活気づく、死んだ労働である。

労働者が労働する時間は、資本家が、自分の買った労働力を消費する時間である。もし労働者が、自分の自由に処理しうる時間を自分自身のために消費するならば、彼は資本家のものを盗むことになる。
(マルクス著「資本論A」新日本新書 p395)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「「死の商人」としてのバトラーの「哲学」は、「資本主義」の物差しにピッタリかなっていたのである」と。