学習通信050509
◎「どの道をえらぶのか、どんな態度をとるのか」……

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枝にとらわれず、幹を大切に

 育児やしつけの問題を考えるばあい、とかくどういうふうにすべきか、いわゆるやり方の問題になりがちです。それというのも、一面の理由があるからです。第一に、問題はつねに具体的なかたちでおきてきます。しかるべきか、ほめるべきか、奨励すべきか、禁止すべきかなど、親とおとなは具体的に態度を決定させられます。ですから、しつけにあたっては、あれこれのやり方の問題ではなく、どんな子どもにしたいのか、どんなふうに生きさせるのか、という根本問題が大切だと知りつつも、いつしかそれを見失って、やり方の問題だけに追いまわされるようになってしまいがちです。このような傾向を、さらにさまざまな育児書やしつけの本があおりたてるのです。

 こんな風潮にあきたらず、ひそかに反発していても、自分で自信をもってあたることのできがたいのが実状です。その立場と主義・主張が危険で反動的な線でつらぬかれながらも、『スパルタ教育』がよく読まれているのは、そこに一因があるように考えられます。

 育児やしつけの問題には、いわばテクニックですませられる側面があることは否定できません・医学や教育学・心理学など、科学の助けをかりた方がいい側面もあります。しかしそれらを認めたうえで、なおしつけの根本は、父親や母親の思想や生き方、保育者や教師のそれらが決定的だと申しあげたいのです。いや単に頭のなかでの思想や考え方にとどまるだけでなく、親やおとなの行為・態度こそ重要です。思想や哲学は、生き方や人生観、社会観あるいはいろいろな問題への対処の仕方と無関係にあるのではなく、まさにそれらと一体のものとして、それらをつうじてあらわれてくるのですから……。

 私たちは、子どものしつけをいきあたりばったりの無責任なものにしておくことはできません。一見イデオロギーとはぜんぜん無関係にみえる生活習慣でさえも、どんな人間に育てあげたいのか、そういう見とおしのなかでとらえなおすべきです。

 人間の子どもは、すぐれて社会的な存在です。現在のように、歴史も社会も音をたててうごいているような時代では、とりわけ社会全体の影響力が子どものうえにも、つよくはたらきます。その点をはっきり認識し、親やおとなはそれにたいしてどの道をえらぶのか、どんな態度をとるのか、まずそれをガッチリ土台にすえましょう。

 そしてその土台のうえに、ともに生き、やがて未来をになう子どもたちに、「もっともまじめに、もっとも率直に、もっとも誠実」(マカレンコ)に対していきたいと思います。
(近藤・好永・橋本・天野著「子どものしつけ百話」新日本新書 p22-23)

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心の豊かさと余裕を得た子育て

 私が尊敬する人物のなかでも上位にランクされるのが、与謝野晶子である。歌人として数かずの不滅の歌を詠み、随筆や小説についても味わいある作品を残し、果敢に反戦の詩を書き、女性解放運動の先頭に立って論客として活躍し、そしてなにより、働く女性の可能性をわが身でもって最高の形で具現して見せた人である。その仕事だけ見ても、女とか男とかを超えて、天才の部類に入る人である。

 さらに彼女は、十一人の子どもを産み育て、生活能力を備えていなかった夫に代わって、家族十数人を経済的に支えてきたという事実を考えると、もう人間業ではないと思わざるを得ない。持って生まれた才能を、諸事にわずらわされて埋もれさせることなく、見事に開花させた、その生活者としてのたくましさに、私はただベダ惚れなのである。

 それらすべてのなかで、私が一番好きなのが、彼女が亡くなる前に子どもたちに伝えた言葉である。「あなた方がいてくれたお蔭で、ほんとうに楽しませてもらいました」というのがその言葉である。親が子どもに語りかける言葉のなかで、これほど素晴らしい言葉があろうか。

 生命を産み育むことがどんなに崇高であるとしても、日々の営みのなかでの子育ての大変さは、母親をつとめたことのある人ならだれでも身にしみて知っている。子どもが幼いなら幼いなりに、成長すればまたそれなりに、そのときどきの問題がある。積んでは崩す繰り返しのなかで、ふとシジュフォスの苦業を連想することが一再ならずあったとしても不思議はない。

 わずか三人を育てただけの私の経験からしても、こちらの仕事が忙しいときとか、原稿の締め切りが迫っているときを見計らっていたかのように、ひとりの子どもが病気をするかと思えば、その子がまだ治らないうちに、別の子がケガをしたりする。一難去ってまた一難などというのは、子育てにかんする限り当てはまらないと知った。一難去らないうちに、二難も三難も押し寄せてくる。柔(やわ)な精神構造では子どもを育てることなんてできないのだと、かなり初期の段階で居直ったものである。

 十一人もいれば、晶子の家では常時数難くらいはあったはずである。そもそもこれだけの人数の子どもを産むには、ほとんどいつも子どもがおなかにいて、ほとんどいつも乳児や幼児と付き合っていたことになる。たとえお手伝いさんがいたとしても、ほかの人では絶対に代行できない部分が母親業のなかには厳として存在する。

 夫と十一人の子どもたちに心を配りながら、世帯やつれもせず、枯渇もせず、年齢を忘れたようにいつまでもみずみずしい感性を持ち続け、大仕事を成し遂げた晶子の秘密がどこにあるのか、私にはまだ分かってはいない。

 子どもの数でも、仕事のスケールでも、晶子に遠くおよばない私の例を引き合いに出すのは、おこがましいことこの上ないが、私の場合に限って言うとするなら、子どもの存在は、仕事の場での視野を信じられないほど大きく広げてくれたし、あらゆる種類の困難にたいする不死身とも思える強さを与えてくれた。出産・育児から得たものは、そのために使った時間的、肉体的な出費を、はるかに凌駕している。

 そして、なににも増して貴重に思えたのは、心の豊かさと余裕とを得たことであった。人間と人間との触れ合いのもっとも基本的なものを、子どもとの接触のなかから学ぶことができた。人生を一歩さがって眺めるゆとりができ、そうしたとき、初めて人の立場を本当に思いやることができるようになったと思った。子どもを育てたのではない。子どもに育てられたのだ、と私はいつも考えている。

 このコラムに執筆すると話したとき、娘たちはいった。「私たちは、働いているママの姿が大好きで、そして、とても誇りに思っていると書いてちょうだい」仕事をする母親をもって、幼いときには寂しい思いをしたに違いない。小学生のころ、「大きくなったら家にいるお母さんになる」といっていた娘たちである。今は、一生仕事を続けること以外の人生設計はないという。私は裸の自分をさらけだし、なまの生きざまを見せてきただけで、なにも説かなかった。子どもたちは、自分の力で立派に学んでくれたのである。

 晶子の場合とは事情が違うかもしれないが、私も晶子と同じ言葉を、毎日心のなかで子どもたちに向かって言っている。「あなた方がいてくれたお蔭で、ほんとうに楽しませてもらっています」と。
(米沢富美子著「人生は夢へのチャレンジ」新日本出版社 p180-184)

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◎「人間と人間との触れ合いのもっとも基本的なものを、子どもとの接触のなかから学ぶことができた」と。