学習通信050511
◎「「がんもんもんもん……」

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 大衆運動を支持し拡大するために必要なものは、一にも二にも組織である。非合法党なしには、この事業をおこなうことができないし、また非合法党のことをしゃべっているだけでは、なんにもならない。大衆の攻撃を支持し拡大するにあたって、われわれは一九〇五年の経験を慎重に学ばなければならない。

そして蜂起の必要で不可避的なことを説明しながらも、同時に時期尚早な蜂起の企てを警告し、おさえるようにしなければならない。

大衆的ストライキの成長、他の諸階級を闘争に引きいれること、諸組織の状態、大衆の気分──これらすべては、全勢力がツァーリの君主制にたいする協同一致の、断固たる、攻勢的な、あくまでも大胆な革命的襲撃で統一すべき時機をおのずから示すであろう。

 勝利の革命なしには、ロシアに自由はない。
 プロレタリアートと農民の蜂起によってツァーリの君主制を打倒することなしには、ロシアに勝利の革命はない。
(レーニン「労働組合 理論と運動 下」大月書店 p591-592)

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 鐘の音

 奈良朝の夜の鐘

 いろいろな鐘の音がある。
 奈良朝の夜にも鐘の音はひびいていた。

皆人を寝よとの鐘は打つなれど
君をし思えば寝ねかてぬかも
        (笠女郎)

 それは亥の刻、すなわち午後十時を知らせる鐘であった。それは四つ打たれた。奈良朝の夜は、それでもうひっそりと寝静まってしまうのだった。

 ひとり眠れずにいる彼女の家は、たぶん奈良山のゆるやかな高みの上にあり、そのすそに彼女の思う人の邸があったのだと思われる。

君に恋い甚もすべ無み奈良山の小松が下に立ち嘆くかも

 平井康三郎作曲、北見志保子作詞の「平城山」という歌(一九三五年)──人恋うは哀しきものと平城山にもとおり来つつ堪えがたかりき──は、これをふまえたものであろう。

 名門の貴公子大伴家持は、彼女にとって身分のちがう存在だった。身分ちがいの人を恋してしまって、と彼女は嘆いている。

伊勢の海の磯もとどろに寄する波畏き人に恋いわたるかも

 しかし、家持は彼女にたいして冷淡であった。

 相思わぬ人を思うは大寺の餓鬼のしりえにぬかづくごとし
「私に無関心な人を思うことの手ごたえのなさ。まるで拝んでも仕方ないお寺の餓鬼の像の、そのまたお尻にむかってぬかづくようなもの」というのである。家持を餓鬼にたとえたこの歌を、彼女は家持におくりつけた。

マルクスが聞いた鐘の音

 若いマルクスもまた、鐘の音をきいた。それは、深夜十二時の鐘で、恋人イエニーとともにそれをきいたのだった。

鐘が十二時を打ち鳴らした。
その時ぼくは慄える君を暖くおさえ、
褐色の捲髪を愛撫し、
君をぼくの腕で抱きしめた。

 そうマルクスは、彼女におくった詩集『愛の本』のなかで歌っている。もしかしたらここにはシェークスピアの「よく二人で深夜十二時の鐘をきいたねえ」という一句(『ヘンリー四世』での、じつはフォルスタッフのせりふ)が重ねあわされているのかもしれない、とも思ってみる。──マルクスとイエニーとも身分はちがっており、この場合はイエニーの方が名門貴族の娘だったが。

 だが、マルクスがきいた鐘の音は、それだけではなかった。鐘の音は『資本論』のなかにもひびいている。「十八世紀のアメリカの独立戦争がヨーロッパの中間階級のために警鐘を鳴らしたように、十九世紀のアメリカの南北戦争はヨーロッパの労働者階級のために警鐘を鳴らした」と従来訳されてきた、第一版序文の一節である。

 私にはここがよくわからなかった。そして、それがしきりに気になっていた。このたび新日本出版社から出た新訳を読んで、積年の疑問が氷解したように思った。「警鐘を鳴らした」というところが「出動準備の鐘を打ち鳴らした」となっていた。

 ぐわーんもんもんもん……

 「ぐわーんもんもんもんもん……」とひびいてくる鐘の音がある。
 この音にであったのは、井上ひさしの戯曲『道元の冒険』の冒頭においてだった。「グワン モン モン モン モン モン モン」とそれは記されていた。「堂々たる余韻をもった人声による大梵鐘の音」とト書にある。黒衣僧形の人間たちが円陣になり肩を組み、大梵鐘を構成しているという趣向である。私は脚本によってその音を目で見、五月舎の舞台によって耳できいた。

 この「グワン モン モン モン……」を井上氏が宮沢賢治からとってきたらしいことに最近気づいた。すなわち賢治の作品第三三〇番「霜林幻想」のなかに次のように出てくる。

……かねをたたけ、かねを……
……よし もういゝか がんもんもんもんもんもんもんもんもん……

 この「霜林幻想」というのは私の好きな作品の一つだったにもかかわらず、これまでそれに気づかずにきたというのは、従来私がこの作品に、手近にある文庫本にこの題でかかげられているその初形において親しんでいたためだった。賢治は自分の作品に何度も何度も手を入れ、書きかえている。もともと「柏林のピクニック」と題されたその初形には、「がんもんもんもん……」は出てこない。その後、新修全集版でこれを読んだが、そこには〔うとうとするとひやりとくる〕というこの作品の最終手入れ形が本文にとられていて、それにも「がんもんもんもん……」は姿を見せていなかった。

 巻末に収められた「異稿」に目を通していてはじめて、この作品の中間形のなかに「がんもんもんもん……」が出てくるのに気づいた。「霜林幻想」という表題も、この中間形に賢治がつけたものだった。

 サンムトリが火をふくとき

 井上氏の戯曲『イーハトーブの劇列車』は、氏が賢治の作品を縦横に読みぬいていることを示している。氏の「グワン モン モン モン モン モン モン」が賢治の「霜林幻想」に由来するものであることを、私は疑わない。

 この「がんもんもんもん……」に私は、やはり賢治が「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」でえがいたサンムトリ火山の爆発の音「ガーン、ドロドロドロドロ、ノソノンノンノン」を重ねあわせる。

 サンムトリの氏のガスの圧力はもう九十億気圧以上になっている、とペンネンネンネンネン・ネネムはいう。だからもう、そろそろ噴火がおきなければおかしい、と。これにこたえるかのように爆発がおきる。みんなの歓呼の声のうちに、二度、三度、四度、爆発がくりかえされる。

おれたちの叫び声は地面をゆすり
その波は一分に二十五ノット
サンムトリの熱い岩漿にとゞいて
とうとうも一度爆発をやった……

 賢治の耳がとらえようとしていた鐘の音、そして井上ひさし氏が改めてつきならしてくれたそれと『資本論』にひびいていた鐘の音とが、私の耳にはつながりあってとらえられてくるような気がする。
(高田求著「新 人生論ノート PART U」新日本出版社 p58-63)
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◎「全勢力がツァーリの君主制にたいする協同一致の、断固たる、攻勢的な、あくまでも大胆な革命的襲撃で統一すべき時機をおのずから示す」と。

いま私たちはどんな音が聞こえるだろうか