学習通信050515
◎「知恵を使わなければならない」……。

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小さな内裏びな

 この小さいおひなさまは、いつも私の家の違い棚に飾ってある。三月三日はもちろんのこと、お正月も、五月五日のお節句も、七月七日の七夕にも……いつも、一年中。

 ほんのときどき「あら、こんなところにおひなさまが……夏のおひなさま」などと笑うお客さまもいらっしゃるけれど、ほとんどの人が気がつかない。なにしろ、台座がやっと三センチなのだから無理もない。
 私は子供のころ、おひなさまを持っていなかった。

 「自分の子はみんな役者にする」と誓っていた歌舞伎作者の父にとって、子役になれる兄や弟は掌中の珠だったけれど、女の子は無用だった。だから、五月五日のお節句には、大きな武者人形を飾って、家中、お赤飯や柏餅を祝ったけれど、おひな祭りはしなかった。そして私も、格別それを悲しいとは思わなかった。それよりも、女学校へ行きたかった。

 母のとりなしで、やがて父も「そんなに行きたきゃ自分で行きな」と許してくれた。躍り上がった私は、いくつかの家庭教師の口を見つけて、とうとう女学校を卒業することができた。浅草七軒町の東京府立第一高女──現在の白鴎高校である。その学校の修学旅行のとき、奈良の街で、このおひなさまを買った。

 旅行の費用も家庭教師をして貯めたお金だったし、それにもっと上の学校に行くことにしていたので、倹約しなければならなかった。友達がおみやげもの屋に入っても、私は外にいた。それがこの一刀彫りのおひなさまを、古風な人形屋さんで見つけたとき、欲しくて欲しくて我慢できなかった。それは、当時の私にとって、かなり高価だった。でも、とうとう買ってしまった。ほんとうは、兄のお節句のたびごとに、私もおひなさまが欲しいと思っていたのかもしれない。一九二六年の春だった。

 それから何年かの間、三月三日が来るたびに、玄関わきの小さい私の机の上にこのおひなさまを飾り、一人、ひな祭りを楽しんだ。やがて、私の身にいろんなことがおきて、おひなさまを飾るひまもなく、二十年あまり、箱に入れたままだった。

 長い戦争が終わって、不思議に残ったこの内裏さまを箱から出して手にのせたとき、私はもう二度としまうまいと思った。暗い箱の中にほうっておいた申しわけなさ、かもしれない。男びなの細い太刀が折れたのも、平和のシンボルのような気がして、また楽しいと思っている。
(沢村貞子著「わたしの茶の間」光文社 p30-31)

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立ち止まって考える
 東京新聞特別報道部 田口透

 新聞記者は、先輩からよく「走りながら考えろ」とアドバイスされます。もちろん比喩的な表現ですが、事件などが動いているとき、ゆっくり考えていたら間に合わないという意味です。でも、私がこの本から学んだことは、逆に「立ち止まって考える」ことの大切さでした。

 この本に描かれている日本は、たしかに、今の日本のそのままの姿ではありません。しかし、すでに成立した法律や、政府がこれから作ろうとしている法律、この国のもっとも大切な約束である憲法の解釈を広げるという、モザイクを積み重ねることで、この本に書かれている「ひとつの未来」が形作られる可能性を示しています。

 立ち止まって、自分の周りをきちんと眺め、じっくりと考えないと見えてこない姿です。目の前の事柄に追われ、走り続けていてはやり過ごしてしまう姿です。

 今、いったい日本では何が起きているのでしょうか。私たちが新聞紙面で取り上げたモザイクの断片を並べてみます。

 まず、教育の周辺。君が代、日の丸の問題では、監視役が学校に派遣され、君が代を歌わず起立しなかった先生が処分されました。ばかばかしい話ですが、子どもたちの歌声の大きさのチェックを行うところまで出てきました。教育基本法の改正では、「愛国心」の強制も始まるでしょう。もちろん、すでに教育現場では、先取りの形で「心のノート」が「愛国心」を教えていますが……(編集部注p44参照)。

 生活の周辺はどうでしょうか。治安、防犯という意味からの監視カメラの街角への設置、警察の合法的な盗聴の実施、テロ対策を名目とした全国の港のフェンスによる封鎖、コンビニからの有害図書排除という表現の自由への事実上の圧迫、政府からの有形無形のテレビ局などへの「圧力」など、実はじわりじわりと私たちの生活は息苦しくなってきています。

 さらに、イラク戦争反対のビラを配っただけで逮捕され、70日以土拘束された人たちの事件からは「政府の都合の悪いことをするとどうなるか」という「事実」を突きつけられました。拘置所から出てきた女性は「太ってしまった」と笑っていましたが、話を聞いているうちに、とても胸がざわつきました。

 また、2001年のアフガン報復攻撃の際、日本に何年も滞在するアフガニスタンの人々が不当に拘束されたように、外国の人たちへのいわれのない攻撃も相次いでいます。

 身近な生活だけを考えたとき、そんなに大きな変化は感じられません。しかし、一方で、この本に描かれたように、今の日本では、戦争、あるいは戦時に向けた準備万端が整っているようです。

 あとは憲法改正、9条の改正だけでしょうか。
 最近、日米安全保障問題を研究する大学の先生から、こんな話を聞きました。

 「昨年の3月に戻って、すでに憲法9条が改正されており、集団的自衛権の行使が認められていたら、イラク戦争で自衛隊はどういう立場になっていたのか、考えてみてほしい。日米安全保障の観点からも、間違いなく、開戦当初から自衛隊を派遣するという、英国と同じ道を歩んでいたはずだ。憲法改正は当然の流れのようになっているが、立ち止まって、もう一度、9条改正とイラク戦争をつなげて考えてみてほしい」。

 この本や、先生の話から私が受け止めるのは、ちょっとでいいから想像力を働かせるということです。

 朝日新聞で、作家の半藤一利さんがこんな風に書いています。
 「後世からみれば、満州事変前後に大きな昭和の転回期があったとわかるが、当時の日本人は大いなる転回期を生きているとはわかっていなかった。同様のことがいまの私たちにもあてはまる」。

 この本を作った人たちの緊急集会を取材させていただいた時、メンバーの一人が話しています。

 「夫の母から聞いた話ですが、当時、日本が戦争に巻き込まれていたことに気づかなかった。戦争は突然やってきた。後から思うとたしかに暮らしは厳しくなっていたけれど……」。お義母さんは今でも防災訓練などには絶対に参加しないそうです。

 また、別のメンバーはこう話します。「戦争は戦争の顔をしていません」。
 会のメンバーの言葉を最後に取り上げたいと思います。本を紙面で取り上げたときにも一部入れた言葉ですが、「本当にそうだな」と思ったので、もう一度。

 「もしこの本のような社会を作りたくないなら、私たちに何ができるか考えてみたい。ただ、伝えたい、と力めば力むほど、相手は聞いてくれない。知恵を使わなければならないし、長丁場に備えることも必要になる。あきらめずに、ボールを投げ続けていくしかない」。
(りぼん・ぷろじぇくと「戦争のつくりかた」マガジンハウス p36-39)
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◎「長い戦争が終わって、不思議に残ったこの内裏さまを箱から出して手にのせたとき、私はもう二度としまうまいと思った。暗い箱の中にほうっておいた申しわけなさ、かもしれない」と。