学習通信050516
◎「自由な成長をさまたげる最大の障害物」……。

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民主主義・社会主義・ヒューマニズム

 「社会主義とヒューマニズム」というのが、この最後の章のタイトルですが、「社会主義」とは、資本主義の枠を乗りこえて「みんなが主人公」ということを真に実現するような社会、ないしそういう社会の実現をめざす思想と運動のことです。

 民主主義を一つの山にたとえるならば、ヒューマニズムとはこの山をのぼっていくことそのことに、そして社会主義はこの民主主義の山の頂上に、たとえること、ができるでしょう。

 もちろん、民主主義の山をのぼろうとしたヒューマニストのすべてが、この山の頂上が社会主義であることを見きわめていたわけではありません。薄暗い封建制の谷間から民主主義の山にむかってのぼりはじめた近代の夜明けの時期のヒューマニストたちのおおくにとっては、この山の頂上はまだ視野の外にありました。そして、それは当然でした。しかし、そのような近代の夜明けの時期の登山家たちのあとをうけついで、さらに高くへとこの山をのぼろうとした登山家たちの目には、次第に社会主義としてのその頂上が視野にとらえられるようになってきました。

 最初にその頂上を視野にとらえ、そこまでのぼりつめることを志した人びととしては、サン・シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オーエンらの名前が知られています。いずれも、資本主義の枠を乗りこえて「みんなが主人公」であるような社会の設計とその実現のための努力に心を燃やした人びとでした。「社会主義」および「社会主義者」ということばも、オーエン、ならびにオーエンの支持者たちによってはじめて使いだされたものだといわれます。

 民主主義の山の頂上、が社会主義であることを理解したヒューマニストとしては、アナトール・フランス、ロマン・ロラン、さらにはアインシュタインなどの名前をもあげることができるでしょう。この三人は、いずれも社会主義者として活動した人ではありません。しかし、いずれも誠実なヒューマニストとして、民主主義の山をのぼっていくうちに、その頂上が社会主義であることを認めたのです!

空想的社会主義と科学的社会主義

 ところで、近代社会において最初に民主主義の山の頂上としての社会主義を視野にとらえ、そこまでのぼりつめることを志した人として先に名をあげた、サン・シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オーエンらは、今日「空想的社会主義者」と呼ばれます。それは、社会主義の頂にのぼるためのプログラム──「みんなが真に主人公」であるような社会の設計の仕方、その実現のために考えられた手段──が空想的であり、科学的ではなかったからです。

 彼らが生きた時代は、社会が資本主義にふみこんでからまだ日が浅く、そのため資本主義そのものを科学的に分析することができなかったのです。自分がいま立っている地点を──いいかえれば、そこをふみこえていくべき地点を──科学的に見きわめることがまだできなかったのですから、めざすべき頂点をおぼろげにとらえはしたものの、そこにいたるべきコースを科学的に見きわめることができなかったのも、やむをえないことでした。

 資本主義の科学的分析は、マルクス、エンゲルスによってはじめて着手されました。それによってはじめて、資本主義を乗りこえて社会主義の頂上まで、民主主義の山をのぼっていくコースが科学的に見定められるようになりました。社会科学の裏づけを得ることによって、社会主義は科学となったのです。

 もちろん、これは、社会主義の頂にのぼるためのコースがマルクスとエンゲルスによってすべて完全に明らかにされた──あとはただ、その指示どおりに歩いていきさえすればいい──ということなどではありません。科学とはおよそそんなものではない、ということは、第三章でもくりかえし述べたとおりです。

 空想的社会主義者とはちがって、マルクス、エンゲルスは、社会主義社会の設計図など、そもそもつくろうとはしませんでしたし、そこへのぼるためにたどるべきコースを、事細かに指示したりはしませんでした。それらは、山をのぼっていくなかで次第に明らかにしていくべきことだ、というのが彼らの基本的な立場で、ただ与えられた情況のなかからどんな方向にどのようにのぼるか──のぼりはじめるか、ということの確定に、全力を投じたのです。そこに、科学的社会主義者としての彼らの面目があった、といえるでしょう。
(高田求著「君のヒューマニズム宣言」学習の友社 p86-89)

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 封建制社会の経済の基本は、自給自足の現物経済です。しかし、封建制のもとでの生産力の発展により商品経済が発展し、封建制社会の経済が崩れはじめます。さらに16世紀に資本主義的生産が生まれはじめると封建的生産関係との矛盾が生まれます。そしてそれを反映して農奴たちの抵抗とたたかいが激しくなります。このような動きにたいし、封建領主たちは王を絶対君主とする集権的な国家をつくりだし、旧体制を維持しようとします(これが絶対王政です)。

こうして絶対王政が、封建割、身分割を擁護し、商品経済の自由な成長をさまたげる最大の障害物になります。いまや農奴や市民、ブルジョアジーたちの身分的拘束に反対し自由をもとめるたたかいは、絶対王政をくつがえす市民革命(ブルジョア革命)へとすすみます。 17世紀にイギリスの「ピューリタン革命」(1649年)と「名誉革命」(1688年)がおこり、市民(資本家)たちは王から実権を奪いとりました。そして18世紀にはイギリスの植民地アメリカで独立革命(1776年)フランスで市民革命(1789年)がおこり、人権と民主主義が宣言されます。

 こうした人権と民主主義をもとめるたたかいの歴史は、じつは階級闘争の過程にほかなりません。なぜなら、封建的支配と搾取こそ働く人びとを身分的に支配し、彼らをさまざまな人格的制約のなかにおくものだからです。

 たとえば、農奴たちは、土地にしばりつけられて耕作を強制されましたが、それは転居の自由や職業選択の自由がないということです。身分制への反対は平等の主張となりますし、領主による旧教(ローマ・カトリック教)のおしつけへの反発は、思想・信条の自由の要求としてあらわれます。

 こうした自由への要求は、身分的権利によって保障されるものではありません。そこで、それは人間が生まれながらにもっている権利、人間の自然権、人権として自覚されていきます。そしてこの「人権を保全することを目的として国家がつくられる」とされました。これが近代の民主主義国家(ブルジョア民主主義国家)です。

 民主主義の政治とは、なんでしょうか。民主主義でもっとも大切なことは、人権をまもるということです。人権をまもるためにこそ、「国民が国の主人公」になって、「少数意見を大事にし」「多数決で政治の方針」をきめるのです。人権の保全こそ民主主義国家の目的、その成立根拠なのです。

 人権の成立と、その保全のために国家があることが宣言されたことは、近代社会が達成した人類史的な進歩の一つです。しかし、この近代社会はまた資本主義という階級社会でした。近代の民主主義国家はその上部構造です。そこから、近代民主主義と人権のさまざまな制約が、そして人権の拡充をめざすたたかいが発展します。
(「勤労者通信大学 04年基礎コース」労働者教育協会 p149-151)

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◎「民主主義を一つの山にたとえるならば、ヒューマニズムとはこの山をのぼっていくことそのことに」と。