学習通信050518
◎「新しい社会の主人公としての力を養いながら」……。

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 私たちはいまどのような山をどのようにのほりつつあるか

 ところで、今日のわが国をふくめた発達した資本主義国で、労働者階級をはじめとする民衆がおかれている状態は、革命前のロシアや中国の民衆がおかれていた状態とは大きく異っています。当然、たたかいのあり方も大きく異らざるをえません。

 それは、山裾から少しずつ藪をきりひらき、畑をひろげながら、耕して頂上にいたるようなたたかい、ということができるでしょう。時間はかかるけれども、それだけ着実に、新しい社会の主人公としての力を養いながらすすんでいくのです。

 このようにしてきりひらかれる社会主義の頂の姿は、今日の社会主義諸国の状態とは大きく異るものであるでしょう。

 もちろん、このようにして一歩一歩とすすんでいくところには、新しい歴史的困難が生じてきます。今日の労働者はかつての労働者とはちがって、つねに明日のパンの心配をしなければならないような状態にはなく、一定の「ゆたかさ」にあずかりえているように見えますし、また、部分的ながら「文化・教養の世界」にもあずかりえているように見えますが、ここからは、ともすれば目先のことだけに関心がいき、現状に甘んじてしまいがちな意識が生じてきて、労働者としての自覚と団結が薄められ空洞化させられていく、ということがおきるのです。

 こうして、自分たちがこれまでのぼってきたところの、また現にのぼりつつあるはずの自由と民主主義の山の頂を見失い、すでに達しえているかに見える一定のゆたかさ、一定の自由、一定の民主主義の地点を、せまい輪をかいてダルダルまわってだけいると、次第次第にその輪が下降していって、気づいたときには深淵のへりに片足で立たされている、ということにもなりかねません。ファシズムはこのようにして私たちにしのびよるのです。

 じつは、私たちがいま獲得しているように見える「ゆたかさ」とはカッコつきのもので、すなわち一方では機械(とりわけ自動機械装置)の発達が人手を駆逐し、人間を機械の付属品にかえ、失業と労働強化の増大をもたらすとともに、他方、消費生活の面ではコマーシャリズムによって人びとがふりまわされ、欲望を管理され、その奴隷とされる、という事態が進行しています。これはとりもなおさず「新しいかたちでの貧困」です。そして、それに気づくこと、ができない──気づくカを奪われている──というのは、「新しいかたちでの無教養」にほかなりません。

 現代における人間性喪失は、そういうかたちをとってあらわれているのです。新しい社会の主人公としての力は、これにたいするたたかいをつうじてのみ、養われます。

 それはけっして安易なことではない、というのが、今日における新しい歴史的困難です。そして、それを解決していくのが、現代におけるヒューマニズムの課題です。

──略──

 もう一つは、故吉野源三郎さんのものです。吉野さんは戦時中、兵隊にとられたあと、共産主義の同調者ということで軍法会議にかけられ、長く陸軍刑務所に入れられたのですが、その軍法会議の法廷で吉野さんが、コペルニクスやガリレオのことなどを引きながら、社会主義社会の必然性について堂々と語ったということを、吉野さんが亡くなったあと、友人であった古在由重さんのことば(『思いだすこと、忘れえぬひと』同時代社)で私ははじめて知りました。つぎに引くのは、その吉野さんの『人間の尊さを守ろう』という本(牧書店、学校図書館文庫NO.30、一九五二年)の一節です。

「長い長い歳月をついやして人間がここまで来た」ということを考えてみないか、と吉野さんはそこで若い世代に語りかけていました。「人間の進歩などというものも信じられないような気持におちいったこと」が自分にもあったけれど、この「長い長い歳月をついやして人間がここまで来た」ということを考えることによって、「どんな悪い時代でも、どんな暴力が勝っているようにみえる時勢でも、いつかは終りが来るにちがいないし、また、来させることができるということ」を信じるようになった、と。

「人間と人間との争いは、大戦争が終っても、まだ、地球上の方ぼうでたえまなくつづいているが、その争いをなくそうという努力も、また、けっしてたえることなくつづいている。そして、地球は、そういう十数億の人間の喜びも悲しみも、努力も絶望も、同じようにじぶんの上にのせて、ぐるぐると回転しながら太陽のまわりを走り、太陽もまた、地球をひきつれて、大きな大きな宇宙の中を動いてゆく。それは何千年、何万年前も、いまも変りないように見える。しかし、このとほうもなく大きなながめを心の中にえがいた上で、百万年に近い人類の生長をあらためて思いかえしてみたまえ。

太陽や地球が同じことをくりかえしているあいだに、人類だけはなんといっても、大きな変化をとげて来たではないか。毎日毎日をみれば、同じことのくりかえし、同じような争いのたえまないつづきとも思われるが、長い眼で見れば、人間はやはり大きく変化し、はっきりと地球上にその進歩をしるしつけているではないか。……現在どんなにぼくたちの心を暗くするものが残っていようが、それを、この長い長い歴史の流れの中において考えてみたまえ、それが永遠につづくとは、やはり信じられないではないか」

「もちろん、理くつをいえば、悪いことが長くはつづかないといえるように、どんなよいこともやはり永久不変にはつづかないといえる。そして、そう考えれば、よい世の中を来させたいという努力もけっきょくつまらなく思われて来るかも知れない。人間の一生はもとより、人類の歴史さえはかないものに見えて来るかも知れない。

だが、潤一くん、そういう考え方にみまわれた時、何もかものみこんでしまうやみのような世界をもう一度みなおしてみたまえ。そして、そういう世界に、亡んでも亡んでも人間がたちあがり、よいもの、美しいものが生まれでて来る姿をながめてみたまえ。きみの眼にはよいものを生みだし、美しいものをつくりだそうとして、生きつづけている人間のよい意志というものが、かえって、底知れないやみを背景にあの星のように新鮮な美しいものに見えて来ないだろうか。そうなのだ、このよい意志というものがなくなったら、その時こそ本当に何もかもがまっくらなやみなのだ」

「そうとすればぼくたちは、生きている喜びを生みだしてゆくために、そういう暗いものをひとつひとつとりのぞいてゆこうとする努力だけが、この世でむなしくないものだと思わずにはいられないのだ。そしてすべての人が生きている喜びの感じられる世の中を、いつかは来させたいというぼくたちの努力が、けっしてむだでないことを信じつづけられるのだ」

「雲がどんなにこくたって、その上には、あの星空がいつだって輝いている。潤一くん、それを、ぼくもきみも忘れないでいこう」

 それを忘れないでがんばっていきましょう! それが、未来にむかって現代を生きる私たちの「ヒューマニズム宣言」です。
(高田求著「君のヒューマニズム宣言」学習の友社 p93-100)

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科学的社会主義の運動論の真髄を

 運動論の間題では、「社会の現実の矛盾をあきらかにし、その矛盾を人民にとってよりよい方向に打開する法則的な道筋にそって、必要な段階をへながら社会変革をすすめる」、ここに科学的社会主義の運動論の根本があるとのべた党大会議案の見地は、、きわめて重要な意義をもっています。
 これにたいして、「社会主義が直接運動の目標でないとさびしい」、「当面の課題をいうだけでは改良主義になるのではないか」、「日本の社会主義の青写真をしめさないと『社会主義・共産主義崩壊』論に対抗できない」などの意見が一部にありました。私は、こうした意見には、いくつかの大事な点の見落としがあることを指摘したいと思います。

 第一は、今日の日本では、日米軍事同盟を軸とした対米従属の体制、国民にたいする日本独占資本の横暴な支配の体制、これらを打破することが、日本社会が国民多数の利益にそって前進するためにさけることのできない課題となっていることであります。わが党の綱領路線はこの現実から出発しています。そしてまた、決議案が「日本共産党はどのような日本をめざすか」という形でしめしているのは、同じ見地にたって、より当面的な課題と方向をあきらかにしたものであります。これが第一の大事な点です。

 第二に、社会主義日本の展望についていえば、日本の社会の将来の展望として、これまでに日本国民がかちとってきた民主的な達成のすべてをひきつぎながら、どのような道をすすむべきかという大綱は、党の綱領および「自由と民主主義の宣言」で、すでにあきらかにしていることであります。あとでのべますが、社会主義・共産主義の体制論全般についても、わが党の見地は明確であります。

 もっと詳細な社会主義日本の青写真がほしいという声についていえば、それをやることは観念的な混迷のもとになるだけだというのが、大事な点であります。社会主義日本の政治・経済の仕組みの細目がどうなるかという問題は、将来、日本国民の大多数の合意によって社会主義への選択が現実の間題になるときに、それまでに政治・経済・文化の諸方面でどのような進歩と前進が現にかちとられているか、そしてそのときの日本社会がどのような矛盾の解決、に当面しているかなど、そういう事情に大きく左右される問題であります。そういうことをよく知っていたからこそ、マルクス、エンゲルスなど科学的社会主義の先輩たちは、社会主義運動が「理想社会」の青写真づくりにおちこむことをきびしくいましめたのであります。

 改良主義、社会民主主義と科学的社会主義との根本的な違いも、社会主義の目標に到達するのを急ぐのかどうかにあるわけではありません。そのときどきの社会で人民の苦難の根源となっている間題の解決に正面からとりくむのか、それともそれを回避するのかが、根本のわかれ道であります。

 世界的にも、第一次世界大戦がはじまったときに、あらゆる弾圧と迫害に抗して、反戦・平和の旗をまもりぬいたか、それとも帝国主義の支配勢力に頭をさげて戦争賛成の陣営にくわわったかに、共産主義の潮流と社会民主主義の潮流とがわかれた原点があったことは、決議案がしめしているとおりであります。

 戦前の日本でも、社会民主主義の諸党派は、絶対主義的な天皇制の専制政治やその侵略戦争との対決を回避しながら、「社会主義」の目標をとなえるのは平気でした。社会大衆党などは、「満蒙に社会主義の新天地を」などといって、「社会主義」の看板で軍部の侵略戦争に迎合したのであります。このなかで、日本共産党は、主権在民の民主政治の旗、帝国主義戦争反対の平和の旗をかかげ、そのために「国体」変革をたくらむ党として極悪の犯罪者集団あつかいされましたが、不屈にその旗をまもりぬいたのであります(拍手)。ここに、科学的社会主義の党の本領があったことを銘記すべきであります。

──略──

 科学的社会主義の運動論の真髄を自覚的にとらえてこそ、今日の日本と世界で活動する科学的社会主義の党として、平和と社会進歩の事業への積極的な貢献ができるということを、ここで強調するものであります。
(「日本共産党第19回党大会特集」前衛九月臨時増刊号1990年)

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◎「そうとすればぼくたちは、生きている喜びを生みだしてゆくために、そういう暗いものをひとつひとつとりのぞいてゆこうとする努力だけが、この世でむなしくないものだと思わずにはいられないのだ。そしてすべての人が生きている喜びの感じられる世の中を、いつかは来させたいというぼくたちの努力が、けっしてむだでないことを信じつづけられるのだ」

◎「社会の現実の矛盾をあきらかにし、その矛盾を人民にとってよりよい方向に打開する法則的な道筋にそって、必要な段階をへながら社会変革をすすめる」

……と。