学習通信050523
◎「完全に原因を自覚してそれ〔歴史的運動〕と結合した科学」……。

■━━━━━

 共産主義は人類の夢

 社会主義とか共産主義というとすぐマルクスを思いだすのが常識だろう。しかしマルクスがはじめて共産主義をいいだしたのではない。大昔から共産主義は人類の夢だった。争いのない平和で豊かな理想の社会といえば、だれでも共産主義を考えたのである。

 キリスト教の理想も共産主義だし、古代ギリシアの哲学者プラトンも共産主義を理想とした。中世の農民一揆のときにも、たとえばイギリス最大の農民一揆ワット・タイラーの蜂起のときには、指導者のひとりジョン・ボールは、「あらゆるものが共有になるまでは……ものごとはけっしてうまくゆかないだろう」と財産の共有を主張したし、ドイツ農民戦争のときにはその左派の指導者トマス・ミュンツァーは兄弟団という組織をつくり、「すべてのものは共有である。そして各人は必要に応じて分かち与えられる」という綱領をかかげた。

 近代にはいるころ、理想の社会として共産主義を主張する三冊の本があらわれた。そのうち、いちばん有名なのはトマス・モアの『ユートピア』(一五一六年)である。

 「ユートピア」というのはモアがつくった言葉で、「どこにもないところ」、つまり、空想の国という意味だ。モアはイギリスの大法官という最高裁判所の長官のような位についた政治家だったが、当時のイギリスの状態については大へん批判的で、とくに羊を飼うために農民を土地から追いだしてしまうエンクロジャー(土地囲込み)をはげしく非難した。その様子を「羊が人間を食い殺している」という有名な言葉で表現したのはモアである。

 どうしてこんなひどいことがおこるのだろうか。それはみんなが金もうけに夢中になっているためで、みんなが金もうけに夢中になるのは私有財産と貨幣というものがあるせいだ。私有財産と貨幣をなくしてしまわなければ世の中はうまくおさまらない、とモアは考えた。のちに大法官という高い位につくモアも、農民一揆の指導者ジョン・ポールと同じような考えをもっていたのである。もちろん考えは同じでも行動はちがった。ポールは共産主義を実現しようとして一揆にたちあがったのだが、モアは共産主義の社会を「空想の国」としてえがいていただけで、じっさいにこれを実現しようとしたのではない。しかしその社会の様子はボールよりもはるかに詳しくえがかれている。

 ではモアがえがいた共産主義の理想郷はどんなところなのだろうか。ちょっとのぞいてみよう。「ユートピア」はひとつの島である。この島には五四の都市があり、それぞれの都市は農村にかこまれている。都市では手工業がおこなわれ、市民は二年交替で農村へでかけて農業に従事する。だから島民は全員が農民でもあり職人でもあるということになる。生産物は都市の倉庫にもちこまれ、だれでも自由に無料でそこからもってくることができる。食事も共同食堂でおこなわれる。

生産物を無料で分配しても不足がおこらないのは、搾取階級がいないからである。行政の仕事をするために数百人の学者が肉体労働を免除されているが、それ以外は、老人、子ども、病人を除いて、みんなが働く。牧師や地主や召使や乞食など遊んで食べている人はまったくいないし、無駄なぜいたく品もないから、みんなが一日に六時間働けば生活に必要なものは十分に生産できるというのがモアの考えであった。

 この理想の島にも奴隷がいたり、戦争があったりするのは、ちょっと意外な気がするけれども、とにかくこういうモアのえがいている社会の姿には、いくつか注目すべきことがある。

ひとつは、私有財産というものがなくなると、遊んで食べてゆくということはできなくなり、みんな働かなければならないのだが、その代わり、みんなの労働時間は短くてすむということである。

第二はみんなが能力に応じて働き、必要に応じてうけとるというルールがつくられているということ、

そして第三は、みんなが特定の職業に固定されず、交替でいろいろな仕事につくということで、学者もけっして特権的な身分ではなく、ときどきいれかえがおこなわれるのである。

第四に政治は都市とその周辺の農村をひとつの単位として自治的におこなわれ、年に一回、全島会議がひらかれる。これは一種の連邦制で国家という機関はない。戦争のときには民兵や志願兵でたたかうことになっている。モアが考えたこのような共産主義社会のいくつかの特徴は、このあともいろいろな形でうけつがれてゆくことになるのである。

 『ユートピア』から約一〇〇年あとに、イタリア人のカンパネラが『太陽の都』(一六二三年)をあらわし、イギリスの哲学者フランシス・ベーコンが『ニュー・アトランティス』(一六二六年)を書いた。カンパネラは異端者として弾圧され、二五年間も獄中生活をおくり、『太陽の都』も獄中で書いたのだが、人間に利己心があるのは私有財産があるからで、私有財産をなくしてしまえば、人間は愛だけで生きるようになると考え、「赤道直下の平原」のなかにある共産主義の理想社会をえがいたのだった。

 この国でもみんながいっしょに働き、一日に四時間働けば十分だとされているが、モアの『ユートピア』にくらべて労働時間がさらに短くなっているのは『太陽の都』では科学技術が重視されるからである。この国では教育が重視されるが、それは本をよんだり、言葉を暗記したりという教育ではなく、機械技術、物理、数学、天文学など、生産力の発展に結びつく教育なのである。全体としていうと、『太陽の都』は教皇によって支配され、『ユートピア』よりも古めかしいけれども、新しい科学技術の教育を重視して生産力の発展を主張したところに特徴があった。

 この生産力の発展という側面をすこし極端なぐらいに強調したのが、ベーコンの『ニュ一・アトランティス』である。アトランティスというのは大西洋の海底に沈んでしまったといわれている大陸のことで(だから大西洋のことを英語でアトランティック・オーシャンという)、ベーコンはこの伝説の地がどこかにあるとしてそこに理想の社会をえがいたのだが、彼はその社会の政治や経済のことにはあまりふれず、主としてこの国のソロモン学院という研究所のことを詳しく紹介している。

 ベーコンはここで人工の金属(つまり合金)、人工肥料、水力や風力による新しいエネルギー、病気を治すための薬や空気の調節(つまりエアコン)、人工気象実験、動植物を人工的に大きくしたり多産にしたり新種をつくったりする実験(つまりバイオテクノロジー)、紙や布をつくる機械、光学機械、音を大きくしたり小さくしたりする装置(つまりマイクロフォン)や補聴器、空をとんだり水中を航行する工夫(つまり飛行機や潜水艦)などがおこなわれているとして、いまから三五〇年も前におどろくほど新しいアイデアをしめしている。こういう科学技術の開発によって、人類の夢は無限にひろがるのだ。それがベーコンのえがいた理想の社会なのである。
(浜林正夫著「社会を科学する」学習の友社 p15-164)

■━━━━━

 経済学者がブルジョア階級の科学的代表者であると同様に、社会主義者と共産主義者とはプロレタリア階級の理論家である。

プロレタリアートがまだ自己を階級として構成するほどまでに成長していないかぎり、したがってプロレタリアートとブルジョアジーとの闘争そのものがまだ政治的性格をおびないかぎり、そしてまた、生産諸力がまだプロレタリアートの解放と新しい社会の形成とに必要不可欠な物質諸条件を予見させるほどにまでブルジョアジーそれ自体の胎内に発達していないかぎり、これらの理論家たちは、被抑圧階級の欲求にそなえてそれにこたえるため、もろもろの体系を一時のまにあわせにつくり、社会を再生させる科学を追求する空想家であるにすぎない。

しかし、歴史が前進し、それとともにプロレタリアートの闘争がよりはっきりしてくるにつれて、彼らが彼ら自身の頭で科学を探求することはもはや必要でなくなる。

彼らは彼らの目のまえで起こることを了解し、その器官となりさえすればよいのである。

彼らが科学を探求し、もろもろの体系だけをつくっているにすぎないかぎり、彼らが闘争の端緒にあるかぎり、彼らは貧困のなかに貧困だけを見て、そのなかに、やがて旧社会をくつがえす革命的破壊的側面を見ないのである。

〔プロレタリアートの闘争がよりはっきりするようになった〕そのとき以後、歴史的運動によって生みだされたところの、しかも完全に原因を自覚してそれ〔歴史的運動〕と結合した科学は、空理空論的なものであることをやめて、革命的なものとなったのである。
(マルクス著「哲学の貧困」マルクス・エンゲルス8巻選集@ 大月書店 p251-252)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「大昔から共産主義は人類の夢だった。争いのない平和で豊かな理想の社会といえば、だれでも共産主義を考えたのである」と。

◎「彼らは彼らの目のまえで起こることを了解し、その器官となりさえすればよいのである」と。