学習通信050526
◎「賃金のかなりの部分を犠牲にするのを見て」……。
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どうなる? 『労働組合』
もう一度A子さんとB君の話に戻りましょう。A子さんだって、フエニックス社の年功序列、終身雇用制度のようなぬるま湯みたいな企業がこれからも生き残れるなんて思ってもいません。とりたててまずいことをしなければ、あるいは、さほどがんばらなくとも定年まで所得が保障されるシステムはモラルハザードを生み出すだけだと思っています。
「まったく、これまでの日本は先進国の仮面をつけた社会主義国だわ」とA子さんは、ひとりごちました。それを耳にしたB君はお姉さんに向かい、ふとつぶやいたのです。「そのような制度も案外いいかもしれないよ」。A子さんは、何だか思い詰めたような表情の弟が不思議でした。ぬるま湯的なところにいる人は、これからは日本も変わらなくちゃと考えますし、B君のように、すでに厳しい競争社会に乗り出した人は、その厳しさを肌身に感じているのでしょう。
A子さんの勤める大手企業フエニックス社には労働組合があります。現在の日本においては、労働組合に加わる労働者の割合は20%を割るほど少ないのです。
そもそも労働組合の始まりは社会主義運動そのものでした。考え方のもとは、あの社会主義のバイブルとされた『共産党宣言』にありました。資本主義経済では労働者が本来受け取るべき報酬(労働の限界生産物)を受け取ることができず、資本家によって搾取されている、だから、労働者は団結して自分自身を守らなければならない、という考え方です。そのかいあって、先進国といわれる国ではどこでも労働者の権利として労働組合が合法化され、また、最低賃金や労働時間などを定めた労働基準法ができました。
しかし、多くの先進国では、労働者の意識が多様になりました。単に、一律の賃金交渉をするだけでなく、従業員の仕事に対する多様な欲求をいかに会社と交渉しながら満たしていくのか、といった仕事が今後の労働組合の重要な仕事になっていくことでしょう。
フエニックス社の社員数はかなり多く、社長は数年がかりで能力主義の給料制に変えていこうとひそかに計画しています。そうしないと世界経済のなかでつぶれてしまうと感じています。しかし、労働組合は能力主義の導入にはかなリ抵抗を示しています。労働者の団結のためには、平等な処遇が不可欠だと考えているためです。また、能力主義を導入するといっても、能力や業績を個人ごとに正確に測定することは困難だという理由からです。
しかし、若い従業員の間には、もっと積極的に能力に応じた給与体系にして欲しいという要求があり、組合幹部の悩みは深刻だという話をA子さんは課長から聞かされました。フェニックス社の組合活動も大きな転機を迎えているようです。
(中谷巌著「痛快 経済学」集英社文庫 p170-172)
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イギリスでは、団結は、議会が定めた法令によって許可されている。しかも、議会を強制して、法律の名によりこの許可を与えさせたのは、経済制度である。一八二五年、大臣ハスキソンのもとで、議会が、自由競争の結果として生じた事態に法制をいっそう適応させるために、それを改正しなければならなかったとき、議会は必然的に、労働者の団結を禁止していたすべての法律を廃止しなければならなかった。近代産業と競争とが発達すればするほど、団結を促進助長する要素がますます多く現われてくる。そして、団結が日一日と堅実さを増して一つの経済的事実となるやいなや、それは遠からず、合法的事実とならざるをえない。
それゆえ、〔フランス〕刑法典のこの条文は、たかだか、憲法制定議会〔一七八九年六月成立〕時代と帝政〔一八○四──一五年のナポレオンー世の〕時代とには、近代産業と競争とがまだ十分に発達していなかった、ということの証左であるにすぎない。
(※当時の社会主義者、すなわちフランスのフリエ主義者、イギリスのオーエン主義者のこと。──エンゲルス)
経済学者たちと社会主義者たちとはただ一つの点についてだけ一致する。すなわち、団結は不当と断罪する点がそれである。しかしながらただ彼らがその断罪状につけた理由が異なるのである。
経済学者たちは労働者にむかってこう言う。団結してはならぬ。団結することによって、諸君は産業の規則正しい歩みを阻害し、工場主が注文に応ずるのを妨げ、商業を混乱させるのだ。そして、諸君の労働を一部分不用なものにし、以前より低減した賃金を諸君に受け取らせる機械の侵略を促進するのである。そればかりか、諸君はどうやってもむだなのである、諸君の賃金は依然として需要される腕と供給される腕との関係によって決定されるだろう。だから、自分を経済学の永久的諸法則に反逆させるということは滑稽であるとともに危険な努力なのだ、と。
社会主義者たちは労働者たちにむかってこう言う。団結してはならぬ。なぜなら、結局、団結によって諸君が得るものは何なのだ? 賃金の引上げか? うまくいった場合には、諸君はしばらくのあいだ二、三スーを獲得できるであろうが、その後には永続的な賃金低下がやってくるということを、経済学者たちが諸君に、明々白々と証明してくれるだろう。団結を組織し、維持するために諸君が支払わなければならなかった費用を、賃金の増額だけによって取りもどすには、数年を要するだろう、ということを、老練な計算家が諸君に証明してくれるだろう。
ではわれわれだが、われわれは社会主義者たるわれわれの資格において、諸君にこう言おう、こうした金銭問題は別としても、諸君が相変わらず労働者であり、主人が依然として主人であることには前にも後にも変わりがないであろう、と。だから、団結はいけない、政治はいけない。なぜなら、団結することは政治にかかわりあうことではないか、と。
経済学者たちは、形成されているがままの、そして彼らが彼らの便覧のなかに書きこみ、封じこんでおくような社会のなかに労働者たちがとどまっていることを望むのである。
社会主義者たちは、彼らが先見の明をもって労働者たちのために準備してやった新しい社会にもっとうまくはいれるように、労働者たちが古い社会をそっとそのままにしておくことを望むのである。
両者〔経済学者と社会主義者〕の説に反して、諸種の便覧と諸種のユートーピアを無視して、〔労働者の〕団結は近代産業の発展拡大とともに進展拡大するのを一刻もやめなかった。現在では、一国における団結の到達した段階が世界市場における位階制においてその国の占める地位を明示する、という程度にまでなっている。産業が最高の発展段階に達しているイギリスには、もっとも広範囲な、もっともよく組織された団結が見られる。
イギリスでは、当面のストライキのみを目的とし、そしてそのストライキとともに消滅する部分的団結だけに、とどまらなかった。労働者と企業家との闘争において労働者たちの城砦として役だつ恒久的団結が、労働組合が結成された。そして現在ではそれらの地方的労働組合のすべては全国労働組合連合協会に一つの結集点を見いだし、そして協会の中央委員会はロンドンにあり、協会所属員数はすでに八万に達している。それらのストライキ、団結、労働組合の形成は、チャーティストという名のもとにいまや一大政党を構成している労働者たちの政治闘争と時を同じくして進行した。
相互に結集するための労働者たちの最初の試みは、つねに、団結という形でおこなわれる。
大産業が、たがいに一面識もない多数の人間の群を一ヵ所によせあつめる。競争が、彼らの利害関係のことで彼らを分裂させるが、しかし賃金の維持が、雇い主たちに対抗して彼らのもつこの共通な利害関係が、抵抗という一個同一の思想において、彼らを結集させる、──それが団結である。だから団結は、つねに二重の目的を有している。
すなわち労働者間の競争を中止させ、そうすることによって、資本家にたいする労働者の全般的競争をなしとげうるようにするという目的をもつ。たとえ最初の抵抗目的が賃金の維持にすぎなかったにしても、次に資本家のほうが抑圧という思想で結集するにつれて、最初は孤立していた諸団結が集団を形成する。
そして、つねに結合している資本に対決するとき、彼らにとっては組合の維持のほうが賃金の維持よりも必要不可欠になる。
このことはまったく真実であって、イギリスの経済学者たちは、彼ら経済学者たちから見れば賃金のために設立されているにすぎない組合のために、労働者たちがその賃金のかなりの部分を犠牲にするのを見て、唖然としているほどなのである。
この闘争──これこそ正真正銘の内乱──においてこそ、来たるべき戦闘に必要なすべての要素が結合し発展する。ひとたびこの程度に達するやいなや、組合は政治的性格を帯びるようになる。
(マルクス著「哲学の貧困」マルクス・エンゲルス八巻選集@ 大月書店 p256-258)
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◎中谷巌氏といえば、新自由主義経済学の頂点にいる人物だが、労働組合に対する認識は、「そもそも労働組合の始まりは社会主義運動そのものでした。考え方のもとは、あの社会主義のバイブルとされた『共産党宣言』にありました」こういう話しが受け売りされて広がっていく。
◎しかし、どんな労働組合でも社会主義と結びつかざるを得ない……という意味ではいただいておこう。
◎「大産業が、たがいに一面識もない多数の人間の群を一ヵ所によせあつめる。競争が、彼らの利害関係のことで彼らを分裂させるが、しかし賃金の維持が、雇い主たちに対抗して彼らのもつこの共通な利害関係が、抵抗という一個同一の思想において、彼らを結集させる、──それが団結である。だから団結は、つねに二重の目的を有している」と。